一方その頃──
同じ会議に出席していた、鍛え上げられた筋肉に整えられた顎鬚をたくわえた、無骨な男が時計塔の構内をゆっくりと歩いていた。
男の名はミルコ・ボテッキアと言い、イタリアを拠点とする魔術師の家系、七代目当主である彼は、魔術協会においては民主主義の改革者だった。
今回の"新制度"による聖杯戦争は、魔術師という存在自体の在り方を問い直す大きな転換点となる。
彼にとっては、長年望んできた"変革の兆し"に他ならない。
歩を進めながら、その在り方を思案していたミルコに、後方から細身の青年が声をかける。
「これはこれはミスター・ボテッキア。 何やらやる気に満ちていらっしゃる様ですね。」
その男の名はシリル・ファラムス。
白金のブロンドを整え、深い二重瞼の奥で常に笑みを張り付けたその青年は、同じく会議に参加していた魔術師の一人。
「…シリル・ファラムスか。 何の用だ?」
ミルコの放つその声音には、明確な警戒心が滲んでいた。
「おやおや、そんなに身構えないでくださいよ。 私も悪だくみを持ちかけるつもりは御座いません。 ただ、貴方もこの"新制度"にご期待なさっているのではないかと、そう思いまして。」
シリルは腕を優雅に回しながら、まるで轆轤でも操るような手つきで"制度"を語る。
「何しろ私としても、長年停滞し続けた魔術師社会の変革を望んでおりましたからね。……あのロード・バリュエレータが、あそこまで思い切った制度を打ち出したのは驚きましたが、同時に感嘆も致しましたよ。」
シリルの言葉は、滑らかに、そして毒を含んだ蜂蜜のように流れていく。
「我がファラムス家は、まだ三代目の若輩家系。 …この制度を機に、家名を上げる好機とも考えております。」
その口ぶりは、無邪気とも取れる軽さだったが、底に隠された野心は決して小さくはない。
「──まったく、これだから浅い家系の若造は……」
ミルコは鼻を鳴らし、腕を組む。
「私は君の様な軽薄な野心に踊らされているのではない。 魔術師の在り方が変わることに――未来の可能性に、期待しているまでだ。」
ミルコは、そんなシリルの語りには特に相手にせず、軽くいなしている。
「ふふふ、お堅いですねぇ。 ですが私としては、この制度を上手く活用し、魔術師が滅びぬ未来を築いていくことこそ、肝要かと存じます。」
──つまりは、魔術師同士の血で血を洗う争いを避け、家系を継続させる"新たな選択肢"として、シリルはこの制度に期待を寄せているということだ。
「……まあ、"魔術師同士の直接的な対立を回避できる"という点については同意しよう。 だが、君と組むのは別の話だ。」
ミルコはそう言いながら、右手で小さな虫でも払うかの様な仕草で、シリルの言葉を受け流す。
そんな二人の前を、さらりと一人の女性が通りがかる。
友禅の振袖を纏い、魔眼殺しの眼鏡をかけた、静かな気配を纏うその女性――
「おや…これはこれは、ミス・化野。 貴女も会議中、この"新制度"に対して、何か思案されていたようにお見受けしましたが?」
シリルが、相も変わらず不敵な笑みのまま、女性に声をかける。
彼女の名は化野菱理。
時計塔の法政科に所属しており、魔眼殺しの眼鏡を掛けている、端正な顔立ちの女性である。
「えぇ。 確かにこの制度、私も楽しみにしていることが御座います。」
化野は、やや抑えた声色でそう答える。
だが、その声音には具体的な感情は見えない。
「…法政科であるアンタが、"制度の秘匿性"に関して何も言わないとは、意外だな。」
シリルの横で静観していたミルコが口を開く。
「ロード・エルメロイⅡ世の言う"秘匿性"の維持こそ、法政科の最たる役目だったはずだろう?」
ミルコが、そんな化野の掴めない行動に対して問いかけるも――
「私にも、私なりの考えがございます。貴方方と同じように。」
化野はそれだけ告げると、滑るような摺り足と優雅な所作で、その場を離れていった。
「……どうやら、君に全面的に賛同してくれる者は現時点ではいないようだな。それぞれ、別の道を行くことになる。」
ミルコがシリルに対して、投げ捨てる様に話す。
「えぇ、構いませんとも。 誰が正しく、誰が間違っていたのか──それは、やがて明らかになることでしょう。」
シリルは尚も不敵な笑みを崩さずに、ミルコの背に視線を送り続けていた。