二人は一竜の部屋へと辿り着いた。
たった一日で、あまりにも多くの非日常が降りかかってきたため、玄関を閉めた瞬間、一竜は現実感が戻ると同時に疲労の波がどっと押し寄せていた。
「はぁ…。 セイバー、座れる場所はクッションしかないけどいいか?」
冷蔵庫から麦茶を取り出しつつ、一竜はセイバーにそう問いかけた。
彼の部屋には、脚の高いテーブルなどなく、部屋の中にちゃぶ台とクッションがぽつんと、そしてテレビやPC、そして物置棚の最低限のものがあるだけだった。
「お気遣いなく。 私はこのクッションがあれば充分です。」
考えてみれば、彼女のいた時代に椅子に座るという習慣はなく、床に座ることなど、むしろ馴染み深いものだったのだろう。
麦茶を注ぎ終えた一竜は、自分のベッドに腰を下ろし、ちゃぶ台を挟んで座るセイバーをじっと見つめ、口を開く。
「……あのさぁ、セイバー。 キミって、この時代でも有名な歴史上の人物なんだよ。 でも、キミに関する資料が少なくて、存在すら疑われてたりしてさ……。 それでも、オレはキミにこうして会えて、本当に驚いてるよ。」
「そうなのですね……四百年以上も時が経ったというのに、私の名が未だ語られているとは。……不思議な気持ちです。」
そう言ってセイバーは、コップを手に取り、静かに麦茶を口に運ぶ。
どこか遠くを見つめるようなその目には、わずかな戸惑いと、誇らしさが交じっていた。
「オレ、歴史が好きでさ。ちょうどキミのことを調べてたんだ。もっと知りたくて……よかったら、いろいろ教えてくれないかな?」
興奮を隠しきれない声で、一竜は知的好奇心に駆られ身を乗り出す。
「私についてですか?」
「あぁ。 資料だけじゃ見えない部分もあるし、本人から聞けるなら……真実を知りたい。」
少年のような純粋な探究心をぶつけられ、セイバーは一瞬だけ目を伏せた。
「左様ですか。……承知いたしました、お話ししましょう。」
そして──遠い記憶を掘り起こすように、静かに口を開く。
「先ず、私は一人娘と言うことは、ご存じの様ですね?」
「あぁ、知ってるよ。 幼くして出家して尼になったってことも。」
歴史好きの一竜の予備知識は、確かなものだった。
「…流石一竜殿、そこまで存じ上げていらっしゃるのですね。 その出家に至るまで、父や許嫁が謀反の疑いをかけられ、離縁に追い込まれ、決して穏やかな道のりではありませんでした。」
彼女の言葉の端々から、淡い哀しみが滲んでいた。
「あぁ、確かその後、二人とも戦で討たれたんだっけ…?」
一竜の言葉には、既に知識としてではない、感情が滲んでいる。
「はい、左様でございます。…血を継ぐ者は、私一人。 ならば、その手で一族を守らねばならぬと…自ら刀を取り、領主として立ち上がったのです。」
静かな語り口の中に、確かに宿る意志の強さ。
それを前にして、一竜はただ息を呑み──しばらく黙り込んだ。
「……すげぇよ。 セイバーは、やっぱり噂通りの人だった!」
それから放たれたその言葉は、心からの敬意を込めた賛辞だった。
一竜のそんな言葉に、俯いているセイバーが目線を彼に向ける。
「そんな状況になったらさぁ、絶望しても可笑しくないじゃん? でもセイバーは、それを受け入れて……その上で国や家系や養子を守って、そして戦い抜いたんだ」
一竜の目は、まるでヒーローに憧れる少年さながらに輝いている。
「オレ、自己啓発本好きで、色々読んだけどさ…“自分の環境を嘆くな”って言葉があって。まさにセイバーのことじゃん!」
憧れと感動が混ざったその声に、セイバーは目を見開き──そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……ふふ。お褒めに預かり、光栄です。」
先ほどまでの切なさは消え、誇りと安堵がにじむ柔らかな笑みだった。
その表情を見た一竜も、釣られる様に微笑んでいた。
「……よし、ちょっとしんみりしちゃったし、気分転換でもしようか。 セイバーって、頭使うの得意?」
そう言って、一竜はベッドから立ち上がり、PCデスクの脇の棚へと手を伸ばす。
「む? 頭を…でしょうか? どういう意味でしょう。」
「ほら、戦の指揮をしてたんだろ? だったら、こういうのも得意なのかなって思ってさ。」
一竜が取り出したのは──囲碁の盤だった。
「ほぉ、囲碁ですか。 実は私、一族内でも囲碁には腕に覚えがあるのですが…?」
セイバーの顔にふっと自信の色が差し、一竜を見据える。
「おぉ、そう来なくちゃ! オレも高校時代はボードゲーム同好会でトップクラスだったんだ! かの名将にだって負けないぞぉ!」
一竜の目にも小さな闘志の焔が灯り、高揚すら窺えられる。
「それは興味深きことです。 では、勝負と参りましょうか!」
二人の表情には闘気が宿り、熱を帯びた囲碁での勝負が始まる!
だが、程なくして一竜は、己の選択が愚かであったことに後悔することとなる。
「参った! オレが甘く見てたよ!」
五局に渡る激戦は、セイバーの圧勝。
一竜は、ただその強さに舌を巻くばかりだった。
「一竜殿も中々の手練れ。しかし、勝敗を分けるのは、常に三手先を読む洞察力なのです。」
勝ち誇るでもなく、淡々と語るセイバーの姿には、戦いの中で培われた落ち着きがあった。
「ところで一竜殿、そちらの棚には、他にもなにやら数多の盤があるようですが、それらはどの様なものでしょうか?」
好奇心が尽きないセイバーは、棚の中にある他のボードゲームに興味が向いている様だ。
「あぁ、色々あるんだけど、簡単なものから説明するよ。 まず、これは"マンカラ"っていって、こうやって石を並べて…」
こうして二人は、囲碁からマンカラ、将棋、チェス、カタン、ウサギと猟犬……多種多様なボードゲームを夜通し遊び続けた。
なお、どのボードゲームでも、セイバーの飲み込みの早さと応用力が光り、一竜が何度も苦渋を味わうことになるのは言うまでもない。
二人の激闘から一夜明けてのこと。
この日、大学の講義がない一竜は、部屋で動画を見ながらくつろいでいた。
その背後から、ひょこっとセイバーが覗き込む。
「…一竜殿、それは何を見ているのですか?」
「ん? あぁ、ちょっと調べ物してたら出てきたんだけど…。」
画面には、日本刀の達人による剣術の動画が流れている。
現代に生きる様々な剣術の鮮やかな動作に、セイバーはまるで珍しい玩具を見つけた子供の様に、目を輝かせる。
「これは…! 現代の武士達も、かくも見事な剣捌きを!」
やはり、刀を振るう者としても、剣術動画には並々ならぬ魅力を放っていたのだろう。
「ふふっ。 いやいや、現代の武士って…まぁ、確かにすごいけどさ。」
一竜が思わず吹き出すと、画面に食いつくセイバーを微笑ましく眺める。
「他には!? 他にはどのような剣技が!?」
最早今のセイバーは、宛らデパートのおもちゃ売り場の前でおもちゃを見つめる子供の様だった。
一竜はそのセイバーの興奮に笑いながら、関連動画をクリックする。
一つの動画を見てはマイリストに入れ、さらに次の動画を見てはまたマイリストに入れ、まさに怒涛のヘビーローテーションと化していた。
「この時代は、学びに満ちているのですね。……いつか、これらの剣技を実践できればいいのですが。」
セイバーは、知識の蓄積だけでなく、それを形にする場を求めている様だった。
所謂、インプットとアウトプットだ。
「はは、気持ちは解るけど、セイバーの刀は表で出したら銃刀法違反で警察に怒られそうだしなぁ。 木刀か竹刀に重りでもつけるくらいがいいんじゃないかな?」
一竜も、セイバーの気持ちを理解しつつ、密かに代案を練り始めた。
「(昨日のボードゲームと言い、今の動画鑑賞と言い、まさかここまで現代の遊びにハマるなんてなぁ。 これが戦争じゃなかったら、どんなに楽しいひと時だろうに…。)」
そう思い、一竜がふとセイバーを見ると、彼女はまるで子供の様に無邪気な表情で動画に見入っていた。
こうして、セイバーの“ボードゲーム好き”と“剣術動画オタク”への道が、着実に開かれていくのだった。