出発の日を迎え、各魔術師はそれぞれの聖杯戦争に向けた準備を終えていた。
魔導書、英霊を召喚する為の触媒、魔法陣の展開シート、英霊の真名が記されたメモ、そして各々が担当する一般人のマスターのデータファイル、凜だけには紙ベースのマスターの資料の封筒――
それらを受け取った魔術師たちは、自らの手で"新たな戦争"の舞台である日本へと向かう。
ロンドンの早朝、空港の待合室には、ある一団が静かに集っていた。
メルヴィン・ウェインズが手配したファーストクラスの航空券を手に、ロード・エルメロイⅡ世、内弟子のグレイ、遠坂凛、そしてライネス・エルメロイ・アーチゾルテが、それぞれ搭乗準備を進めている。
「…まったく。 ライネス、お前まで来ることはないだろう。 何を考えているんだ?」
ロード・エルメロイⅡ世は、ライネスが同行していることに対して、頭を抱えている。
「堅いことを言わないでくれたまえ、兄上。 私は聖杯戦争になど関わったことがないのだよ? そんな千載一遇の見世物を見逃してどうする。好奇心を満たすのもまた、魔術師の性分というものさ。」
ただの興味本位で彼らと同行するライネスは、陶器のような白い肌、純金の糸を束ねたかのような長い髪、そして貴族然とした気品を湛えた顔立ちで、とても優雅である。
だが、彼女の笑顔だけは──見事に悪意で歪んでいた。
「面白そうとか軽々しく言うけど、経験者としてわたしからもはっきり言わせて貰うと、そんな軽い気持ちで考えられるものじゃないわよ? 特に今回は、マスターが全員"素人"なわけだから……ますます面倒くさくなるのよ。」
やれやれと肩をすくめながら、そう指摘したのは第五次聖杯戦争の生存者──遠坂凛。
かつて冬木で命懸けの戦いを経験した彼女にとって、この旅立ちには苦い記憶がついてまわる。
「まあ、好奇心があるのは悪いことではないさ。 個人的には、ウェイバーがどうやってこの"面倒な制度"を潰していくか……そんなドラマは見物だと思っているがね。」
同じく魔術師として同行するメルヴィンは、どこか面倒くさそうに笑いながらも、楽しみにしている様子を隠そうとはしない。
「…まったく。 ただでさえ忌々しい日本へ行くこととなってしまったというのに、メルヴィンは兎も角ライネスもいるなんて、また胃が壊れてしまう…。」
それでも、かつての少年・ウェイバーは今やロード・エルメロイⅡ世となり、責任を背負い続ける立場にある。
そんな彼にとって、手間ばかり増やすメルヴィンとライネスは、頭痛の種でしかなく、眉間に皺を寄せ、頭を抱えて憂鬱な気持ちになっていた。
「師匠。 先の戦争でお世話になった老夫婦のもとにも立ち寄れたら、少しは気が休まるのではないでしょうか?」
灰色の髪をフードの奥から覗かせたグレイが、静かに語りかける。
その瞳はどこまでも澄んでおり、僅かにその内側の温もりが滲んでい。
「あぁ、グレンとマーサのことか。 生憎、今回の舞台は彼らの住む冬木とは違う関東地方だからな。 仮に冬木で行われるとしても、2人には旅行のチケットを渡して、冬木から遠ざける。 第五次聖杯戦争の時と同じ様にな。」
ロード・エルメロイⅡ世が語る、グレンとマーサのマッケンジー夫妻――
第四次聖杯戦争で、かつての少年ウェイバーが世話になった恩人であり、彼にとって"日本という土地"における唯一の心の拠り所であった。
「さぁ、そろそろ飛行機の時間だから行こうか。 ファーストクラスをとっておいたから、ゆっくりとしたまえ。」
メルヴィンが得意げに搭乗を促すが─
「はいはい、ママの財布で買ったチケットでのね。」
凜がメルヴィンの相変わらずのクズっぷりを挙げ、毒づく様に返答する。
同時刻、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、空港とは別のプライベートジェットの搭乗ゲートにて出発準備を整えていた。
搭乗許可も日本側への到着手続きも、すでに完了済み。
後方には屈強なボディガード2名が控えている。
「お嬢様。担当される一般人の居場所は、すでにご確認を?」
ボディーガードの1人が、ルヴィアにそう語りかける。
「当然ですわよ。私を誰だと思いまして? 現地に着き次第、チャーター済みの車で目的地まで直行いたしますので、そのつもりで。」
その余裕は、貴族としての気品と財力があってこそ。
ルヴィアは何もかもを"事前に用意しておく"女だった。
さらに別のバラバラの便にて、化野菱理、ミルコ・ボテッキア、シリル・ファラムスもまた、日本へと向かっていた。
"新制度"に対して是も否も語らず静観を貫く化野菱理、慎重ながらも時代の変化に期待を寄せるミルコ・ボテッキア、そして、その変化に積極的に乗り、己の家名を高めんと野心を燃やすシリル──
この三者三様の魔術師たちが、日本の地でいかなる策を講じ、どんな形で"戦争"に関わっていくのか。
それはまだ、誰にも分かっていなかった。