差し込む様な陽光が、白く乾いた地面を照り返していた──

夏季試験を終え、長い夏休みへと移り変わった叡光大学のキャンパスは、いつもの喧騒が幾分か薄れ、どこか余白の多い静けさに包まれている。

それでも尚、部活動に励む者、来たる文化祭の準備に奔走する者、自主学習に没頭する者──人の営みが途切れることはない。

その一角の剣道場には、張り詰めた気配があった。

「──良い太刀筋です。 振りに迷いがなくなってきましたね。」

セイバーの澄んだ声が、木霊の様に道場内へと広がる。

今日もまた、剣道部コーチとして竹刀を手にしていた。

「はいっ! 直さんのおかげです!」

応じる部員達の声には、確かな手応えと高揚が宿っている。

それは単なる上達の喜びだけではない──彼らの内側で、何かが“引き上げられている”様な感覚だった。

「井上さん。 部員達の士気がここまで高まるとは……本当に感謝しています。」

道場の端で見守っていた冴島教授が、穏やかに頭を下げる。

「いえ。 こちらこそ、この様な機会をいただき、感謝しております。」

セイバーは礼を返しながら、僅かに目を細めた。

「残された時間は多くはありませんが──その分、可能な限りを尽くす所存です。」

その言葉には、期限を知る者だけが持つ静かな覚悟が滲んでいた。

聖杯戦争は、確実に終局へと向かっている。

勝利も敗北も、その先に待つのは“消滅”という等しい結末を理解した上で、彼女はこの場に立っている。

「ご実家へ戻られるなんて……寂しくなりますねぇ。 静岡でしたっけ?」

かつての遠江(とおとうみ)は、彼女が生まれ、そして後に治めた地。

時代を越えた言葉は、柔らかく曖昧に濁されていた。

「えぇ。 本当は、もう少し長くみなさんと剣を交えたかったのですが──」

セイバーは真剣な眼差しで、静かに竹刀を構え直す。

「最後の一日まで、全力で務めさせていただきます。」

その瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。

一つは、教え導く者としての責務。

そしてもう一つは──誰にも知られぬ戦いへと身を投じる者の覚悟。

夏の陽光が、僅かに傾き始めていた。

一方その頃、キャンパス内の図書館では──

夏季休暇に入ったとはいえ、館内には静かな熱が残っていた。

頁をめくる音、ペン先の走る音、遠くで椅子が引かれる微かな摩擦音──それらが、思考の海に潜る者達の呼吸の様に漂っている。

その一角で、一竜は分厚い歴史書に目を落としていた。

夏季試験の結果が芳しくなかったこともある。

だがそれ以上に、彼を机へ縛り付けているのは──“今この聖杯戦争で生き残るための知識”だった。

「(……やっぱり、残った連中は一筋縄じゃいかないな。)」

視線は文字を追っているが、意識はそこにない。

「(ランサーは純粋な速さに加えて、亜梨沙さんとの連携がある。 キャスターは知略型……纐纈(くくり)さんとのコンビも完成度が高い。 となると──)」

自然と、最後の一角へ思考が向く。

「(ライダー陣営……ライダーは王だったって話は聞いたけど、それだけだ。 東洋史も西洋史も当たってみたけど……該当しそうな人物が多すぎる。)」

情報があまりにもなさ過ぎて、“知らない”という事実そのものが脅威だった。

正体が掴めないということは、対策が立てられないということ。

それはすなわち、戦場に於いて“目を閉じて戦う”に等しい。

「(彼のマスターが前に出てこない以上、尻尾すら掴めないな……。)」

──ヴィィン

思考を断ち切るように、スマートフォンが集合五分前を告げる無機質なアラームを知らせて震えた。

「……っ、また集中しきれなかった。」

小さく息を吐いて栞を挟み、本は借りて後で読み返すことにした。

受付で警備員に軽く会釈を交わし、ゲートを抜けて外に出た瞬間、夏の空気が肌にまとわりつく。

「美穂川さんのことだから、もう来てるだろうな……。」

向かう先は、体育館脇の休憩スペース。

いつの間にか、彼らにとって“作戦会議室”の様になっていた場所である。

やがて視界に入ったのは、見慣れた二つの姿だった。

「私市くん、お疲れ様。」

「一竜殿。 休暇の最中にあっても研鑽を怠らぬとは、見事です。」

声をかけてきた恵茉とセイバーの手には、溶けかけたアイスが握られている。

「二人ともお疲れ。 ……セイバー、例の話はちゃんと伝えられたか?」

「ええ。 冴島教授も部員のみなさんも、惜しんでくださいました。」

僅かに伏せられたその目に、別れの気配が滲む。

「丁度その話してたとこ。 あれだけ結果出してたら、そりゃ惜しまれるよね。」

実際、剣道部は目に見えて変わった。

全国大会への出場、その事実が何よりの証明である。

「……じゃ、そろそろ行こっか。 積もる話もあるし」

「そうだな。 亜梨沙さん達、待たせてるし。」

「ええ。 参りましょう。」

包装紙を捨て、三人は歩き出す。

日常の延長の様な足取りの行き先は──亜梨沙とランサーの待つ指定の場所へと向かって行った。

一方その頃──

亜梨沙とランサーは、とある個人経営の喫茶店にいた。

木目の柔らかな色合いと、深く焙じた豆の香りが静かに満ちる店内。

そこは、かつてアーチャーが恵茉と幾度となく足を運び、“至高の一杯”を語ってやまなかった場所でもある。

席に着いたランサーは、どこか落ち着かない様子で氷水のグラスを傾けていた。

対照的に、亜梨沙はスマートフォンへ視線を落とし、静かに指を動かしている。

「ランサー。 恵茉ちゃん達、もうすぐ着くって。」

「おっ、やっとか! アーチャーをあそこまで唸らせた店のコーヒーだろ? どんな味か、楽しみで仕方ねぇな!」

その声音には、戦場に赴く前とは違う種類の高揚があった。

「……その気持ちは分かるけど、今日はこれからのこともちゃんと話さなきゃだよ?」

「あぁ、勿論だとも!」

少しだけ苦笑をする亜梨沙に、ランサーは頷く。

だがその瞳の奥には、変わらぬ戦意が宿っていた。

この場が設けられたのは、ランサーの“アーチャーが特に気に入っていたコーヒーを飲んでみたい”という何気ない一言がきっかけだった。

それを聞いた恵茉が、話し合いの場としてこの店を選んだのである。

日常と戦場が、ゆるやかに重なり合う場所の中、二人が氷水を口にしながら言葉を交わしていると──

──カラン

鈴の音が鳴った店の扉から、夏の光とともに三つの影が差し込む。

「亜梨沙さん、ランサー。 お待たせ。」

先頭に立つ恵茉が手を振り、その後ろにセイバーと一竜の姿が続いた。

「恵茉ちゃん、お疲れ様。」

「よぉっ! ようやく揃ったな!」

つい先日まで、命を懸けて刃を交えていた者達とは思えない程に──穏やかに且つ自然に空気が和らぐ。

「ランサーも変わらず元気そうで何よりです。」

「ははっ! そっちこそな、セイバー!」

「一竜くんも、お疲れ様。 ちゃんと勉強してた?」

「あはは……正直、あんまりでした。」

軽口が飛び交いながら、五人は同じテーブルへと腰を下ろす。

その様子を見ていた店主の婦人が、柔らかな笑みを浮かべて近付いてきた。

「ワイアットさんが邦へ帰られちゃって、少し寂しかったけど……こうしてまた顔を見せてくれると嬉しいわね。」

その言葉に、ほんの一瞬だけ空気が静まるが、恵茉がそれを柔らかく受け止めた。

「ええ。 今日は、彼が気に入っていた味を確かめたい知人がいたんで、みんなで来たんです。」

そしていつものやりとりの様な自然な所作で注文を告げる。

「ブレンドを二つ、カフェラテを二つ。 それから……抹茶を一つ、お願いします。」

「はぁい、かしこまりました。」

婦人は頷き、奥へと下がっていく。

残された五人の間に、僅かな静寂が落ちた。

氷がグラスの中で、微かに音を立てる。

それは、これから始まる“本題”への合図のようでもあった。

「──さて。 今後の聖杯戦争についてですが。」

最初に口を開いたのは、セイバーだった。

グラスに指先を添えたまま、その視線だけが静かに鋭さを帯びる。

「軽々しく動ける状況ではなくなりましたね。」

「おぅっ、そうだな!」

対照的に、ランサーはどこか楽しげに笑う。

「残ってるのがセイバーにキャスター、そしてライダーだろ? どいつも手応えがありそうで、燃えてくるじゃねぇか!」

そのまま氷水を一息に飲み干し、ふと思い出した様に続けた。

「それにしてもよ、アーチャーは本当に強かったぜ! ただ撃つだけじゃなくて、跳弾で軌道を変えてきたり、最後まで立ち続けたり……!」

言葉を探す様にランサーは笑い、場の空気が僅かに柔らぐ。

「……ちょっと寂しいけどよ、あんなに気持ちいい闘いは初めてだった!」

その横で、亜梨沙が小さく肩を竦める。

だが、恵茉はその様子をどこか嬉しそうに見つめていた。

「……っと、話が逸れたな!」

ランサーが頭をかきながら、セイバーを見据えて切り出す。

「つまりだ! 次は、オレとセイバーがぶつかる可能性もあるってことだろ?」

セイバーが僅かに目を伏せ、口を開いた。

「ええ。 その時は──最早模擬戦では済まぬ、本気の戦いとなるでしょう。」

亜梨沙と一竜が、ほぼ同時に頷いた。

その言葉の重みを受け止めるように、場に一瞬の静寂が落ちる。

「加えて、キャスター陣営も侮れません。 あの戦術と連携は、この戦いに於いて明確な脅威となるでしょう。」

「だな! キャスターとSMOKEのコンビは隙がねぇしな! 軍師の戦いってのも、どんなもんか楽しみだぜ!」

ランサーが頷き、口元を緩めたその時──

「はぁい、お待たせしました。」

柔らかな声と共に、婦人が配膳に戻ってきた。

テーブルには、セイバーの抹茶、一竜と亜梨沙のカフェラテ、そして恵茉とランサーのブレンドコーヒーが並べられる。

「おっ……これがあいつお気に入りのコーヒーか!」

ランサーの目が、新しいおもちゃを見た子供の様に輝く。

「ゆっくりでいいよ。 ちゃんと味わってみて。」

恵茉が柔らかく促した後、やがて各々がカップに口をつけた、次の瞬間──

「……おぉ!」

ランサーの目が、大きく見開かれる。

「すげぇな、これ! 苦いのに……飲んだあと、妙に落ち着く! 前に貰ったやつより……もっと、深いな!」

「ふふっ、でしょ?」

素直で明るい感想に、恵茉が小さく笑う。

「……でもよ。」

ランサーはふと、優しい表情で隣の亜梨沙へ視線を向けた。

「オレは、亜梨沙が淹れてくれたのも好きだぜ!」

「えっ……!?」

天真爛漫に溢れた言葉に、亜梨沙が思わず顔を赤くする。

「インスタントだったけどよ、なんか……あれって滲みるんだよなぁ!」

「ちょ、ちょっとランサー……!」

慌てる彼女の肩に、ランサーがぽんと手を置く。

その様子を見て、婦人がくすりと笑った。

「いいわねぇ。 そういうの、分かるわよ。」

その柔らかく優しい声音が、場に溶ける。

「特別な人が淹れてくれたものって、それだけで味が変わるのよ。 どんなに簡単なものでもね。」

「おっ、やっぱそうだよな! 理屈じゃねぇんだよな、こういうのって!」

「そうなのよ。 私も、主人が淹れたものなら、豆からのものでも、インスタントでも、特別なものなの。」

そのやり取りに、一竜と恵茉は思わず和み出す。

セイバーもまた、静かに抹茶を口に運びながら、穏やかな眼差しでその光景を見守っていた。

──戦いは、まだ終わっていない。

それでも今この瞬間だけは、確かに“日常”と呼べる時間がそこにあった。

静かなひと時が、ゆっくりと流れていく。

やがて来る嵐の気配を、どこか遠くに感じながら──