同じく刻は遡り、一竜とセイバーの邂逅から四日前。

とあるホテルの一室、ミルコの監督の下、で猪狩昌真(いかりあきさだ)によるサーヴァント召喚の儀式が、滞りなく進行していた。

床に展開された魔法陣のシートの中央から、立ち上る眩い光と魔力の奔流(ほんりゅう)が室内を圧する。

やがて、その光の中心に姿を現したのは──

筋骨逞しく、スーツに身を包んだ小太りの男。

不敵な笑みを浮かべる顔の左頬には、一本の深い傷と二本の浅い傷。

その出で立ちは、まるで映画のワンシーンのように、静かでありながら強烈な存在感を放っていた。

「……おぉ……これが……伝説のギャング……!」

猪狩の脳裏に、過去に見た一本の映画が()ぎっていた。

かつて銀幕で見た、実在の人物をモデルにした“彼”の姿──まさにこの男に違いないと、即座に確信する。

その時、傷の男(スカーフェイス)がゆっくりと猪狩に視線を向けた。

「よぉ。 お前さんが、俺様のマスターってことだな?」

崩れない不敵な笑みから出た声と、その眼差しから滲み出る威圧と覇気。

まさに“伝説”と呼ばれるにふさわしいカリスマが、そこにあった。

「あぁ、そうだな、 親分…ッ!」

その問い掛けに応える猪狩は、伝説のギャングの威圧感に気圧され、つい"親分"と口にしてしまった。

「…ふむ。」

猪狩の反応を見たミルコも、隣で小さく頷いた。

彼の素性を知る者なら、この反応も無理はないと理解していたのだろう。

「はっはっは、その呼び方ァ悪くねぇな! まぁ、俺様のクラスは"アサシン"だけどよぉ、呼び方は好きにしてくれや。 今の俺様は“サーヴァント”だからよ、使われてやるさ!」

自らを暗殺者(アサシン)と称する男の余裕綽々たる態度は、まさしく伝説のギャングそのものだった。

「……あぁ、よろしく頼む。 俺の名は猪狩昌真(いかりあきさだ)だ」

伝説の男を前にしてもなお、猪狩の声音には興奮と尊敬が入り混じる。

武者震いを押し殺しながら、彼は静かに名乗った。

「昌真、か。 …いい名だ。 よろしくな。」

そう言いながら差し出すアサシンの右手には、争いと血に染まった歴史が刻まれているはずなのに、今この瞬間は穏やかで、儀礼的な所作だった。

間もなくして、猪狩もすぐさま応じる。

その握手こそ、彼の人生において最も誇らしい一瞬だったと言えるだろう。

「どうやら、アンタにとっても“上等な出会い”だったようだな。……さて、私のROPEアカウントを交換しよう。 何かあれば、そちらへ連絡をもらいたい。」

ミルコがスマートフォンを操作し、ROPEの画面を提示する。

「あぁ、わかった。」

それに対して、猪狩はすぐさまROPEでミルコの友達申請を認証した。

それと同時に、猪狩のスマートフォンが鋭く鳴り響いた。

着信主は、組に属する舎弟の一人。

この手のタイミングでかかる電話など、十中八九“碌な話ではない”。

猪狩はすぐに受話した。

「俊之、何があった?」

──組に属する者にとって、この問いは儀礼ではない。

常に“何が起きたか”を即座に把握し、最適解を導き出すための、実務的な確認である。

『兄貴っ……! スナック“あずさ”で、半グレどもが暴れてます! 奴らの人数も多くて、手が足りません! 応援を……!』

電話の内容は、ケツモチしているスナックでの襲撃事件だった。

電話越しの声には、舎弟の焦りが色濃く滲んでいた。

「…分かった、近くだからすぐに駆け付ける。 …それまで、死ぬなよ?」

通話を切るや否や、猪狩は躊躇なく扉へ体を向けた。

「──行くぞ、親分! 手始めに、暴れたくて仕方ねぇ奴らが相手だ!」

「おう、丁度いいじゃねぇか! ウォーミングアップにゃ、うってつけだぜ!」

二人の男が、揃ってスーツの裾を(ひるがえ)し、そのまま夜の街へと駆け出していった。

「…ふむ。彼の組織においては、アサシンの真名が露見する可能性も、決して低くはないな……。」

ミルコは、ひとつため息をついたあと、窓の外に視線を投げる。

夜の帳が、街を包み込もうとしていた。

猪狩とアサシンが現場に到着したのは、それから程なくのことだった。

例の”スナックあずさ”では、現時点で八人ほどの半グレが店内で暴れており、床にはすでに二人の男が倒れていた。

猪狩の舎弟──俊之と哲夫が応戦し、その二人を撃退した形跡が見て取れる。

カウンター裏には、(したた)かな表情のスナックのママが、恐怖に顔を強張らせている従業員達を庇う様に身を潜めていた。

その光景に、猪狩の怒りが沸騰する。

「おい、お(めぇ)ら! 何処で暴れてやがるッ!? オラァ!」

怒号が店内に響いた瞬間、空気が一変した。

舐められたら終わり──この世界では、最初の一言が何より重要だ。

半グレ共は、猪狩が連れてきた“後ろの男”にも視線を向け、直感的に理解する。

──さっきまでの“若い衆”とは、何かが決定的に違う。

「はっ、昌真よぉ。 気持ちはわかるけどよぉ、世の中には"吠える犬は滅多に嚙まない"って(ことわざ)があるんだぜ? まず行動から始めようや。」

アサシンは葉巻に火をつけながら、半グレどもを見下ろす。

その笑みに虚勢はなく、ただ余裕だけが滲んでいた。

なお、アサシンの言葉は、英語圏の諺 “Barking dogs seldom bite.” の引用であり、日本の“弱い犬ほどよく吠える”に相当する。

「なっ!」

伝説のギャングのアドバイスに、猪狩は返す言葉がなく、ただその言葉を飲み込むのみだった。

「なんだ? あのスーツのおっさん……兄貴にタメ口……?」

「あぁ。 でも、あのオーラ……尋常じゃねぇぞ?」

流石、若いながらも修羅場をくぐり抜けて来た若い衆。

アサシンの放つ異様な気配を、一瞬で感じ取っていたのだ。

「なんだよぉ!? 高そうなスーツで威圧してるつもりか!? おっさんよぉ!!」

対する半グレは、そんなアサシンの威圧やオーラなど気のせいだと無理に思い込もうとでもするかのように、虚勢を張り始めた。

「ほほぉ。 てめぇらもただの吠えるだけの噛まねぇ犬なのかぁ?」

アサシンはゆったりと吐き出した煙の向こうから、にやりと笑う。

挑発の刃が、言葉という形で半グレに投げつけられた。

「上等だよ、おっさんっっ! やってやるよっ!!」

半グレたちは挑発に乗り、金属バットを構えて突進する。

その内の一人がアサシンに肉薄した瞬間──

「親分!」

猪狩が割って入り、別の一人の鳩尾(みぞおち)に鋭い蹴りを叩き込んだ。

「舐めんな、ガキがァッ!」

「ふごぉっっ──!?」

蹴りは深く入り、相手は声にならない呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。

だが、残るもう一人は、不敵な笑みのままでピクリとも動かないアサシンに向けて、勢いよくバットを振り下ろす──

しかし、振り下ろした先には、アサシンの姿はなかった。

それもそのはず、アサシンは半グレの背後に既に移動していたのだ。

「兄ちゃんよぉ。 バットってのは、ベースボールに使うもんだろ? 喧嘩なら、拳か脚を使いなァ?」

肩を掴まれた半グレが、冗談をぶつけながらまだ不敵に笑むアサシンに、恐怖で目を見開いていた。

直後、アサシンの足が閃き、フロントキックが男の背中を捉えた。

蹴り飛ばされた半グレは、猪狩の方へと押し出されて行く。

「昌真! 的、用意してやったぜ!」

そう、アサシンは飽くまで部外者の立場を崩さず、騒動のケジメは猪狩自身に取らせる。

それが、アサシンなりの礼儀だった。

「サンキュー、親分!」

猪狩が助走をつけ、そこから放たれた蹴りが、鋭い直撃となって半グレの胸板を打ち抜いた。

「ほあぁっっ!?」

骨ごと砕かれたかの様な衝撃に、男は地面に転げ、痛み悶えた。

「…んで、そこのてめぇらはどうするんだい?」

アサシンが、残りの半グレ達の闘う意思を尋ると──

「…ちくしょう! …覚えてろよ、バーカ!!」

最早勝ち目はないと悟った半グレたちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

「ママ、お嬢さんたち。 ……もう終わったぞ。 遅くなってごめんな。」

騒動が終わり、猪狩はスナックのママや従業員に声を掛け、駆け付けるのが遅くなったことに頭を下げる。

「昌ちゃん! ありがとうね、 ごめんね、無茶させちゃって。」

スナックのママも、騒動が終わったことに安堵し、猪狩にお礼の言葉を掛けた。

「俊之! 哲夫! お前達は大丈夫だったか!? 複数人相手によく耐えたな。」

「兄貴… すみません、アイツらにこんなに暴れさせてしまって…。」

舎弟の二人が言う通り、店内は三割程が半グレ達によって破壊されていた。

「最初から十人いたんだろ? 気にすんな。……悔しいなら、今度稽古つけてやるよ。」

猪狩の口調は厳しくも優しかった。

彼は、“無理な状況では必要以上に叱らない”という信条を貫いている。

「ありがとうございます。 …ところで、兄貴が"親分"って言ってた、そのオーラの強い人って、いったい何者なんですか?」

舎弟の一人は、アサシンの存在が気になり、猪狩に恐る恐る尋ねた。

「…あぁ、この人はなぁ…。」

猪狩が言葉を選びかけたその時。

解放された扉から、人影が差し込んだ。

「猪狩氏……。こうなってしまった以上、アンタの組織には話してしまっても構わんだろう」。

ミルコ・ボテッキアだ。

「ミルコ!? お前、付いて来てたのか!?」

これには猪狩も、いつの間にかそこにいたミルコに驚いていた。

「そこの諸君、急に現れて恐れ入る。 私は時計塔所属、ミルコ・ボテッキア。 そのスーツの男の真名は、こちらだ。 それを確認し、口外は慎んで貰いたい。」

ミルコはそう言い、猪狩から一度自ら手渡したアサシンの真名のメモ書きを預かり、舎弟二人へ見せた。

「…えっ!? あの男…いや、あの人が!?」

どうやらアサシンの真名は、若い衆にも周知の様だった。

「猪狩氏。現状を正確に伝える為にも、私を組の方へ同行させてくれないか?」

ミルコとしては、最早アサシンの存在は組全体に話す方が、後々の手間を省けると判断したようだった。

「…ったく、しょうがねぇな。 もう破れかぶれだ。」

猪狩もその提案に承諾し、それから猪狩、アサシン、舎弟、そしてミルコは、古井戸組へと赴いた。

──古井戸組事務所。

「そういう訳でございますので、どうにか猪狩氏に、こちらのアサシンの同行を許していただけませんでしょうか? 聖杯戦争に関する責任は、私、ミルコ・ボテッキアが取るつもりです。」

ミルコは堂々とした態度でありながらも、最低限の丁寧な口調で、古井戸組長に聖杯戦争の事について説明し、アサシンを客人として受け入れてもらえないかと交渉していた。

それに対し、暗く重い色味の浴衣に身を包んだ古井戸組長は、まるで長い歳月をくぐり抜けてきた岩肌の様な顔を顰め、ミルコの提案について吟味していた。

「…わかった。 どうせこの世界に足を踏み入れてしまったら、何れにせよ畳の上で死ねる訳もないからな。 それに、伝説のギャングを家に招き入れられるなど、これほどの光栄は他にないだろう。」

鋭さの残る古井戸組長の目が細まり、アサシンの客人入りに応じた。

「急な申し出にも関わらず、ありがとうございます。 何かあれば、猪狩氏を通じてご連絡を承ります。」

ミルコは立ち上がると同時に、深々と一礼した。

こんなこともあろうかと、日本式の礼儀も、出国前にしっかりと学んでいたのだ。

「組長さん、俺様からも感謝するぜ。 気軽に話しかけてくれな?」

アサシンはそう言い、組長に握手を求めて手を差し出し、組長もそれに応じた。

「あぁ、旦那。 こちらこそよろしく頼む。」

──こうして、伝説の男は正式に“古井戸組の客人”として迎えられた。

──それから四日後である今。

古井戸組の組事務所では、組員達の談笑の空気が溢れ返っていた。

その中心にいたのは、アサシンだ。

「んでよォ、アトランタの刑務所でずーっと刑務作業をしてく内に、気づきゃ靴作りもマスターしちまってたって訳なんだよ。」

アサシンの、豪快な武勇伝に交じって、そんな自虐めいた逸話まで披露する姿が、寧ろ彼の人間味を引き立てていた。

「はっはっは! 流石親分さん! お勤めの時でも前向きに考えられて、やっぱり器が違いますよ!」

そこには笑いが起こり、事務所には和やかな空気が広がっていた。

中には、アサシンの話に感動すら覚えている者もいる。

「(…はは、なんかもう、サーヴァントの秘匿性とかわかんなくなってきたな)」

これには、アマスターである猪狩も心の中で苦笑いを浮かべていた。

それだけ、アサシンは古井戸組に溶け込んでいた。

「ところでよ、お前さんら。 最近はどんなシノギしてんだ?」

アサシンが組員らに切り出したのは、シノギの話だった。

「あぁ…、最近は……あんまりパッとしませんね。暴対法の影響で、やれることも限られてますし。 昔馴染みの店のケツモチや、シマで暴れる奴らの締めくらいっすよ。」

今や社会の風当たりは厳しく、裏稼業の幅は狭まる一方。

古井戸組も、時代の変化に苦しんでいた。

「そうかぁ…。 でも、やる時はやらなきゃ、ただのタマなしなんじゃぁねぇのか?」

その口調には、かつての時代を生き抜いた男としての諭しが滲む。

「それも、そうですねぇ……。 じゃあ親分さん、どんなのが良いと思います?」

問いに応じたアサシンは、顎をさすりながら──

「そうだな……いっそ、酒の密輸入とか、でけぇこと仕掛けてみるか!」

堂々たる提案をぶち上げたが──

「え?」

組員達の反応は、完全に置いてけぼりだった。

そこで、猪狩が口を挟む。

「親分、今はアンタの時代と違って、酒の販売は合法なんだよ。」

そう、猪狩は禁酒法時代についての知識があったのだ。

それ故に、この食い違いの説明や解説も滞りなくこなせるのだ。

「はぁ?」

やはり、アサシンは昔の価値観と今の価値観が変わったことに驚いている。

そのままアサシンは、また顎を摩りながら考えるが──

「はっはっは! なら上等だ! ハッタリが通じねぇ世の中なら、堂々と酒の売買で勝負しようじゃねぇか!」

今度は“密輸”ではなく、“合法的な商売”としての提案。

時代の変化を真正面から受け止めての、柔軟な方向転換だった。

「おぉ! そんな風に機転を利かすなんて、流石親分さんです!」

これには組員達から、惜しみない拍手と偽りのない賞賛の声が上がる。

「けどよぉ、親分。 勝手に動く前に、まずは親父(おやっ)さんに提案しようぜ?」

猪狩の言う通り、どの業界のどの仕事でも、新たな事業を始めるには、上の人間からの許諾は必要不可欠なものだ。

「勿論だ。 早速組長さんのとこへ行こうぜ!」

その言葉と共に、猪狩とアサシンは組長の部屋へと向かった。

そこでアサシンは、酒類販売を主軸にした新規事業と、その経緯を丁寧に説明する。

「──ってワケだ、組長さんよ。アンタはこのシノギ、どう思う?」

アサシンの提案の内容は、一般の事業で行っても完璧なレベルで、とても上出来なプレゼンだったと言えよう。

「ふぅむ…。 旦那、アンタが言うなら上手くいきそうだ! そのシノギ、任されてくれるかい?」

伝説のギャングの提案であれば間違いなく成功すると踏んだ古井戸組長の目には、確かな信頼と期待が宿っていた。

「おうよ! 任されてやるよ!」

その古井戸組長の言葉に対し、アサシンも自信満々に応える。

こうして、伝説のギャングが仕掛ける新事業が、正式に古井戸組のシノギとして動き出す。

「よし、昌真。 早速国内の酒のメーカーから話を付けようぜ!」

「…お、おう。」

アサシンが、”善は急げ”と言わんばかりに早速行動に移り、猪狩も彼の勢いに押されながらも、シノギの準備を始めた。

──こうして、現代に生きる伝説の男の商才が、裏社会の一角で新たな息吹を吹き込むこととなった。