都内某所、ホテルの一室──

ロード・エルメロイII世の宿泊先兼執務室は、いつも通り嵐の後の様だった。

机の上には資料の山、開かれたノートPC、そして灰皿に積み重なった吸い殻。

彼はその中心で、変わらずペンを走らせていた。

聖杯戦争新制度の廃止を成立させるのが先か、或いは自らが過労でまた倒れるのが先か──そんな冗談めいた綱渡りを、彼はもう何ヶ月も続けている。

その傍らで資料整理をしていたグレイが、時計を一瞥した後に声を掛ける。

「師匠。 そろそろお食事を摂ってください。 お近くのお弁当屋さんで買って来ようと思うのですが。」

ロード・エルメロイⅡ世は書類から目を離さず答えた。

「ああ、グレイ(レディ)、助かる。 鰻玉丼以外なら任せる。」

第四次聖杯戦争──まだ彼がウェイバー・ベルベットだった頃、魔力不足に苦しむサーヴァントへ供給する為、スタミナ食ばかりを胃へ押し込んでいた時期がある。

その中でも冷え切ったコンビニの鰻玉丼は、彼の記憶に強烈な爪痕を残していた。

脂と甘辛いタレ、そして冷えた白米、最早トラウマと言って差し支えない程に今でも思い出すだけで胃が重くなる。

「……またそのリクエストですか。 承知しました。」

グレイが苦笑いを浮かべながら立ち上がった、その時だった。

──ブルルッ

机上のスマートフォンが震え、画面を見たロード・エルメロイⅡ世は眉を上げた。

「……ん? ミスター・纐纈(くくり)か。 彼からなど、珍しいな。」

通知文の冒頭は妙に平和だった。

どうやらキャスターとの散歩について話しているらしく、雑談かと思いながらROPEを開くと、ロード・エルメロイII世の目が見開いた。

『エルメロイ先生、お疲れ様です!
今日、キャスターと一緒に散歩してたらライダー陣営と遭遇しました!
ライダーは相変わらずでしたケド、マスターのひすいさんがかなりキッツい性格でした!
あとライダーは槍使いで、地形利用がかなり厄介です!
キャスターと僕は無事撤退したんでご安心を!
返事はスタンプだけでも大丈夫です!』

数秒の沈黙の後、深々と溜息を吐き、ロード・エルメロイII世は呟いた。

「はぁ、ミスター・纐纈(くくり)。 君は何故、重大報告を雑談のテンションで送れるのか……。」

聖杯戦争参加者同士の遭遇、交戦、ライダーの戦闘情報、未判明だったマスターの性格傾向。

どれも監督役からすれば看過できない内容であるが、まるで昼食報告の様な文章で送られてきた。

「グレイ。」

部屋を出ようとしていた彼女が振り返る。

「はい。」

「買い出しの途中で構わない。 ROPEのグループチャットを確認しておいてくれ。 後でミスター・纐纈(くくり)とビデオ通話を行う。」

「えっ? 何かあったんですか?」

グレイ が目を瞬かせ問いかけると、ロード・エルメロイII世が額を抑えながら答えた。

「大いにあった。 ライダー陣営と交戦したらしい。 しかも生還した。」

「……! 承知しました。 直ちに確認します。」

グレイは表情を引き締めてすぐに頷き、部屋を後にする。

残されたロード・エルメロイⅡ世は再びスマートフォンへ視線を落とした。

謎に包まれていたライダー陣営のことだが、キャスター陣営が撤退を選んだという事実だけでも価値がある。

あの軍師が不用意に逃げるとは考えにくい──つまり、それだけの脅威だったのだと言えよう。

『事情は少なからず理解した。
後程十五分程時間を貰いたい。
詳細を聞かせてくれ給え。
三十分後以降で都合の良い時間を返信して欲しい。』

ロード・エルメロイII世は、簡素な文章で内容の詳細希望に関する旨の返信を打ち込み、送信を済ませた。

それからスマートフォンを置くと、すぐに葉巻に火を点け、紫煙を吐きながら天井を見上げた。

「さて。 少しずつ盤面が見えてきたな。」

残るサーヴァントは少ないが、その少数こそが厄介だった。

聖杯戦争という名の終局は、確実に近付いている。

それを誰より理解しているからこそ、ロード・エルメロイⅡ世は次の報告を待つのだった──

四十分後、夕食を終えたロード・エルメロイⅡ世とグレイは、資料が山の様に積み上がったデスクの上のノートPCの前にいた。

乱雑に積まれた書類を脇へ押しやりながら、ロード・エルメロイⅡ世はROPEのビデオ通話画面を開く。

やがて着信音が一度鳴り切るか鳴り切らないかの内に、画面が切り替わった。

映し出されたのは──満面の笑みを浮かべる纐纈(くくり)と、その隣で悠然とゲーミングチェアへ腰掛けるキャスター。

まるで休日の雑談にでも来たかの様な空気だった。

『エルメロイ先生! お久しぶりです!』

『やあ。 また大分窶れている様だね。 まるで三日徹夜したゲーマーみたいじゃないか。』

ロード・エルメロイⅡ世は呑気な二人に深く息を吐き、眉間に手を置いた。

「……二人とも、久しいな。 言いたいことは山程あるが、まずは無事で何よりだ。」

『ありがとうございます!』

『おかげさまで生き延びたよ。』

どちらも笑って話す程に妙に明るく、つい先程まで命のやり取りをしていた人間とは思えない。

「お二人共、この度は戦闘の後で大変な中、お時間いただきありがとうございます。」

グレイが画面に入って口を開くと、纐纈(くくり)が両手を振り、キャスターが澄ましながら人差し指と中指を立ててハンドサインを出していた。

ロード・エルメロイII世は頭痛に悩まされながら、空気を変える様に一息つき、再び口を開く。

「さて、本題へ入ろう。 私が最も知りたいのはライダー陣営についてだ。 特にマスター、轡水京介。 今日の接触で何が見えた?」

問いを投げると、纐纈(くくり)が真っ先に手を挙げた。

『はい! めちゃくちゃキッツい性格でした! 合理的って言えば合理的なんですけどね? なんというか、冷たいというか、人間味が薄いというか。 本能的に嫌いなタイプでした!』

「なるほど。 君がそう言うのなら相当だな。」

人格評価は主観であるが、第一印象には価値があるとし、ロード・エルメロイII世はメモ書きに詳細を殴り書きし始めた。

「キャスターはどう見る?」

『ずばり、冷酷だね。 敵対者への容赦がない。 女性である私への視線も含めて、弱者への嫌悪が見えた。 断定はしないが、弱者排除思想に近いものを感じるよ。』

部屋の空気が少しだけ重くなり、グレイも表情を曇らせた。

「そうか。 少なくとも協調型の人物ではなさそうだな。」

エルメロイⅡ世の脳裏では別の計算が走っていた。

もしその思想が事実なら、──制度廃止へ向けた最後の手がかりになるかもしれない。

「続けよう。 ライダー本人についてだ。 地形利用能力とは具体的に?」

キャスターが肩を竦め、時折桃味のドリンクを飲みながら語る。

『自然そのものを戦場として扱っていたよ。 木に登り、足場にし、勢いを乗せる──彼にとって大地も森林も船も、最早全てが武器さ。』

「なるほど……。」

『正直、厄介だったよ。 私が相手にしてきた武人の中でも、相当上位だね。』

キャスターの横で頷きながら聞いていた纐纈(くくり)も、チョコレート菓子に手をつけながら口を開く。

『しかも轡水(ひすい)さんの命令には完全には従ってない感じでしたね。 ライダーなりの流儀があるみたいで。』

「王としての矜持か。」

その一言だけで、サーヴァント像がロード・エルメロイII世にはかなり見えてきた。

『まあ、それでも真名までは分かったんだけどね。』

キャスターが何気なく言った一言に、エルメロイⅡ世の手が止まる。

「……今、何と言った?」

『真名だよ。 看破できた。』

その瞬間、緊張感を蹴破る様に部屋の扉が開いた。

「おや? それはルーラーの領分じゃないかな?」

部屋に入って来たのは、ライネスだった。

「ライネスさん!」

グレイが振り返り、エルメロイⅡ世は盛大に顔をしかめた。

「何故入ってくる。」

「面白そうな話が聞こえたからさ。」

当然の様にライネスはグレイの隣へ立った。

「……失敬。 彼女はライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。 私の義妹だ。」

『ありゃ、義妹さんも一緒にいたんです? エルメロイ先生のお世話になってます、纐纈士(くくりつかさ)と申します。』

『そして私がそのサーヴァント、キャスターさ。 どうやら勘付かれてしまったみたいだね。』

ライネスは重い空気の中で呑気に語る二人に対し、楽しそうに笑いながら口を開く。

「真名看破。 本来なら裁定者(ルーラー)の権能。 七騎を超える召喚や聖杯戦争の異常事態に際して現れるサーヴァントの能力だ。」

「でも、彼女はキャスター。 本来持っている筈がないのでは?」

怪訝な表情でそう切り出すグレイに、キャスターが肩を竦めて答え始めた。

『その通り。 だから私も理解できていなくてね。 召喚された時には既に持っていた──それ以上の説明ができないというとこかな。』

『朝起きたら超能力が付与されてた、みたいな話だよねぇ。』

纐纈(くくり)が苦笑する最中、ロード・エルメロイII世とグレイが微妙な顔になり、眉間に手を置いて口を開いた。

「……この新制度、本当に碌なことをしないな。」

ルーラー不在、本来あり得ないスキルの付与、異常な召喚形式、異常な参加資格──問題点を挙げれば切りがないが、今は分析よりも現実である。

「その件は何れ調べよう。 今はライダー陣営の情報が優先だ。」

『了解です! ガッツリ知ってる訳でもありませんケド、話せる分だけ話ます!』

『ふふふ。 参考程度でも良ければね。』

こうして会談は、十五分の予定は二十分になり、更に二十分は三十分になった。

終局が近いからこそ、断片でも多くの情報が必要だった。

ロード・エルメロイⅡ世は記録を取り続ける。

それが、この歪んだ聖杯戦争を終わらせるための一歩になると信じて──

都内某所、高層タワーマンションの一室──

窓の向こうでは夕日が街並みを朱に染め始めていた。

だが、その光は厚い遮光カーテンによって大半が遮られている。

室内を支配しているのは、デスクトップの青白い光だけだった。

先刻キャスター陣営との激戦を終えたライダー陣営は、既に帰宅していた。

ライダーは自らの手で傷の手当てを行っている。

左肩も脇腹も前腕も、いずれも浅く致命傷には程遠いが、確かな戦果だった。

その様子を轡水(ひすい)は無言で見つめていた。

タピオカミルクティーを持つ手の人差し指だけが、苛立ちの癖によって一定のリズムで容器を叩いている。

「それで、ここからどうする? 真名が割れた。宝具は使えるのか。今後どう動く?」

重く放たれた問いに、ライダーは手当の動きを止め、静かに顔を上げた。

「既に考えている。 キャスターは三手先を見る。 ならば私は四手先を見る。 戦場の勘を存分に使うのだ。」

幾多の島を制し、幾多の戦を潜り抜けた王の経験としての言葉だった。

「今必要なのは鍛錬。 それだけよ。」

「曖昧だな。 見切り発車じゃないか。 キャスターだけじゃない。 セイバーもランサーもいる。 お前はまだ誰の全力も見ていない。」

ライダーは動じないどころか、少しだけ笑ってみせた。

「確かに。 だが、あの二騎は実直だ。 目を見れば分かる。」

「そうか。」

「正面から来る者は読みやすい。 奇策を巡らせる軍師の方が厄介だ。」

その言葉に轡水(ひすい)は敢えて否定はせず、小さく頷く。

「なら、好きにしろ。 戦場での判断は任せる。」

鼻を鳴らしながらタピオカミルクティーをデスクに置いた、その時──

──ブルルッブルルッ

机上のスマートフォンが震え、映し出された画面には化野菱理の名が見えた。

轡水は即座に通話を取り、スピーカーモードへ切り替えて机へ置く。

「……化野か。」

轡水(ひすい)様、お疲れ様でございます。定時連絡のお時間です。』

いつも通りの柔らかく、だが底の見えない声だった。

「手短にな。」

『ええ。 その前に──そのご様子ですと、今日は何か収穫があったようですね。』

僅かな笑みが含まれた声に、轡水(ひすい)の眉が僅かに動いた。

「見透かした様な言い方をするな。」

『違いましたか?』

「……キャスター陣営と接触した。 諸事情で仕留め損なったがな。」

『……! ふふっ。』

数秒の沈黙の後、電話越しに笑い声が漏れ、轡水(ひすい)の表情が険しくなる。

「何が可笑しい。」

『いえ。 貴方がそこまで悔しそうに話すのは珍しいと思いまして。』

「……。」

キャスターを逃した事実が気に入らない──図星だった。

それでも轡水(ひすい)は冷静に続ける。

「だが成果はあった。 キャスター(あの女)は体力は低い、纐纈士(くくりつかさ)との連携が生命線、逃げ足は速い、観察眼は異常。 これらを逆手には取れる。」

ライダーも消毒した患部に包帯を巻きながら静かに頷く。

まさに同じ結論へ達していたのであろう。

『成る程──素晴らしい。 そのまま勝利へ辿り着けば、貴方の理想も現実になるかもしれませんね。』

化野による轡水(ひすい)の理想の話が、また相も変わらず出てきた。

これまで流してきた轡水(ひすい)も、いよいよその点について問いを投げ始める。

「以前から気になっていたが……何故そこまで僕のそれに執着する。」

『執着ではありません。 興味です。』

「興味だと?」

『えぇ。』

淡々とした返答に部屋が静まり返り、ライダーだけが黙って聞いていた。

「魔術師の思考は、相変わらず理解できない。」

『よく言われます。』

轡水(ひすい)の嫌味に対して、化野の声はどこまでも穏やかだった。

『では、本日は以上で。 引き続きよろしくお願いします。』

長話を好まない轡水(ひすい)に合わせる様に、化野は手慣れた所作で終話に持っていった。

場に合わない軽い電子音が響き、部屋は再び静寂へ戻ってゆく。

「賛同している様には聞こえぬが、其方の理想は理解している様だな。」

手当を終えたライダーが、テーブルの上の茶に手をかけながらそう語ると、轡水(ひすい)は鼻であしらいながらタピオカミルクティーを机へ少し強く置く。

「理解など不要だ。 共感も承認もいらない。 これは僕の計画だ。」

ライダーは黙って聞きながら、鋭い目を見せる轡水(ひすい)を一瞥した。

「飽く迄これは自らとの闘いだ。 だからお前には、その突破口になってもらう。」

「動機はさておき、私は私の意思で勝ちに行く。」

それだけを告げると、ライダーは立ち上がって、夕陽が沈みゆくベランダへ出た。

その瞳は、その光を静かに映していた。

そこには戦士としての覚悟と、王としての威風が同居している。

決戦の日は遠くない、その事実だけが確かに近付いていた──