町中の大型複合ビルの中のアニメショップのテナント。
その解放された出入り口から、一人の女性が満足げな表情で姿を現した。
眼鏡にお下げ髪、露出の少ない服装に身を包んだ素朴な風貌。
彼女の名は──小鳥遊亜梨沙。
この街の歯科医院で事務員として働いており、普段は目立たぬ様、静かに暮らしている。
しかし、彼女には譲れない"生き甲斐"がある。
それは、アニメショップで好きなアニメのグッズを買い漁ること。
この日は仕事が早上がりだったこともあり、立ち寄ったショップで思いのままにグッズを購入していた。
顔は自然と綻び、袋の中身を早く並べて眺めたいという気持ちが、軽やかな足取りとなって表れていた。
──その光景を、隣接する別テナントの窓から一人の男がじっと見つめていた。
アルビノの髪に、白磁のような肌、端正な顔立ちが怪しげな雰囲気を漂わせる…
時計塔の魔術師、メルヴィン・ウェインズである。
「(お給料入ったし、今日くらい自分にご褒美でもいいよね。)」
亜梨沙の内心は、まさに至福の時。
跳ねるような髪と足取りに、思わず口元が緩む。
──しかしその背中に、突然ポンッと肩を叩かれる感触が走った。
「ひゃっ!? えっ!? どちら様ですか!?」
振り返るとそこにはメルヴィンが、どこか詐欺師じみた不敵な笑顔を浮かべて立っていた。
「初めましてぇ。 君が小鳥遊亜梨沙ちゃんだねぇ? 」
更にメルヴィンは、卑屈な笑顔のままで話しかける。
「え、えぇぇ……? な、なんで私の名前を……!?」
亜梨沙が驚きつつ飛び上がってこう聞くのも無理もない。
急に明らかに怪しい男に話しかけられる程、恐ろしいものなどないのだから。
「おっと、驚かせてごめんね。 うん、怪しいのは否定しないよ? でも詐欺師ではないんだ、本当に。私はメルヴィン・ウェインズ。ロンドンで"調律師"をやっててねぇ。」
明らかに怪しいメルヴィンがそう弁明するのも無理もあるが、それでも両掌を振りつつ笑顔を崩さずに自己紹介をしだす。
「ロンドン…? えっ、外国の人…? 私、そんな知り合いいませんけど…?」
困惑しきった表情で周囲をキョロキョロと見渡す亜梨沙。
そんな彼女の不安を、次の出来事がさらに深める。
「安心してよ。 大丈夫、大丈夫──ごっふぼぁぁあぁあああ!」
メルヴィンが、急に盛大に吐血しだす!
彼は生まれつき病弱で、度々吐血をしてしまうほどなのだ。
「えぇ!? えぇぇっ!? 貴方の方が大丈夫ですか!?」
亜梨沙にとっても、こんな状況など一度も経験したことがないので、当然の如く取り乱している。
「……いや、うん。気にしないで。よくあることだから。」
メルヴィンは、こんなこともあろうかと魔術で作っておいた自前の造血剤を服用しながら話を続ける。
「さて……本題に入ろうか。君はちょっと聖杯戦争っていう命がけの面倒な儀式に選ばれてさぁ、何故か私が担当になってしまってねぇ。」
メルヴィンは、ハンカチで口にまだ残っている血を拭きつつ、話の本題に入る。
「…聖杯戦争? …命がけ?」
この様なパワーワードを投げかけられては、亜梨沙でなくても目を見開いてきょとんとすることも否めないだろう。
「詳しい話は別の場所でしようか。 スマホを手放さないで、私に着いて来て。」
聖杯戦争に関する話を続けるにはそれなりの準備がかかるので、メルヴィンと亜梨沙は別の場所へ向かうこととなる。
「(…なんだかまだ話についていけてない。 大丈夫なのかな…?)」
亜梨沙はまだ不安が拭えられていない。
タクシーで移動したのは、都心にあるホテルの一室。
その中のメルヴィンの宿泊先の部屋で、亜梨沙とメルヴィンの会話の続きが始まる。
「あの… 聖杯戦争って、都市伝説の一貫で聞いた事だけはあったんですけど… どうしてそんな魔術師…?の儀式に私が選ばれたんですか?」
亜梨沙が紅茶に手をつけながら、メルヴィンに遠慮がちに尋ねる。
「あぁ、ごめんね。 マスターは魔術協会が出鱈目に決めたことだから、こればかりは私にも答えられないんだ。 でも大丈夫、魔術師として私がサポートするつもりだからさ。」
メルヴィンは亜梨沙の目の前で席の後ろの大きな鞄を取り出し、中身をガサゴソと漁りながら亜梨沙の質問に返答する。
そして出されたのは、魔導書、英霊を召喚する為の触媒である孔雀の羽、魔法陣の展開シート、そして鋭いナイフ。
サーヴァント召喚の一式だ。
「私が順を追って説明するから、他の陣営に狙われて殺されない為にも英霊召喚の儀式を始めようか。」
メルヴィンのこの言葉により、英霊召喚の儀式が始まろうとする。
「えぇ… どうしよう…」
亜梨沙がテーブルに手をかけて椅子から立ち上がるも、目の前の異質な光景に全身が震えて碌に立ち上がれない。
「大丈夫大丈夫。 焦らずにねぇ。 このナイフで指の先を切って、その血で魔力の供給を忘れないようにね。 あと、こんな英霊が召喚されるから、他の陣営にはその真名がバレない様にね。」
メルヴィンは(本人の中で)優しく話しかけながら、儀式を進めようと指示する。
「は、はい……!」
「(怖い……これ、本当にやるの……!?)」
亜梨沙は、メルヴィンが手渡したナイフの鋭さに怯えている。
「あぁ、指先を切るの怖いよねぇ? でも心配しないで。 消毒液もガーゼも絆創膏も、全部用意してあるからさぁ。」
そこは流石病弱で虚弱体質なメルヴィン、ヘラヘラしている癖にこういうことに関しては抜かりがない。
「…はい、わかりました…」
亜梨沙は震えながら、ナイフで指先を切る。
その痛みにビクッと肩をすくめつつ、血を魔法陣に垂らす。
「(うぅ……痛い……怖い……けど、もう逃げられない……!)」
覚悟を決めた彼女は、小さな声で詠唱を紡ぎ始めた。
素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。
これより、主たる座を拝借する。
降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
繰り返すつどに五度。
ただ、満たされる刻を破却する。
────告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ───!
その声には、今にも消え入りそうなか細さが見て取れる。
──光が溢れ、魔法陣が輝き始める。