同じく刻は遡り、一竜とセイバーの邂逅から四日前。
ロード・エルメロイⅡ世の宿泊先にある一室にて、纐纈によるサーヴァント召喚の儀式は、粛々と進行していた。
眩い光と魔力の渦が魔法陣のシートの上に満ち溢れ、その中心には──
ロブヘアに端正な顔立ち、冷静な眼差しを宿す美貌の女性が、中国の軍師を彷彿とさせる装束と甲冑を纏い、佇んでいた。
「(おぉ……! これがあの軍師……!!)」
纐纈の目には、まるでヒーローを見上げる子供の様な、純粋な輝きが宿っていた。
「私がサーヴァント、"キャスター"。 キミがマスターかい?」
自らを魔術師と称する女性が、余裕の笑みを浮かべ、柔らかくも鋭い視線を纐纈に向けて問い掛けた。
「うん! そうだよ! 俺がマスターの纐纈士だよ! 何卒よろしく!!」
そんな纐纈のテンションに対して、キャスターがキョトンとした顔をして、彼を見つめた。
「ふふふ。 士、キミってヤツは…おもしろい男だね。」
満面の笑みで手を差し出す纐纈の握手にふっと笑いながら応じる彼女の表情に、どこか親しみが滲んでいた。
こうして、マスターとサーヴァントの契約は無事締結された。
「纐纈さん、嬉しそうですね。」
控えていたグレイが、そっと隣のロード・エルメロイⅡ世に語り掛けた。
「ああ。……だが、これは戦争なのだがな。」
和やかな空気とは裏腹に、ロード・エルメロイⅡ世は重い現実から目を逸らしてはいなかった。
纐纈がこの聖杯戦争を乗り越えられるのか――
その一点が彼の懸念だった。
「さぁ、士 まずはどうしようか?」
キャスターが、髪を搔き上げながら、纐纈に今後の行動について尋ねた。
しかしその言葉に、纐纈はようやく重大な事実に思い至った。
「……えっ!? てか、よく考えたらこれ戦争だった!!!」
我に返った纐纈は、ギギギ……と音がしそうなほどぎこちなく、ロード・エルメロイⅡ世とグレイの方へと首を向ける。
「……あのぉ、エルメロイ先生? 僕、この先どうしましょう?」
冷や汗を浮かべた纐纈は、苦笑を織り交ぜながら助けを求める。
「……はぁ。 この聖杯戦争で、他の六つの陣営と闘い生き残る。それだけだ。」
ロード・エルメロイⅡ世も、案の定と思わんばかりに呆れ顔で肩を落とし、溜め息を漏らしながら至極当然のアドバイスを口にするのみだった。
「じゃあ、そのためになにをしたらよいのでしょう?」
纐纈の質問は一向に止まらない。
「……悪いが、そればかりは何とも言えん。 それぞれの陣営に異なる思惑があるからな。」
「……あはは……。」
これには纐纈もお手上げなのか、いよいよ悩み始めた。
「……気を落とさないでください。 困ったことがありましたら、師匠か拙にご連絡をください。」
気を使う様に口を挟んだグレイは、ROPEのグループ機能で纐纈を招待し、今後の連絡手段を整えてくれた。
「はは……ありがとうございます。 なんとか、生き延びます……。」
纐纈は自身の軽率さに気づき、苦笑交じりで頭を下げた。
キャスターは、そんな彼を静かに微笑みながら見つめていた。
その後、一行は一時解散となり、纐纈とキャスターは夕食の買い出しにスーパーへ向かった。
「とりあえず、今後のことを考えなくちゃ……。」
纐纈士は、買い物カゴに視線を落としながら、溜め息混じりに呟いた。
そのカゴの中には、豚肉の細切れとニラ、そしてティッシュペーパーなどの日用品が並べられている。
「へえ、この時代では列肆で買い物をする必要がないんだね。」
憂鬱な纐纈を横に、キャスターはスーパーの店内を興味深げに見渡していた。
なお、列肆というのは、三国時代に於ける市場のことである。
「うん。 便利な世の中でしょ?」
纐纈は、戸惑いながらもキャスターとの会話をそれなりに続けていた。
とはいえ、内心ではこの先のことを考えあぐねており、結局、答えが出ぬままキャスターと共に自宅アパートへ帰宅することになる。
「はぁ~~……考えるのも嫌になっちゃう……。」
冷蔵庫に買ってきた食材をしまい、夕飯用の米を研いだ後、纐纈はPCデスクの椅子に深く腰を下ろしてうなだれた。
その彼の姿を、キャスターは穏やかな眼差しで見つめ──ふと、ある物に目を止める。
「…士、これはなんだい?」
彼女が指差したのは、纐纈がよく遊ぶゲーム機だった。
「ん? あぁ、それゲームだよ。遊び道具。」
気疲れが抜けきらないまま、纐纈は簡単にゲームについて説明した。
「ほう。戦術訓練の一環かい?」
そこは流石軍師であるキャスター。
たとえ娯楽であろうと、それを”戦術の応用訓練”として捉えるのが彼女らしい。
「ははは、そんな大層なもんじゃないよ。 ただの娯楽。」
そんな彼女の問いに、纐纈も思わず笑みをこぼし、少しだけ気が楽になった様に答えた。
「なるほどぉ…。 やってみても?」
ゲームに好奇心を刺激されたのか、キャスターが纐纈にそう尋ねる。
そんな彼女に、纐纈も思わず肩を竦めた。
「お、いいよ。 じゃぁ、説明するからぼちぼちやってみよう。」
さっそくゲームを起動し、キャスター用の新しいアカウントを作成する。
選んだのは、纐纈が普段から遊んでいるオンライン対戦型のゲームだった。
キャスターはチュートリアルを慎重に読み進めながら、徐々に操作に慣れていく。
「ふむふむ……。なるほど、これは……慣れるには、少し時間がかかりそうだね。」
どれほど頭脳明晰な軍師であっても、未知の文化に馴染むには段階が必要である。
それでも、キャスターの目には既に戦術的視点が宿っていた。
「ははっ、最初はそんなもんだよー。まあ、のんびりやればやり方もわかるよ。」
纐纈は軽く笑い、夕食の準備に取り掛かった。
それから三十分後、纐纈はその間にキッチンで作っていた豚キムチを大皿に盛り付け、部屋へと戻った。
そのついでに、キャスターのゲームの調子を窺ってみたところ──
「…えぇっ!? 勝ち抜け数、五回!? しかもランクがもう……S+7!? 流石過ぎないぃぃっっっ!?」
予想を遥かに上回る光景に、纐纈は思わず盛り付けた皿を持ったまま叫んでしまう。
なんと、キャスターの腕前はあまりにも鮮やかで、敵の動きを読み、数手先を行く動きで対戦相手を次々と撃破していた。
「ふふ、これは実に興味深いね。 戦術眼と反射神経の両方が試されるよ。」
余裕の笑みを浮かべながら語るキャスターの姿は、まさに"軍師の面目躍如"といったところ。
わずか三十分で、彼女はゲームの世界においても"一角の者"として頭角を現し始めていたのだった。
「ところで、私の他にも、ゲームに興じる者というのはいるのかな?」
どうやらキャスターは、現代におけるゲーマー達の存在に、興味を持ち始めた様だった。
「うん、いっぱいいるよ。 じゃぁ、動画サイトで他のゲーム配信者を見てみよう! ご飯でも食べながらね。」
そうして、二人で豚キムチをつつきながら、タブレットでゲーム実況プレイ配信者の動画を検索し始めた。
「なるほど…。 現代人はこうやってゲームで色々な人達を魅了しているんだね。」
豚キムチと麦ご飯を食べるキャスターが見たその画面には、流れてゆくコメントと会話をしながら、超絶技巧プレイをこなす配信者と、そのゲーム画面があった。
「そういうこと。 今は、ゲームの腕ひとつで夢を見せられる時代だからねぇ。」
元々ゲーム好きな纐纈にとって、それは日々の楽しみのひとつであり、時折配信までしてしまうほどには熱を入れていた。
「見ているだけで学びが多いね。でも、これなら私も参加出来るんじゃないかな?」
キャスターの眼に、ふたたび好奇心の炎が宿っていた。
「……おっ! もしかして、配信やってみたい?」
「うん。」
キャスターがそう返答するのに、一秒すらかからなかった。
「(…たった三十分でこんなに上手くなるプレイヤーの実況、なんか凄いことになりそうな予感しかしない!)」
纐纈はそう思いつつ、ロード・エルメロイII世とROPE経由で通話を始めた。
「……そんなわけで、キャスターがゲーム配信したいって言い出しましてね。」
纐纈は、キャスターがゲームにハマり始めたこと、配信に興味を持ったこと、全てを話した。
『…まったく。 やるのは勝手だが、私は推奨はしないぞ。 それにしても、よりにもよってサーヴァントがストリーマーデビューとは……。』
呆れと一抹の不安が混じり、ロード・エルメロイⅡ世がそう返答するのも無理からぬことだった。
他の陣営の監視の目もあるやもしれぬというのに、そんな目立つ行動をすれば、素性が露見しかねない。
「でも、仮に収益を得るにしても、サーヴァントだから口座作れないんすよね?」
そう──配信の世界には“収益化”という仕組みがある。
視聴数に応じて報酬が得られるが、当然ながらサーヴァントは現世における法的存在ではない故、戸籍もなければ銀行口座も作れないのである。
『……はぁ。ならば、ミスター・纐纈。君の口座で管理するのはどうだ? どうするかはキャスター次第だが。』
エルメロイⅡ世が重々しく提案を口にした、その時──
「話は聞かせて貰ったよ。 それでいこう。 士、キミへの世話代も兼ねてさ。」
キャスターが、通話の内容をしっかりと聞き届けていたらしく、即座に了承の意を示した。
「キャスター、それは構わないケド、本当に大丈夫? サーヴァントがネットの海に出るってヤバくない?」
流石の纐纈も、多少心配の様だった。
『今さらヤバいか否かがあるとでも思っているのか? 私が参加していた第四次聖杯戦争でも、いくらか目立つ事案があったぞ?』
確かに、かの冬木で行われた第四次聖杯戦争では、サーヴァントの内の一騎が強大な魔術を使い、複数のサーヴァントがその動きを止めた事案や、サーヴァント同士の戦いで建物が破壊され、終いにはかの冬木大災害と、最早世間にも影響を受ける事件が起こっていたのだ。
「……なるほど。 ごもっともでございます!」
これには纐纈も、経験者の言葉に素直に頷くしかなかった。
それから四日後である今。
キャスターの髪型は大きく様変わりしていた。
以前は整えられたロブヘアーだった髪も、今では左耳を覗かせ、右側は眉と耳を隠すアシンメトリーに。
さらに数本の髪筋には、赤系のメッシュが大胆に入れられ、どこかスタイリッシュで現代的な印象を与えていた。
彼女は今や、ゲーム配信という未知の戦場にて、大いなる成果を上げつつあった。
その横で、纐纈がクリエイター業の案件探しをしつつ、スマートフォンにヘッドセットをつなぎ、ロード・エルメロイⅡ世とROPEで通話を繋いでいた。
『……で、今や登録者十万人以上の人気ゲームストリーマーとなったわけか…。』
音声通話の向こうでは、ロード・エルメロイⅡ世が頭を抱えていた。
「そうなんですよぉ。僕が稼いでるわけでもないのに、お金が入って困ってて、税金が恐ろしいんですよぉ。 でもキャスターも楽しそうですしぃ。」
電話の内容は、キャスターの収益化があまりにも早く、纐纈は笑いながらも、今後の税金に対して恐れていたことだ。
『……なるほど。 それは確かに恐ろしいな。』
『そ、それは……確かに、大変ですね……。』
これには、エルメロイⅡ世とその傍らのグレイも、苦い反応を返すことしかできなかった。
「そぉなんすよぉ! これ完全に “降って湧いた” ってやつなんですし、どうしましょう……?」
『君もフリーランスなのだから、経費で落とせるものはしっかり落としておくといい。 PC、機材、ソフト類……そのあたりは立派な事業費だろ?』
ロード・エルメロイⅡ世もそれなりに知識があるので、その提案を纐纈にし始める。
「んー、金銭感覚を狂わせないためにも渋ってたんですケド、仕方ないかもすねぇ。」
纐纈は苦笑した。
聖杯戦争が終われば、キャスターと別れる日が来ることを思えば、必要以上の投資を避けたい気持ちも強いのだろう。
『税から逃れる為だ、割り切るしかあるまい。 あと、借金や未払いのものはあるか?』
「んー……、借金って程じゃないんすケド、分割払いがまだ残ってたり、国民年金の免除分があったり……。」
纐纈の生活も、本当にカツカツだった様だ。
『なら、その分割払いと免除分の追納を一括で支払うのが先だ。』
『それなら、未来の負担が軽くなりますし、拙も良い選択かと思います。』
確かに、"大金を手にしたら、最初に借金を返済すること"と言うのは、賢明な策の一つと言えよう。
「確かにそうですねぇ! エルメロイ先生、やっぱり頼りになりますよ~、ありがとうございます!」
それに対して、纐纈が感謝の意を込める。
『──あとは税理士に相談することだ。 私は、税務署とは戦いたくない。』
そう、ロード・エルメロイⅡ世はその点に関しては専門ではないので、これ以上税務のことについては責任を取りたくないのだろう。
「ははは… そうですよねぇ。」
これには纐纈も納得するしかない。
こうして、纐纈とロード・エルメロイⅡ世一行の通話が終わり、その少し後にもキャスターが配信を終える。
「キャスター、お疲れ様。 同接数百三十万、やっぱりすごいよ。」
そう、キャスターの配信は、最早一流配信者レベルの人気を獲得していた。
彼女の超絶技巧プレイ、そして盤石な戦術、全てにおいて多くのリスナーを魅了していたのだった。
「ふふ、ありがとう、士。 配信を終えたらお腹が空いてきたよ。 今日は何を食べようか?」
キャスターは、いつも通りの余裕の笑みで、纐纈の方を振り返る。
「じゃぁさぁ、中華料理屋さん行こうよ! キャスターも祖国の味に近いの食べたいでしょ?」
「ほぉ、それは興味深いね。 行こうか。」
──こうして、二人は近所の中華料理店へと足を運んだ。
纐纈とキャスターは店内の一角のテーブル席で腰を下ろし、キャスターはメニューを食い入るように見つめていた。
「士、ここでは餃子がいつでも食べられるのかい!? しかも、スープに入れるだけでなく、焼くものや茹で上げたものまであるなんて!」
キャスターのいた時代の中国では、餃子は春節の祝いの席で食されるご馳走の一環として食べられ、その種類も現代で言うスープ餃子や蒸し餃子が主流だった。
「そうだよ。 この時代の多様性を味わってみてよ。」
纐纈の勧めで、焼き餃子、水餃子、スープ餃子を注文することに。
程なくして、香ばしい香りとともに三種の餃子がテーブルに並べられ──
「いただきます!」
二人は、その餃子の前で手を合わせた。
キャスターが人生初の“焼き餃子”を一口食べたと同時に、全身に衝撃が走る!
「これは…! サクッとした皮の食感、香ばしさ、噛んだ瞬間にあふれる肉汁と香辛料の旨味! 現代の餃子は進化しているんだね!」
キャスターの目が輝き、焼き餃子の美味しさに心底感動し、最早食レポの様な感想をつらつらと並べた。
「でしょでしょ? これからたまに食べようよ!」
纐纈が笑いかけると、キャスターも満面の笑みを浮かべ、静かに頷いた。
「ふふふ、それは名案だね。 楽しみにするよ。」
和やかな時間が流れる中、店員がそっと一皿を置いていった。
──それは、こんがりと揚げられたごま団子だった。
「おっ、士。 それはなんだい?」
「あぁ、これはごま団子って言って、甘くて美味しいスイーツだよ。」
キャスターの時代では、甘味といえば蜂蜜や水飴が主流で、ごま団子などと言うものなど存在しなかった。
「へぇ、この時代は甘味も豊富なんだね。 私にも一ついいかい?」
「いいよ。 食べてみて食べてみて。」
纐纈も、キャスターにごま団子を薦める。
キャスターがそっとごま団子を口に運ぶと──
「…! これは!!」
普段は冷静沈着な軍師の顔がゆるやかに柔らかく解け、驚きと幸福感に染まっていた。
「美味しいでしょ? なんならもっと注文しちゃおう!」
「それは名案だ! もっと食べよう!」
この一件で、キャスターはいよいよ甘味にも深く傾倒し始めた様子である。
こうして、割とノリの波長が合う纐纈とキャスターの二人は、この聖杯戦争という状況の中で、仲睦まじく楽しく過ごすのだった。