桃園区にある公営プールの一角──

四つに区切られたレーン内のウォーキング用の区画で、纐纈(くくり)とキャスターが水を掻き分ける様に歩いていた。

水面を撫でる波紋は穏やかだが、その内側には確かな負荷が潜んでいる。

涼を取る為、纐纈(くくり)のトレーニング後の有酸素運動の為、そして来たるべき最終局面への備えとして──それぞれの目的が、同じ水の中に溶けていた。

「キャスター。 たまにはゲームばっかりじゃなくて、こういう運動も悪くないでしょ?」

軽い調子で振り返る纐纈(くくり)に、キャスターは肩を竦める。

「ふふふ、確かにね。 ただし、水中歩行が“軽い運動”ではないことくらい、理解している前提での発言だと受け取っていいのかな?」

水の抵抗に身体を取られながらも、口調はいつも通り軽やかである。

ラッシュガード姿で慣れた足取りの纐纈(くくり)に対し、ジャージにスパッツの様な水着のキャスターの動きは僅かに鈍い。

だが、それすらも計算に入っているかの様な表情だった。

「まぁね。でもさぁ──いつ誰と当たってもおかしくない状況だし、歩いたり走ったりより関節に優しくてそれなりに負荷もあるし、今の俺達には丁度いいんじゃない?」

水面を蹴りながらのんびりと歩き語る纐纈(くくり)に、キャスターが細く笑う。

「ふふ……合理的だね。 それに、(つかさ)はこの後、泳ぐのだろう?」

「もちのろん。 ウォーキングだけじゃ足りないしさ。 今度こそ、バタフライで綺麗に往復できるようになりたいんだよねぇ!」

そう言うや否や、纐纈(くくり)は遊泳レーンへと移動し、水中へ滑り込んだ。

ぎこちないながらも力強いバタフライが、水面を割って進んでいく。

その様子を眺めながら、キャスターは独りごちる。

「……私も、着いて行ける程度の身体は作っておかないとね。 この先の局面で、敗北を“選ばされる”側には回りたくない。」

言葉や表情は穏やかだが、その内側には冷たい確信があった。

キャスターは腕の振りを大きくし、水の抵抗を意図的に増やし、鍛錬というより“調整”に近い動きだった。

──約一時間。

水の中で静かに時間を消費した二人が、やがて更衣を終えて施設のロビーへと戻ると、自動販売機で買ったアイスを片手に並んで腰を下ろした。

「……あー。 スーパーとかより割高だけど、こういうとこで食べるアイスって妙に美味いよね。」

「環境補正というやつだね。 まぁ、アイスはいつ食べてもいいものだけどね。」

短い言葉の中に、ほんの僅かな柔らかさが混じる。

やがて二人は施設を出て、夏の日差しが容赦なく地面を焼いていた。

帰路につきながら、纐纈(くくり)がふと空を見上げる。

「そういえばさぁ──ライダーって“島国の王”って言ってたよね。 キャスター、見当ついたりする?」

「ふふ……。」

キャスターの口元が僅かに歪み、目を細めて口を開いた。

「候補はいくつかある。 島国の王など珍しくもないが──彼の所作、纏う気配……あれだけで絞り込みは可能さ。」

「おぉう、流石だねぇ!」

軽く笑いながらも、纐纈(くくり)の声には油断がない。

「でもさ。 正体が分かっても、勝てるかどうかはまだ別だよね」

「その通り。 彼の余裕は、演技ではない。 バーサーカーやフォーリナーとは質が違う……そう考えるべきだろうね。」

軍師としての冷静で視野の広い結論だった。

数歩無言で歩く中、やがてキャスターが続ける。

「いずれにせよ、戦場は都内に収束する可能性が高いし地形把握は必須さ。 マップ機能、ストリートビュー……使えるものは全て使うべきだね。」

「おっ、いいねそれ!」

現代的な作戦の立て方に興味をもったのか、纐纈(くくり)の目が輝く。

「ゲームみたいに下見しておく感じ? めっちゃやりやすそう!」

「……似ている様で決定的に違うけど、そう考えると楽しくなりそうだね。」

キャスターは肩を竦めるが、その声はどこか楽しげだった。

戦争である筈のそれは、彼らにとって“次の対戦待ち時間”の様に語られている。

──だからこそ、その光景はどこか歪で、どこか危うかった。

一方、都内のタワーマンション──

外界を拒絶する様に閉ざされたカーテンの内側で、轡水(ひすい)はいつも通りデイトレードの画面と対峙していた。

無数に走る数値の波の変動を追う視線は、まるで獲物を狙う刃の様に鋭い。

青白いモニター光が、その表情の陰影を更に深く刻んでいた。

その背後で静かに槍の手入れを行っているライダーが、一定のリズムで金属を擦る音を響かせている。

やがて、その手を止めずに口を開いた。

「……京介、例の理想とやらを記した書物か?」

何気ない問いだったが、轡水(ひすい)は僅かに眉を顰め、鼻で息を吐く。

「……同じものを書き続ける程、暇じゃない。」

視線だけを横に流し、そのまま続けた。

「これは、お前が“あの場”で得てきた情報の整理だよ。」

「あの時の会合のか。」

それは以前にライダーが設けた、轡水(ひすい)を除いた当時残る聖杯戦争参加陣営との奇妙な夜会のことだった。

「記録も取らず、記憶のみで再構築したのか?」

「当然だ。 無駄なものは持たない主義なんだ。」

キーボードを軽やかに叩く指は止まらない。

「…… 確認しろ。 化野からの補足もあるが、お前の証言と齟齬がないか見ておきたい。」

「いいだろう。」

ライダーは槍を脇へ置き、ゆっくりと歩み寄る。

そして、無言で画面へ視線を落とした。

【警戒対象】

01:セイバー陣営

サーヴァント:セイバー

・実直な黒髪の女

・精神の芯が強い

マスター:キサイチイツル

・平凡な大学生

・特筆すべき要素は薄い

警戒度:低(※追加情報待ち)

02:ランサー陣営

サーヴァント:ランサー

・俊足

・愚直

・戦場指揮官とのこと

マスター:タカナシアリサ

・内向的

・状況次第で意思の強さを発揮

警戒度:中(※タカナシの行動次第で変動)

03:キャスター陣営

サーヴァント:キャスター

・配信者、PyroMind

・広い視野/高い洞察力

・冷静沈着、掴みどころなし

マスター:ククリツカサ

・軽薄に見えるが鍛錬済み

・柔軟な思考

警戒度:高(※連携力が突出)

【警戒対象外】

01:アーチャー陣営

→アーチャー、ランサーにより消滅 化野より情報を共有

マスター:ミホガワエマ 生存と見られる

02:アサシン陣営

→アサシン、バーサーカーにより消滅 ニュースから推測

マスター:イカリアキサダ 死亡とのこと

03:バーサーカー陣営

→バーサーカー、キャスターにより消滅 化野より情報を共有

名称不明のマスター 重症により事実上離脱とのこと

「……ふむ。」

事細かく書かれたドキュメントに、ライダーは短く息を吐いた。

「概ね相違はない。 記憶だけでここまで再現するとは──大したものだ。」

「あぁ。 記憶力には自信がある。 ……そんなことはどうでもいい。」

即座に切り捨てつつ、轡水(ひすい)はタピオカドリンクに口をつけて画面をスクロールさせた。

「問題はここだ。」

マウスのカーソルを動かし、止めたところはキャスター陣営のデータだった。

「こいつらを後回しにするのは悪手だ。 最終盤まで残れば、確実に面倒なことになる」

「ふむ、確かにな。 配信での振る舞い、そして戦術眼。 いずれも“計算された強さ”だ。」

一瞬の沈黙に、空気が僅かに重く沈む。

やがて──轡水(ひすい)が椅子にもたれ直し、静かに淡々と口を開いた。

「……そろそろ動く。 これ以上様子見を続ければ、こちらが遅れる。 デイトレードは一時停止だ。」

「ほう。」

ライダーが僅かに興味を示し、更に轡水(ひすい)に語りかける。

「日銭稼ぎを置いてまで、ついに盤上に出るか。」

「観察は終わりだ。 ここからは“排除”に移る。」

立ち上がる時の椅子の音が、やけに大きく響いた。

「今後はお前の散歩に付き合わせろ。 外に出るついでに、陣営を探る。」

「……戦闘前提、ということか。」

「当然だ。 あの時の様な酒を酌み交わして語る段階は終わった。 ここからは、見つけ次第潰す。」

その言葉には、一片の迷いもない。

ライダーは静かにグラスを持ち上げ、アイスティーを一口含み、カーテンに手をかけた。

僅かに開かれ、暗がりの部屋に細い光が差し込む。

「……戦とは、そういうものだ。」

低く静かに──だが、その声音には何処かほんの僅かに、憂いが混じっていた。

しかし、轡水(ひすい)はお構いなしに続ける。

「改めて言うが、最優先はキャスター陣営だ。 こいつらだけは、確実に潰す。 徹底的に叩き、再起不能にする。」

冷徹な結論に、ライダーは否定も肯定もせず、ただ一度だけ頷いた。

二人の視線が交差する。

そこにあるのは、同じ“戦争”でありながら──決して同じではない覚悟。

異なる思想を抱えたまま、それでも同じ盤上に立つ者達の、静かな合意だった──