次の日のこと──
都内を走る黄色いラインカラーを纏った電車が栄植駅に滑り込み、扉が開くと同時に人々が雪崩の様に吐き出されていく。
その流れの中に、セイバーと一竜、アーチャーと恵茉の四人の姿もあった。
「それにしても、栄植に来るのは久しぶりだなぁ。 ここ最近は課題やら聖杯戦争やらで、真面に遊びに来られなかったからさ。」
「うん、わかる! それに私達、来年から就活も始まるでしょ? 今のうちに楽しまないとねぇ。」
大学二年生の一竜と恵茉にとって、就職活動という波は確実に迫ってきている。
ましてや、聖杯戦争の渦中にある身であり、こうして肩の荷を下ろせるひと時こそ、掛け替えのない時間に違いなかった。
初めて寄る街の駅構内を見渡していたセイバーは、ふと一竜に視線を向ける。
「一竜殿、この街にはどの様なものがあるのでしょうか?」
「あぁ、ここは“遊びの街”だよ。 アーチャーが行こうとしてるロードバイクの店は勿論、アニメや漫画、パソコン、家電にゲーム……ありとあらゆる娯楽が揃ってるよ。 もちろん、ボードゲームも!」
その言葉に、セイバーの瞳がぱっと見開かれる。
輝きを宿したその眼差しは、戦場での光にも似て鋭かった。
「むっ、それは興味深い……! では、早速参りましょう!」
「おいおい、待ってくれって。 元はと言えば俺の買い物に付き合って貰う話だろう? 遊ぶ時間もちゃんと作るからよ。」
興奮気味のセイバーを宥める様に、アーチャーが苦笑まじりにツッコミを入れる。
四人はそんなやりとりをしながら改札を抜け、巨大なヴィジョンが鳴り響く喧噪の街へと足を踏み入れていった。
一方、その二本前に走っていた同じ路線の電車内――
休日で混み合う車内にて、亜梨沙とランサーが並んで吊革に掴まり、同じく栄植を目指していた。
アニメショップで行われるくじ引きキャンペーンを心待ちにしている亜梨沙の胸は高鳴り、ランサーがそんな彼女を見守る様に声を掛ける。
「亜梨沙、どうだ? 勝算はあるか?」
「はは……ランサー、くじって運だから勝算もなにもないよ。 でも、当たるといいなぁ。」
「ははっ、それもそうだな。」
人混み故にランサーも大声は抑えていたが、二人の空気はいつもと変わらず温かい。
「特に推しキャラのグッズが当たるまでは、まだ死ねないからね。」
「おいおい亜梨沙、お前は死なせねぇって言ったろ? どうせなら、当てたグッズを“生きる糧”にでもしてやろうぜ!」
互いに笑い合い、ランサーは健闘を祈る様に親指を立ててみせた。
こうしてまた、偶然にも同じ街へと歩を進める陣営がひとつ、姿を現そうとしていた。
更に一方、同じ頃──
栄植のゲームセンターでは、有名な2D格闘ゲームの大会が開催されていた。
イベントスペース前には、参加者達が列をなし、熱気で空気がひりつく程である。
その列の中に、何やら異質のオーラを放つ一人の女性の姿があった。
白いシャツの上に黒の半袖パーカー、同じく黒のキャップを目深にかぶり、黒のホットパンツにニーソックス、足元は軽快なスニーカー。
いかにも街に溶け込む風貌だが、その立ち姿には隠しきれない自信が漂っていた。
いよいよ、彼女の受付の番が来る。
「こんにちは。 こちらにファイターネームをご記入ください。」
スタッフが笑顔で案内すると、女性はキャップのつばから覗いた口元に柔らかな笑みを浮かべ、さらりとペンを走らせた。
そして──記入された名前を見た瞬間、スタッフの表情が凍りつく。
“PyroMind”
「えっ……!? えぇぇっ!? まさか……本物ですか!?」
驚きのあまりパイプ椅子をひっくり返すスタッフの慌てぶりに、周囲も騒めき立つ。
ハッキリ言って、場がそうなることは無理もない。
数ヶ月前に彗星の如く現れ、今や動画投稿サイトで登録者二百万人を突破したプロゲーマー顔負けのゲーム配信者──それこそが“PyroMind”だったのだから。
スタッフの問いに、女性はキャップのつばを指で押し上げる。
「あぁ……本物さ。」
その下から現れたのは、余裕と知略を湛えた微笑みを浮かべるキャスター本人の顔だった。
場内は更に騒然とし、彼女の後ろに並んでいた参加者達の間にも動揺が広がっていく。
「おぉう、やっぱり盛り上がってるねぇ。」
遠巻きにキャスターの様子を眺めながら、纐纈はゼロカロリーコーラを片手に満足そうに頷いた。
そんな彼の元にも、実は危うい状況が迫っていた。
それは、その場に冨楽が偶然足を踏み入れていたことである。
「(……格ゲー大会か。 なんだか騒がしくなりそうだし、別のゲーセンに行くか。)」
冨楽は音楽ゲームの音に集中したいが為、肩を竦めて会場を後にする。
結果として──纐纈にとっては、まさに不幸中の幸いとなった。
やがて少し時が過ぎ、栄植駅前のバスターミナルに民営バスが到着した。
そこから悠然と降り立った一人の偉丈夫こそが、ライダーである。
彼は日課の散歩に飽き足らず、近頃は公共交通を用いて遠出までする様になっていた。
「ふむ……この街は異国の民も多く歩いているのだな。 実に興味深い……。」
一度は栄植の近辺を訪れたことのある彼だが、こうして多国籍の観光客で賑わう街中を歩くのは初めてだった。
その光景に、生前の王としての知見が、どこか胸を高鳴らせる。
なお、マスターである轡水は相変わらず自宅でデイトレードとドキュメント作成に没頭中だった。
この喧噪の地に自ら足を運ぶなど、彼には決して考えられぬことだろう。
こうしてライダーのちょっとした異国情緒の散歩が、ひっそりと幕を開けるのであった。
各陣営がそれぞれの楽しみを胸に、奇しくも同じ栄植に集う中──
その一角、大型サイクルショップの店内では、アーチャーが宝物庫を覗くかの様な眼差しでロードバイク用品を次々と手に取っていた。
「おぉ! この小物入れ、実に洒落てるじゃねぇか! ドライブレコーダーも種類が豊富だな! おっ、このハンドルバーテープも捨てがたい!」
興奮のあまり声を弾ませるアーチャーを見て、恵茉は呆れた様に笑みを浮かべた。
「はは。 本当、少年のまま大人になった感じだよね。」
横では一竜とセイバーも、数々のロードバイクやパーツを興味深げに眺めていた。
「アーチャーがいつも跨っている乗り物には、これほど多くの種類があるのですね。 色も違えば、形も違います……。」
「あぁ、そうだな。 一度見始めるとつい夢中になるよな……。 でも、一台で十万円以上なんて、学生のオレには到底手が出ないよ。」
ロードバイクは“ママチャリ”と呼ばれる一般的な自転車とは全く別物である。
速さも機動性も価格も桁違いで比べ物にならず、安価でも六万円以上、高級品は──
「まぁ、このロードバイクは安い方だからね。 アーチャーのなんて百六十万もしたんだから。」
「……っ、えぇぇっっ!? 流石、美穂川さん……!」
思わず目を剥く一竜に、恵茉は肩を竦めて笑った。
「いやまぁ、親のお陰だけどね。」
更に突き詰めれば二百万円に迫る車種すらあると知り、学生の彼には只々驚愕するしかなかった。
やがて、アーチャーは両腕いっぱいにカスタムパーツを抱え、上機嫌で恵茉の元へ戻ってきた。
「よし! 恵茉、早速レジへ行こうぜ! これくらいなら足りるだろ?」
「あぁ、合計三十万くらいね。 大丈夫、カードの枠にも余裕あるから。」
まるで世界の違う会話を聞いた一竜は、美術館の彫像の様に固まり、その場で石像と化した。
買い物を終えたアーチャー陣営の元へ、セイバーが歩み寄る。
「恵茉殿、アーチャー。 良き買い物が出来た様で何よりで御座います。 ──さて、次はボードゲームショップですね。」
「はは、そうだね。 付き合ってくれたんだし、今度はセイバーの番かな。」
店内では落ち着いていたセイバーも、その声には僅かな熱が滲む。
次なる目的地を待ちきれず、思わず足取りが早くなるのを一竜が軽く笑いながら押さえ込んだ。
「セイバー、あんまり急かすなって。」
「まっ、いいじゃねぇか! 遊ぶ時は遊び尽くすのが一番だよ!」
肩を竦めて笑うアーチャーが一竜の背を軽く叩き、場を宥める。
こうして一行は次なる店──ボードゲームショップへと足を進めた。
しばらくして、店に入るや否や、セイバーの瞳は少女の様に輝いた。
様々な棚の中に整然と並んだ数々のボードゲームに、まるでショーケースのトランペットを前にした海外の少年の様に目を奪われている。
「あはは。 セイバーのやつ、夢中になりすぎて周りが見えてないな。」
「ふふ、サーヴァント二人とも似たり寄ったりだよね。」
一竜と恵茉が顔を見合わせ、先程のアーチャーの姿を思い出して笑い合う。
その横で、アーチャーも棚を見渡しながら感心した様に唸った。
「ほぉ……。 この時代のボードゲームは、チェスやチェッカーやバックギャモンだけじゃないのか。 随分種類が豊富だな。」
「あぁ、世界各国のものもあるし、日本発のカードゲームも沢山ある。 沼にハマったら抜け出せなくなっちゃうぞ。」
高校時代はボードゲーム部のトップクラスだった一竜が解説する声には、楽しさが滲み出ていた。
余談だが、十九世紀頃のアメリカでは庶民がチェッカーやバックギャモンで遊び、貴族はチェスを嗜んだという説もある。
「一竜殿。 これら三つ、気になりました。 これより買って参ります。」
セイバーが棚から取り出した三点を持ってくると、一竜は思わず目を剥いた。
「どれどれ……うっ、合計一万円越え!?」
学生にとっての一万円は、社会人の十万円に匹敵する重みを持つ。
一竜にとっては、これも容易に払える額ではなかった。
しかし、セイバーが胸を張って言う。
「ご心配なく、一竜殿。 これまで剣道部の指導で得た報酬があります。 これは全て私の手持ちで。」
「あ……あぁ、そうか。 自分で頑張って稼いだ日当か……。 オレもアルバイト探さなきゃな。」
普段は仕送りでやり繰りする一竜だが、生活費と学費に圧迫されているのも事実である。
彼はセイバーの姿に背を押され、この先は奨学金を減らすためにも、自らもアルバイトをする決意を胸に刻んだ。