梨園町の暴動事件から、一夜が明けた頃。

世間では、事件終結の報と同時に噴き出した数々の情報に、未だ混乱が収まっていなかった。

不良集団の暴動と、それを制圧した古井戸組組員の存在。

ビル解体現場付近で響いた異様な轟音。

上空に突如として現れた、正体不明の異形の影。

そして──それを一撃で“蒸発させた”と噂される、巨大な光の柱。

これら不可解な出来事は、各局の報道やネットニュースでも断片的に語られていたが、いずれも決定的な説明には至らず、謎の多い一連の騒動として扱われている。

無論、その真相を知る者は限られていた。

セイバー陣営、キャスター陣営、古井戸組、シリル、そして──後に言伝てられたロード・エルメロイII世のみ。

その日の昼下がり。

一竜は叡光大学構内の、いつもの休憩所にいた。

午後の講義を控え、昼までの講義を終えた恵茉と並んで、自販機のアイスを頬張っている。

「なるほどね……。 それで私市くん、見るからに疲れてたんだ。」

最中(もなか)でアイスミルクとチョコレートを包んだアイスを食べながら、恵茉は半ば納得した様に頷いた。

「そうなんだよ。 魔術師がルールを破って新しいサーヴァント・フォーリナーを呼ぶし、精神干渉も受けるし、慣れない肉弾戦までやらされるし……普段じゃ感じない疲労が、一気に来たよ。」

昨夜の出来事を語れる相手は、同じ聖杯戦争の参加者である恵茉だけである。

そして、たった一晩で癒える様な疲れではないであろうことも、彼女もよく分かっていた。

「うんうん、大変だったね。 でもさ、これで一先ずまた変な騒動は起きないで済むんでしょ?」

「うーん……そうなんだけどね。 肝心の聖杯戦争が、まだ終わってないしなぁ。」

そう。昨夜は“全ての終わり”ではなく、飽くまで戦争の最中に起きたイレギュラーが収束しただけに過ぎない。

現時点で尚も五陣営が残存しており、聖杯戦争の終幕はまだ遠かった。

「でもさ、纐纈(くくり)さんとキャスターの連携、 想像以上に戦闘向きだったよ。 機転も効くし、勘も鋭いし……それに纐纈(くくり)さん自身、格闘技経験者みたいだったし。」

「あー……それは確かに敵に回したら、相当厄介だよね。 あの二人、予想外の行動とか平気でやりそうだし。」

そんな会話を交わしている内に、二人の手にあったアイスはいつの間にか食べ終わっていた。

恵茉が包装紙をゴミ箱へ捨てながら、ふと思い出した様に口を開く。

「そういえばさ。 こっちも最近、ちょっと面白いことがあってね。」

「ん?」

プラスチックの棒の残りのアイスを舐めながら、一竜が恵茉の話に耳を傾けた。

「アーチャーとランサーが、すっかり気が合っちゃって。 ロードバイクとランニングで競い合って遊ぶのに、亜梨沙さんと一緒に付き添ってるんだ。」

「あぁ。 あの二人、あの時の居酒屋の時点でめちゃくちゃ仲良かったもんな。 それなら、しばらく争うこともないんじゃないかな?」

一竜は、空になったアイスの棒と包装紙を捨てながら、呑気に言った。

だが、それに対し恵茉は少し間を置いてから言葉を選ぶ。

「……それがね。 その話なんだけど。」

「?」

呆れた様な言い方に変わった様子の恵茉に、一竜が身を乗り出した。

「あの二人さ。 存分に語り合って、交流を深めた上で──一点の悔いもなく、刃を交えたいんだって。」

「えぇ!? せっかく仲良くなれてるのに、なんで!?」

「ある種のスポーツマンシップなのかもね。 “信頼し合える相手同士で、本気の勝負がしたい”って。 二人共、意見が一致してたみたい。」

本来、戦いとは生きるか死ぬかの、血生臭いものである。

だが、生前から幾多の修羅場を越えてきたアーチャーとランサーにとっては、楽しさと真剣さが両立する相手こそが、望むべき舞台なのだろう。

「……そう考えるとさ。 いつかセイバーとキャスターが戦う未来も、案外そう遠くないのかもなぁ。」

「そうだね。 でも今は今で、少し腰を下ろして行こっか。」

「うん。 セイバーもあれから、剣術とか居合斬りの動画を前より熱心に見る様になったし。 今日の剣道部コーチのバイトも、気合充分みたいだし……いつでもやる気って感じだよ。」

穏やかな昼の空気の中で、それでも確かに聖杯戦争という歯車は回り続けている。

この戦いも静かで、しかし確実なゴールが近づきつつある。

それが明日なのか、それとも、まだ幾ばくか先なのか──

今の彼らには、まだ知る由もなかった。

同じ頃、とあるアパートの一角──

昨夜の騒動で蓄積した疲労と、転倒した時に打った後頭部の余波を引きずりながら、纐纈(くくり)は布団に身を沈め、ノートPCを膝に載せて仕事の案件探しを続けていた。

幸い、後頭部にできたのは軽い瘤一つで、氷嚢を患部に当てつつヘッドバンドで固定していれば、日常生活に支障が出る程ではない。

「それにしてもさ……サーヴァントって、本当(ほんと)羨ましいよねぇ。 キャスターみたく体力あるタイプじゃなくても、人間より回復力が段違いなんだもんさぁ。」

ぼやく様に言う纐纈(くくり)の横で、当のキャスター本人は、まるで昨夜の死線など存在しなかったかの様に、今日も今日とてゲームコントローラーを握っていた。

「ふふふ。 私にかかれば、あの程度の疲労なんて軽い仮眠とこの一本の魔剤──クリーチャーエンジンさえあれば、魔力回路はフル稼働さ。」

時折エナジードリンクを飲みながら嘯き、雑談と余所見を挟みつつも、FPSでは的確に相手を仕留め着実に差を広げていく。

その立ち回りはいつも通りの腕前で、昨夜の激戦を一切感じさせていなかった。

「それにさ。 昨晩の古井戸組長から貰った情報のお陰で、もう退場済みとはいえアサシンの裏取りもできたしね。」

キャスターは画面から視線を外さず、幾多の対戦相手を一体ずつ倒しながら淡々と続ける。

「今となっては戦況を左右する程の収穫じゃないけど、私の“隠された力”に狂いがなかったって確認できたのは大きいよ。」

昨夜の騒動の後、キャスターらはかつてバーサーカーを討ち取った件について、古井戸組長をはじめとする構成員達から直接感謝の言葉を受け取っていた。

その場で見せられたのは──亡き猪狩晶真とのツーショット写真、そして構成員達と自然に肩を並べるアサシンの姿──

アル・カポネという名の男が、“現代に帰ってきた痕跡”だった。

「だよねぇ。 キャスターのその力が何なのかは置いといてさ……アサシンの正体も、やっぱりアル・カポネったし! 一度くらい生で見てみたかったよ。」

案件一覧をスクロールしながら目を輝かせて語る纐纈(くくり)に、キャスターは思わず小さく笑みを零す。

「ふふふ。 (つかさ)は、本当に興味と好奇心の守備範囲が広いよね。」

やがて試合が終わりひと息ついたキャスターは、椅子の背もたれに体を預けながら、ふと思い出した様に微笑みながら続けた。

「まぁ……私としてはね。 セイバーの真名に辿り着けなかったのが、軍師として唯一の心残りかな。」

「あぁ、確かにね。 居合斬りを使う女性武士って、そもそも誰だろって話だよね。」

纐纈(くくり)が顎に手を当てて考え込むと、キャスターがどこか楽しげにニヤリと口角を上げた。

「ふふふ。(つかさ)には、あの技が“先天的なもの”に見えていたのかい?」

「んえ? あぁ、そうか! 確かに、達人の居合と比べたらまだ大振りっていうか、力任せっていうか……!」

「その通り。 あれは後天的に積み上げた剣技。 だからこそ、あの技だけじゃ真名には繋がらないよ。」

キャスターは指を組み、思考を整理する様に続ける。

「今の手掛かりりはね、一竜がセイバーに語っていた言葉だけさ。」

フォーリナーの精神干渉に晒されながらも、キャスターはあの場のやり取りを正確に記憶していた。

それこそが、軍師としての彼女の集中力と視野の広さの証明だった。

「“女性武士”、“意思が未来へ”、それに彼女が口にした“あの子”……。」

キャスターはまたエナジードリンクを口にしながら、視線を纐纈(くくり)へ向ける。

(つかさ)。 何か、思い当たる節はあるかい?」

「うーん……。 ない訳じゃないけど、まだ候補が多すぎてさ。 今はなんとも言えないかなぁ。」

「ふふふ。なら今は、頭の片隅に置いておくだけでいいさ。」

キャスターはそう言って、エナジードリンクをデスクへ置いて再びモニターへ向き直った。

サーヴァントとして、武人として、女性として、いずれ刃を交えるであろう相手としても──

キャスターは、セイバーという存在を心から気に入っている。

だからこそ知りたい、理解したい。

その生き様と、選び取ってきた未来を。

いつか再び、同じ戦場で向き合うその日を楽しみにしながら。

キャスターと纐纈(くくり)は、それぞれの“今すべきこと”へと、静かに戻っていった。

昼下がりの都内にあるホテルの一室──

そこを宿泊先としているロード・エルメロイII世は、黙々と資料整理に追われていた。

古井戸組がアサシンの“商才”をシノギへ転用していた件、バーサーカー陣営によるぼったくり店舗襲撃という暴走──

そして何より、連日に渡るシリルの暴動誘導と、規定を逸脱したサーヴァント召喚という明確なルール違反。

聖杯戦争新制度の歪みと欠陥を炙り出す為、彼は紙のメモに殴り書きを重ね、それらをPCのドキュメントへと整理していく。

「……ふぅ。」

小さく息を吐き、目頭を抑えながら天井を仰いだ。

「これで、概ね“新制度廃止”に向けたカードは揃ってきたな。 グレイやミスター・纐纈(くくり)にキャスター、それに遠坂やセイバー陣営にも……随分と無理をさせてしまった。」

相変わらず満足な睡眠は取れておらず、目の下には濃い隈が居座り、疲労の色は隠しようもなかった。

一息入れようと葉巻に手を伸ばした、その時──

ガチャ──

「師匠。 只今起床いたしました。」

「グレイか。 よく休めたか? 改めて、昨晩は本当に感謝している。」

扉の向こうには、起きてからまだ数分といった様子のグレイが立っていた。

手配していた隣室から、そのままこちらへ来たのだろう。

昨夜のシリル制圧では、心身ともに大きな負担を負っていたこともあり、深い眠りに落ちていたのも無理からぬ話である。

事実、力を解放したアッドですら、その反動で現在は休眠状態に入っている程だった。

「拙の方こそ……。 纐纈(くくり)さんが師匠から預かったボイスメッセージがなければ、きっと皆さんの足手纏いになっていました。 感謝してもしきれません。」

「とんでもない。 あの程度でも、君の助けになれたのなら……用意しておいて正解だったよ。」

この場には事実上二人しかおらず、故に言葉は飾られず互いの感謝が率直に交わされていた。

尚、この時ライネスはと言えば、トリムマウを携えホテル周辺を悠々と散歩中である。

「君達の行動もあって、新制度廃止へ向けた“ピース”はかなり揃ってきた。」

ロード・エルメロイII世は、葉巻に火を点けながら続ける。

「これでようやく、ロード・バリュエレータに対抗し得る、“決定打”を揃えられる段階に入っただろう。」

「……師匠。 それでも、まだ足りないのですね。」

「ああ。その通りだ。」

煙を吐き出しながら、彼は何一つ隠さず即答した。

「現時点で、未だ目立った動きを見せていない──ライダー陣営が読めん限り、このままでは不充分だ。」

彼の言葉通り、ライダー陣営は未だどの陣営とも交戦しておらず、その戦い方を知る者は誰一人としていない。

そもそも、現時点参加陣営の中で轡水京介(ひすいきょうすけ)の姿を見た者すら存在せず、彼とライダーの関係性も、ライダーが言っていた”気難しい男”という情報外未だ完全な闇の中である。

「……そして、何よりも厄介なのが。」

ロード・エルメロイII世は、もう一度葉巻を吸いながら低く呟いた。

化野菱理(あの女狐)だ。 情報の秘匿という点では、法政科の中でも随一だろう。」

深く吸った煙をゆっくりと吐き出しながら、眉間の皺を深くしながら語る。

「この“最後のピース”を掴むのは……間違いなく、骨の折れる仕事になる。」

その背中に刻まれた疲労と重圧は、グレイの目にもはっきりと映っていた。

今回の聖杯戦争の終焉が、まだ遥か先にあるという現実を──二人はこの静かな昼下がりの中で、改めて噛みしめていた。

都内・花園区にある古井戸組の敷地内──

その中の広い駐車場には、黒塗りの車がずらりと並んでいた。

集っているのは、花園区一帯を取り仕切る各極道組織の組長達。

この日は緊急で開かれた会合の為に顔を揃えており、談笑を交えながら昨晩の出来事についての話題が行き交っていた。

「古井戸組長。 この地域の主たる組の長として、実に大義でしたよ。」

警察(おかみ)の事情聴取も、さぞ骨が折れたでしょう。 それでも、あの暴動事件の首謀者の存在が重く見られた様で、本当に救われましたなぁ。」

「えぇ、そうですな。 しかし、若い衆が暴動を力尽くで抑えた事実までは、誤魔化せませんでね。 お陰で、うちもしばらくは警察(おかみ)の目が離れんでしょう。」

会合の空気は、昨晩の暴動事件──そしてシリルの暴挙を抑え込んだ古井戸組への、労いと賞賛の言葉で満ちていた。

世間の目が厳しさを増すこの時代にあっても、裏の秩序を守り縄張りを荒らさせなかったその手腕は、多くの極道にとって「義」に値するものだったのであろう。

だが、その空気を静かに断ち切る声があった。

「……ところで、古井戸組長。 そろそろ本題を伺いたいのですが。」

そう切り出した一人の組長の言葉に、まるで電源を落とした機械の様に組長人の声が止まった。

「どうにも……良い知らせではなさそうですな?」

その一言に、全員の視線が、自然と古井戸組長へと集まる。

古井戸組長はゆっくりと息を吸い、一度場を見渡してから口を開いた。

「えぇ、諸星組長の仰る通りです。 急な話でありますがね……。」

その声は低く、しかしよく通った。

「この連日で世間のカタギさんらに迷惑をかけた事実は、どう取り繕っても消せませんでね。」

組長達は、身を乗り出す様にして耳を傾けた。

そして──古井戸組長はまっすぐに彼らを見据え、はっきりと告げた。

「今月を限りとして、古井戸組は看板を下ろし、極道組織としての歴史にここで幕を引こうと思っております。」

「……。」

言葉は簡潔だったが、その重みは場の誰もが理解していた。

古井戸組は戦後から代々に渡り、この花園区の発展と治安の“裏”を支えてきた組織である。

そこから枝分かれした下部組織も、今この場にいる組長達が束ねてきたものだった。

その“大元”が解散する──それは、悲しみであると同時に、時代の終わりを意味していた。

「……古井戸組長。 世間さんの目を考えれば仕方ないのかもしれませんが……残念です。」

「我々も、親の代から世話になってきました。 この先、誰がこの辺りを取り纏めるのか……難しい問題になりますな。」

静かな、そして確かな落胆の声がいくつも上がる。

その中で、古井戸組長は再び口を開いた。

「それなら──久夛良木組長。 あんたの組こそが、適役だと思っております。 頼めますな?」

久夛良木組長の方へまっすぐな視線を向け、穏やかに、しかし確信を込めて微笑む。

「……! いきなり荷が重い話ですが……。」

一瞬の間を置き、久夛良木組長は静かに頷いた。

「古井戸組長がそう仰るなら、断る理由はありませんな。」

「ありがとうございます。」

古井戸組長は深く頭を下げ、更に言葉を並べる。

「梨園町の利権については、今月いっぱいまでに整理します。 一部のシノギの引き継ぎも、うちの若い衆が責任を持って行います。 最後の継承式まで……どうか、お付き合いくださいな。」

二人の組長は立ち上がり、互いに固い握手を交わしたその瞬間、会合の場には温かな拍手が静かに広がっていった。

こうして──暴動事件の制圧に関わった者達は、それぞれがそれぞれの場所で“次”へと歩き出していく。

新たな問題が必ず待ち受けていることを知りながらも、胸に新しい覚悟を抱いて──