一方その頃──

同じ栄植(さかえ)にあるアニメショップでは、亜梨沙が推しアニメのグッズを籠に山ほど積み上げていた。

キャンペーンくじの為に、少しでも多く会計を重ねようという算段である。

「よし、これだけあればくじも引けるな。……何回分くらいだ?」

ランサーが亜梨沙に陽気な笑顔を向け、彼女の持っていた籠をさり気なく手に持ち話しかけた。

「七百円で一回だから……七回は引けるね。」

彼女の誇らしげな声色には、五千円近い出費など痛くも痒くもないという“推し活”の矜持が滲んでいた。

「おぉ! 七回もあれば、一つや二つは当たるだろ! さぁ、行こうぜ!」

「……うん。 当たります様に。」

二人は戦場に臨む兵の如く意気込み、レジへと歩を進める。

──会計を終えると、店員がくじの箱を取り出し、にこやかに告げた。

「七回分ですね。 どうぞ、こちらでお引きください。」

二人は小さなスペースに通され、亜梨沙の闘いが始まる。

狙うは推しキャラクターのフィギュアであるB賞、ただ一つ。

「(……一発で当たっちゃったらどうしよう。 それよりも、まずやらなきゃ!)」

息を呑み箱へ右手を差し入れ、掴んだ三角くじを開くと──

L賞

所謂実質敢闘賞であり、ランダムシール一枚だった。

「……はい、一回目はL賞です! まだ六回ございます。 頑張ってください!」

見るからに残念そうな亜梨沙を見た女性店員が、彼女を励まそうと両手の拳を握りながら気を使う様に励ました。

その横で、ランサーも肩を軽く叩き、快活に笑う。

「はっはっは、店員の姉さんの言う通りだ! まだこれからだぞ、亜梨沙!」

「……ありがとう、ラン──スシャント。……お姉さんも、ありがとうございます。」

ランサーの笑顔の励ましに、亜梨沙も気力を取り戻し、再度くじ引きの箱に手を入れる。

しかし、やはりくじの結果はまたL賞だった。

亜梨沙はまた残念な気持ちでシールを受け取るが、この時は何かが違っていた。

「……あぁ! ディーノのシールだ!」

「おぉっ、推しじゃねぇか! 亜梨沙、流れが来てるんじゃねぇか?」

偶然の巡り合わせに彼女の表情が一気に明るくなり、ランサーがつられて高揚を見せる。

その二人の光景は、見守る店員の胸をも温かくさせた。

「では……お兄さんも一枚、いかがです?」

「えっ、オレも? 亜梨沙、どうするよ?」

不意の提案に戸惑うランサーへ、亜梨沙が小さく笑う。

「いいと思うよ。……(あたし)だけじゃなくて、スシャントも一緒に楽しもうよ。」

亜梨沙が頷きながら笑顔を見せると、ランサーも同じく頷き、くじ引きの箱に右手を入れる。

そして、亜梨沙が心臓を高鳴らせながら、ランサーが三角くじの点線を開くのを見守ると──

B賞

「……えぇっ!? スシャント……それ、(あたし)が狙ってたやつだよ! やったー!」

普段は内気で大人しい亜梨沙も、こればかりは推しのライブの時程まではいかずとも、声を張って喜びをランサーにぶつけた。

「おめでとうございます! お兄さん、良いところを見せられましたね!」

「あぁ……あはは。 なんだか、オレが美味しいところを持って行っちゃった気もするけどなぁ。」

流石のランサーも、亜梨沙が楽しみにしていたくじ引きを、自分が引いてしまったことに困惑しているのだろう。

しかし、そんな彼に対して亜梨沙が首を振ってこう返す。

「いいの! 当たったことには変わりないんだから!……スシャントのお陰だよ。」

「……そうか! ならオレも嬉しいぜ! はっはっは!」

喜びを分かち合った二人は、はち切れる様な笑顔でハイタッチを交わした。

当然、その姿を女性店員がまた微笑ましく眺めていたのは言うまでもない。

──それから残りのくじを引き終えた二人は、祝勝会と称して近くのインド料理店で食事をしていた。

「やっぱり、良いことがあって食べる煮込みは最高だな!」

「ふふ、ランサーのお陰で、もっと美味しく感じるよ。 沢山食べてね。」

ナンを豪快にちぎり、煮込み……もといカレーに浸すランサーの姿を見守りながら、亜梨沙の笑顔は絶えなかった。

足元に置かれたグッズとB賞の箱が、今日という日の証である。

ふと、ランサーが店内の絵画に目を留め、声を上げる。

「……あぁ。 あの絵画、なんだと思ったら……親父と母上、兄貴にオレか! 随分と美化されてんなぁ!」

そこに描かれていたのは、青黒い肌の威厳ある男性と、その膝に見覚えのある槍を持つ少年。

隣には慈愛に満ちた女性と、顔立ちは異形ながら愛嬌ある少年。

まるで家族写真の様な一枚だった。

「えっ、やっぱりそうなんだ! でも、確かにランサーは絵の方が優しそうかも……。やっぱり、美化されちゃうものなの?」

「神ってのは、話も姿も脚色されやすいからな。……まぁ、その分、堅っ苦しくもなっちまうけどな。」

笑い飛ばす様に言うランサーに亜梨沙もつられて笑い、二人の祝勝会は和やかに続いていった。

一方、同じく栄植(さかえ)のゲームセンター──

格闘ゲーム大会の熱気は最高潮に達し、いよいよPyroMindことキャスターの出番が訪れようとしていた。

会場がこれまでにない盛況を見せるのも当然である。

配信界隈では知らぬ者はいない存在が、今まさにその腕を披露しようとしているのだから。

纐纈(くくり)もその観客の一人として、筐体のUSBハブに愛用のゲームパッドを接続するキャスターを、笑みを浮かべて見守っていた。

「よろしく。 盛り上がる試合をしよう。」

「……はい。 よろしくお願いします。」

余裕の笑みを浮かべるキャスターに対し、対戦相手は明らかに緊張で体を強張らせていた。

プロ顔負けの配信者を前に平常心を保つこと──それは素人にとって容易ではない。

「さぁ、それでは参りましょう! 対戦準備をどうぞ!」

司会者の声が響くと、大画面にはキャスターの操る中華服の女性格闘家と、対戦相手の操る力士が映し出される。

こうして、誰が勝つか全く予想の付かない闘いが、今始まろうとしていた──

──が、全くそんなことはなかった。

キャスターの冷徹なまでに正確なコンボが、相手をまるでおもちゃの様に翻弄し、三ラウンドを通じて危なげなく圧倒した。

会場の大画面の中で、中華服の女性格闘家が無邪気にはしゃぐ姿が映し出される。

「勝者、PyroMind!! 配信で見慣れた光景! まさにそのままの強さでしたぁ!」

観客の興奮は爆発し、司会者も熱に浮かされた様に叫ぶ。

試合を終えたキャスターは相手と笑顔で握手を交わした。

「対戦ありがとう。 次はオンラインで一戦交えよう。」

「PyroMindさん……参考にならないくらい強すぎました!」

軽口を交わす二人の姿に、観客の熱気は更に高まっていった。

纐纈(くくり)はその様子を見て、静かに頷く。

やがてキャスターは連戦を重ねても一切の隙を見せず、ついに決勝戦へと駒を進めた。

「さぁ、決勝戦です! 1P、PyroMind! 2P、まれお!」

決勝の相手は“まれお”──名の知れたプロゲーマーであり、緻密な戦術で幾多の大会を制してきた猛者だった。

だが、そんな相手を前にしてもキャスターは臆することもない。

否、寧ろ彼女は心が躍る様に笑っていた。

「(ふふ、この感じ……私を唯一戦術で負かせたかの軍師を相手にするかの様な感覚だね。)」

そう、生前のかつて大都督デビュー戦であたった軍師の策にかかり、相手の大将の首を打ち取り損ねたことがあった。

尤も、それも彼女にとっては更に成長しようと思えた、良い思い出でもあったという。

「さぁ、大激闘が予想される決勝戦が、今始まります!! 対戦準備をどうぞ!!」

会場の熱狂が沸騰するなか、大画面に映し出されるのは、キャスターの中華服の女性格闘家と、まれおの操る金髪の男性格闘家。

この決勝戦は、流石のキャスターも苦戦必須の激しい試合となるだろう──

──と思うであろう?

序盤は互いの動きを窺う様な静かな立ち上がりの均衡を破ったのは、キャスターだった。

読み合いを制し、彼女が難なく一本を先取する。

続く二ラウンド目も圧倒し、観客が悲鳴の様な歓声を上げていた。

「おい、まれおから二本先取!?」

「PyroMind、ヤバすぎる!」

ドーム会場さながらの熱気が吹き荒れていた。

「(PyroMind……やっぱりすげぇや!!)」

対戦相手のまれおも、予想外の遅れを取ったことに唖然とするも、キャスターの確かなスキルに思わず熱が入り、見るからに心が躍っていた。

そのまま第三ラウンドに突入した途端、突然キャスターの動きが悪くなった。

されるがままにまれおのペースに巻き込まれていったが、彼女の顔には焦りはなく、それどころか笑っている。

「(……あれ? PyroMind、どうしたんだ? 何かありそうだけど……。)」

疑心暗鬼になったまれおは、それでも連撃の手を止めることなく、大技に入ろうとしたその時──

「……読み通り!」

まれおの大技が振り下ろされた瞬間、キャスターは特殊なガードを完璧なタイミングで発動し、全てのダメージを相殺した。

観客は総立ちとなり、司会者が狼狽えながらも叫ぶ。

「これは……背水の逆転劇だぁ! PyroMind、奇跡を再現するか!?」

司会者の言葉の通り、ここからのキャスターの動向は、まるで物語のクライマックスの様な逆転劇だった。

嵐の様に迫りくる足技の圧倒的な逆襲の末、金髪の男性格闘家は倒れ、女性格闘家の無邪気な勝利ポーズが大画面を飾る。

「勝者、PyroMind!! この時代に復活した背水の逆転劇で、まれおに勝ちましたぁ!!」

轟く歓声と拍手の中、対戦相手のまれおでさえ立ち上がり、惜しみない拍手を笑顔で送った。

勝者となったキャスターはキャップのつばを軽くずらし、観客席の最前列にいた纐纈(くくり)のもとへ歩み寄る。

「ふふふ、(つかさ)。 私が優勝したよ。」

「イェーイ! やったね、キャス──PyroMind!」

二人はフィストバンプで喜びを分かち合った。

「……あれ? あの人、PyroMindと親しそうじゃない?」

「友達? いや、まさか……!」

会場にいたPyroMindファンの間で、少ししたどよめきが起こっていた。

大会の全工程が終わると、キャスターは女性ファンに囲まれていた。

「PyroMindさん、配信のまんまのプレイで、本当(ほんっとう)に感動しました!」

「さっきフィストバンプしたお兄さん……彼氏さんですか? 優しそうな人ですね!」

配信で『自分の性別なんて忘れてしまったよ。』と語る彼女は、男女を問わず人々の心を動かしてきた。

だからこそ、誰もがその存在に関心を寄せていたのである。

「ふふ、そう見えるんだね。 確かに彼は……すぐに否定せず、好奇心旺盛で面白い男だよ。」

キャスターは、纐纈(くくり)が彼氏かどうかには答えずとも、素直に彼を評した。

その頃、その近くで纐纈(くくり)もキャスターの男性ファン達に囲まれて、様々な会話をしていた。

「お兄さんってPyroMindさんの彼氏さんか何かですか? お似合いですよ?」

ファンはその様な前向きな言い方をしていたが、内心そわそわしていることが周囲の目に見えて分かっていた。

しかし、そこに気付かないまま纐纈(くくり)があっさりとこう返す。

「んえ? あぁ、それが違うんですよぉ。」

この返答はキャスターの耳にも届いており、彼女は女性ファンと話し合いながらも、興味深そうに纐纈(くくり)の方へ耳を(そばだ)てた。

「言うなら……この人生でこれ以上ない相棒ってとこでしょうかねぇ。」

一切の曇りも下心もないその言葉に、男性ファンの心も晴れていく。

「(ふふふ。 (つかさ)、キミって奴は。)」

その様子を見ていたキャスターも、意外な返答に少し呆れながらも、優しい気持ちで目を細めていた。

一方、栄植(さかえ)街中(まちなか)──

散歩中のライダーは、コンカフェの客引きに呼び止められ、僅かに足を止めていた。

「逞しいおじ様、コンカフェはいかがですか?」

「初回のお客様は、一時間分の料金が無料ですよ!」

街の喧騒に紛れても、必死な声色は耳に届く。

彼女達にとって、客引きは生活と賃金を繋ぐ綱であり、法的には許されぬ行為であっても現実に消えることはない。

「ふむ……すまぬな。 私は寄るべきところがある。 暑さに倒れぬ様、励むがよい。」

ライダーは微笑を残し、断る言葉にすら気遣いを忘れない。

無論、当てのない散歩自体が趣味の彼に、寄るべきところなどなかった。

只の優しい嘘として、王たる者の相手を傷つけぬ方便である。

彼が再び歩を進めたその時──

人波の中で、一人の少女が不安げに立ち尽くしていた。

両親を見失い、必死に周囲を見渡している観光客の娘らしい。

ライダーは静かに近づき、膝を折って視線を合わせると、英語で語りかけた。

『どうした、お嬢ちゃん。 親とはぐれてしまったのか?』

『……うん。 日本なんて初めてだし、スマホもないし……どうしていいか分かんなくて。』

異国の雑踏に置き去りにされる不安は、大人でさえ心を折る。

ましてや、子供なら尚更恐怖でしかなかろう。

『ならば、近くの交番まで行こう。 その間に両親を探そう。』

『……ありがとう、おじちゃん。』

本来なら”知らない大人に着いて行かない様に”と世界中で教えられることである。

だが、この少女は迷いなく彼の手を取った。

そこに漂う安心感は、説明不要のものだった。

人混みの街を並んで歩く中、ライダーは少女を庇いながら、左右を鋭く見渡す。

やがて交番に辿り着くと、そこでは外国人夫婦が警察官に必死で事情を訴えているところだった。

その様子を見て、少女が口を開く。

『パパ! ママ!』

『メリッサ!!』

娘の声に、両親は振り返り、次の瞬間には涙に濡れた抱擁が交わされる。

『無事でよかった……! メリッサ、ごめんよ……! パパがちゃんと見てなかった所為で……!』

『大丈夫だよ。 だって、このおじちゃんが助けてくれたんだもん!』

対照的に涙すら落としていない少女が差し示したその先にいるのは、当然ながらライダーである。

『そこの見知らぬ貴方……本当にありがとうございました! ここで英語が通じる人に出会えるなんて……!』

両親はライダーの手を取り、涙ながらに感謝を惜しまなかった。

『否、礼には及ばぬ。 私は只、為すべきを為したまでさ。 其方らの旅路が良きものであることを祈る。』

『……ありがとうございます! 貴方にも、良き一日を。』

それは王として当然の行いであった。

善を学び、善を示す者にとって、特別ですらない。

そして三人と一人はそれぞれの道へと別れた。

去り際のライダーの顔には、説明のいらぬ微笑みが只静かに浮かんでいた。