都内のとあるタワーマンション。
その中の薄暗く小綺麗な部屋の中で、1人の男性がPCの画面を睨んでいる。
彼の名は、轡水京介。
大学院まで進学した高学歴を持ちながらも、他者を見下す傲慢な態度が災いして社会から浮き、今では完全に引き籠っている。
だが、彼には一つ、デイトレードの才能があった。
株式市場の流れを読む鋭い眼と判断力を武器に、彼は今やそれ一本で生活を成り立たせている。
その険しい目つきは、もともと悪い顔立ちをさらに悪人面に仕立てていた。
♪♪♪~ ♪♪♪~
その最中、部屋のインターフォンが鳴り響く。
「(…? アマゾネスドットコムは最近注文してないぞ? 何処のどいつだ?)」
轡水は不審に思いながらも、リモコンでカメラ画面を表示する。
そこに映ったのは、見覚えのない和装姿の女性──友禅の振袖をまとい、眼鏡をかけた物静かな雰囲気の人物だった。
「…誰だ、お前は?」
轡水がスピーカー越しに彼女に問いかける。
「轡水京介様ですね? 初めまして。 私は、時計塔に籍を置く、化野菱理と申します。」
──そう、時計塔・法政科に所属する魔術師、化野菱理である。
「時計塔… 魔術師とかいう奴か。 僕に何の用だ?」
轡水も、魔術師や時計塔の名については既に自ら調べていた。
そのため、名を聞いた瞬間に相手の素性を察知する。
「ふ、お詳しいようですね。それならば話がお早い。…“聖杯戦争”という言葉に、心当たりはございますか?」
化野が穏やかに語りかけたその言葉を聞いた瞬間──
「…聖杯戦争だと? 部屋の鍵は解除する。 そのまま向かって部屋へ入れ。ただし、もし嘘ならば…こちらにも考えがあるぞ。」
轡水が、"聖杯戦争"の言葉を聞いたと同時に、化野を部屋へ入れることを即決し、オートロックを解除する。
「ありがとうございます。 それでは、只今伺います。」
化野は、そのまま轡水の部屋へと向かう。
そして轡水も、PC画面の株の動きが良好なのを確認したと同時に、一度全ての株を落とし、PCから離れる。
やがて、轡水の部屋のドアが開き化野が入室する。
「お待たせいたしました。 改めまして、化野で御座います。」
化野は玄関先で優雅に一礼し、その先の部屋にいる轡水へ挨拶をする。
「改めて轡水京介だ。 そのまま来い。」
轡水も無表情のまま名乗りを返し、彼女を部屋の奥へと促す。
「畏まりました。 それでは、お邪魔させていただきます。」
草鞋を丁寧に揃えた化野は、摺り足で静かに室内へと進む。
その姿には、不思議な緊張感と品格が漂っていた。
「その辺に座れ。 本当につまらないものしかないが、悪く思うな。」
轡水がそう言ったテーブルの上には、ティーバッグの簡素な緑茶が置かれているのみだった。
「結構で御座います。 急な訪問にも関わらずに恐れ入ります。」
だが化野は一切気にする素振りもなく、テーブルの前で轡水に体を向けて正座をする。
「…まず本題から始めろ。 聖杯戦争とは、魔術師同士が殺しあって願望機である聖杯を奪い合う儀式のことだろ? 何故その話を魔術師でもない僕にしようと思ったんだ?」
PCデスクの前の轡水が椅子を化野の方へ向けながら、早速彼女に本題に入るように話を急かす。
相変わらず目つきは悪いままだが、その興味は隠せていなかった。
「では、望み通り本題を。 …今回の聖杯戦争には“新制度”が導入されております。 魔術師ではない方々──轡水様のような、優れた知性や観察力をお持ちの一般人を“マスター”に据え、代理戦争として展開されるのです。」
化野の言葉には、過剰な装飾も悪意ある印象もない。
ただ淡々と、そして的確に新制度の概要だけを述べていた。
「ほぉ。 それで、聖杯に願いを叶えるのは、僕の様なマスターも対象なのか?」
轡水にとっては、その点が一番質問したいところなのだろう。
目つきや愛想の悪さは最初から一切変わらないが、心なしか体が化野へのめりこまれているように見られる。
「お喜びください。 勿論、轡水様もその対象で御座います。」
化野が緑茶に手を出しながら、轡水の質問に返答する。
「…そうか。 ならいいだろう。 それで、その聖杯戦争の"新制度"とやらの概要はそれだけか?」
轡水は、自分の知りたいことが解り、他に内容を聞き出す。
「えぇ、以上が"新制度"の概要の全てです。」
化野によると、それで"新制度"の説明が全て終わったとのことだった。
それでも轡水は、ただ腕を組みながら無愛想なままだ。
「…ふん。じゃあ、ついでに聞いておこうか。 化野、お前は……どんな魔術師だ?」
轡水は流れに乗ったように、化野の素性について追及する。
「私は、今回はただの案内役でございます。 轡水様、貴方の理想を叶えるための。」
化野がそう言いだし、手元のバッグから魔導書、溶解した宝石、水銀、英霊を召喚する為の触媒である金色の布の切れ端、魔法陣の展開シート、そしてナイフを取り出して揃える。
「このナイフで指先を切って、血液を垂らして魔力を供給するんだな?」
轡水の知識はそこまであり、そのまま化野へ問う。
「左様で御座います。 最後に、此度の儀式で召喚される英霊がこちらです。 ここまでご存じならばご注意するまでもないと存じますが、他言は無用でよろしくお願いします。」
化野がそう言いだし、真名が書かれたメモを轡水へ差し出す。
「…ふんっ。」
轡水がメモを一瞥するも、興味なさそうにそのメモをPCデスクへ放り、まるで興味のない様子を見せる。
彼にとっては、どの様な英霊もただの駒に過ぎないのだろう。
それから淡々とナイフを手に取り、指先を切る。
血液が、魔法陣のシートにポタリと落ちる。
そして、召喚の詠唱を唱える。
素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。
これより、主たる座を拝借する。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
繰り返すつどに五度。
ただ、満たされる刻を破却する。
────告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ───!
淡々と読まれるその詠唱には、鋭ささえ含まれている。
──魔法陣が光を放ち、風が室内に渦巻き始める。
──こうしてこの日、すべての魔術師が、各々の担当するマスターの元へ赴き、英霊が召喚されていった。
ただ一人、遠坂凛を除いて──