同じく刻は遡り、一竜とセイバーの邂逅から四日前。

シリルの宿泊するホテルの一室にて、冨楽謙匡(ふらくよしまさ)によるサーヴァント召喚の儀式が、滞りなく進行していた。

魔法陣が青白く眩い光を放ち、その中心から現れたのは──

──圧倒的な質量。

そして、熊の毛皮を頭から深く被った、288cmの巨漢。

それはもはや“男”ではなく、巨人。

否──獣すら飲み込む“神話の破壊者”の様であった。

「ウオオオオォォォォォォッッ!!!」

室内の空気が震え、窓ガラスが微かに鳴った。

あまりの咆哮に、冨楽はその場で硬直する。

「……えぇっ!? えええぇぇぇっっっ!?」

驚愕と混乱が入り乱れ、彼が絶叫するのも無理はない。

この世の理を超えた巨人が、目の前に立っていたのだから。

「ふふ。 こんな事もあろうかと、天井の高い部屋を手配しておいて正解でしたよ。」

冨楽の傍らで、シリルがくすりと笑う。

その様子は、もはや予見していたかの如く余裕に満ちている。

「なーに呑気なことを言ってんですか!? デカすぎでしょ!? 聖杯戦争って、”怪獣大決戦”か何かなんですか!?!?」

そんなシリルに対して、冨楽はギャグ漫画のツッコミ役の様に捲し立てながら、頭を抱える。

「……って言うか、こいつって言葉は通じるんですか?」

そう──この手の怪物との会話は、極めて困難なケースが多い。

もし会話すら不可能ならば、契約どころか運用もままならない。

「ご安心ください。狂化は控えめに調整しておりますので、非常に簡単な会話ならば可能ですよ。」

シリルは淡々と、だがどこか愉快げに説明を加えた。

すると──

「……マスター……ドッチダ?」

巨人が低く地響きの様な声をあげ、少しずつ言葉を紡いでいた。

「さぁ、冨楽様。 貴方がマスターですよ。 バーサーカーに宣言しましょう。」

シリルはどこか意地の悪い笑顔で、冨楽に促した。

「えぇ……。 もう、分かりましたよ……。」

これには冨楽も完全に観念したように溜息を吐き、狂戦士(バーサーカー)の前へ一歩前へ出た。

「……バーサーカー、俺がマスターだよ。 俺の名前は冨楽謙匡(ふらくよしまさ)。 好きに呼んでいいから。」

冨楽は半ば投げ遣りな態度で、バーサーカーに対して自分がマスターだと告げた。

「……? ……ナマエ……ムズカシイ。」

バーサーカーは、もぞもぞと唸る様に言った。

やはり、完全な言語能力は保たれていない様だ。

「……じゃあ、もう“マスター”でいいよ。」

冨楽もそれ以上のやりとりは望まず、妥協することにした。

面倒見の良さが滲む、普段の業務での彼らしい対応だった。

「……マスター……ワカッタ。」

バーサーカーが静かに頷いた瞬間、契約が確定した。

「ふふ、これで無事に契約完了ですね。 それでは今後の連絡のため、ROPEのアカウントでも送っておきましょう。 ご不明な点は、そちらでご連絡をくださいね。」

冨楽のスマートフォンに、シリルからROPEの友達申請が送られ、冨楽は煮え切らない表情を浮かべつつも、承認せざるを得なかった。

こうして、冨楽とバーサーカーは、二人でシリルの部屋を後にしようとした。

「それでは、頑張ってくださいねぇ。」

シリルは、相変わらず掴み処のない笑顔で、冨楽とバーサーカーを静かに見送った。

「──あ、それと、こいつはよく食いますので……その点だけ、ご注意を。」

シリルがなにやら不穏な一言を残し、部屋のドアが閉められた。

「……えっ!? ちょ、シリルさん!? 後だしじゃんけんでしょ!? それって!」

冨楽はその一言があまり理解できておらず、そのドアを半ば苛立ち気味で何度もノックをするも、当のシリルは窓際で耳にイヤホンを刺し、音楽に没頭していた。

なお、彼が聴いているのは、UKハードコアである。

「お客様、他のお客様のご迷惑となりますので……お静かにお願い致します。」

最終的に、冨楽はホテルスタッフから注意を受けてしまい、しぶしぶバーサーカーを連れて退出することとなった──

ホテルを追い出された冨楽とバーサーカーは、宿も足もないまま途方に暮れていた。

その最中、バーサーカーがなにやら腹を押さえていた。

グルルルゥゥ〜…

バーサーカーの腹からは、まるで獣か怪獣の鳴き声のような、不穏な腹の虫の音が鳴り響いた。

まさに、腹を空かせた獣と表現する他ない。

「マスター……オレ(オデ)……ハラヘッタ……。」

バーサーカーは両手で腹を押さえながら、切実な声を漏らした。

その姿に、冨楽は軽く頭を抱えつつ、溜息を吐く。

「……あー、もう電車もないしな。 仕方ない。どっかで飯でも食ってくか……。」

シリルによる聖杯戦争の説明、そして召喚儀式──

一連の手順で時間を大きく消費したため、冨楽は最終の在来線を逃してしまっていた。

こうして二人は、深夜も営業している牛丼チェーンへと向かう。

冨楽が先に入店し──

続いてバーサーカーが、屈みながらドアを通ろうとした──が。

……ドゴォッ!!

バーサーカーの頭が入口の上部に直撃し、店の入り口の一部が粉々に砕け散った。

「……あーあ。やっぱりこうなるよなぁ……。」

予想していたとはいえ、実際に起きるとため息しか出ない。

当然ながら、店内の客も店員も、全員が目を見開き、口を開けたまま固まっていた。

「……い、いらっしゃいませ……。」

それでも一人の店員が、絞り出すような声で接客の言葉を発した。

その姿は、まさしくプロ根性の体現であった。

「……あぁ、すみません。 入口の弁償は後日必ずします。 私はこういう者ですので、どうかお見知りおきを……。」

冨楽は即座に平身低頭で頭を下げ、名刺を差し出す。

バーサーカーが自分のサーヴァントであることを、社会的責任として受け止めていた。

なんとか一段落し、二人は奥のテーブル席へ。

「お前、よく食うって話だったな……とりあえず、特盛を三杯くらいで足りるか……?」

冨楽は店内の注文タブレットで操作を始める。

その間にも、バーサーカーは厨房のほうへ視線を向けていた。

「……イイニオイ。」

食材の香りに誘われるように、巨体が立ち上がろうとしていた。

「あぁ、ちょっと待った待った! あっちは作ってる途中だから行っちゃダメだぞ? お前の分が来るまでここで座ってろな?」

そんなバーサーカーを制止するように、冨楽はまるで引率の先生かの如く、バーサーカーを説得した。

程なくしてアナウンスが流れ、注文した特盛三杯が完成した。

「よし、今取ってくるから、待っててくれよ?」

冨楽は、席で鎮座バーサーカーを警戒しつつカウンターへ行き、牛丼をトレイに載せて席へ戻る。

「さぁ、ご飯だぞ。」

目の前に置かれた三杯の特盛牛丼。

普通の成人男性なら一杯で満腹の量である。

「……メシ。 ……メシ!!」

それからのバーサーカーの行動の早さは、予測がついていたとはいえ、圧巻する程だった。

バーサーカーは、一杯目を両手で掴むと、まるで巨大なプリンをひっくり返す様に、そのまま口へ、丸ごと流し込んだ。

「……やっぱりそうなるよなぁ。」

冨楽は呆れ顔のまま、次の一杯、そしてまた次の一杯が同じ運命を辿る様子を見守る。

「……マスター…タリナイ!」

やはり、288cmの巨体には、牛丼の特盛三杯くらいでは足りないのだろう。

バーサーカーは、腹をさすりながら再び要求してきた。

「うわぁ、やっぱりか……。」

冨楽は頭を抱えつつも、観念したようにもう一度タブレットを操作する。

「分かったよ、分かったよ。 もう三杯追加しよう。 もう自棄(ヤケ)だ。」

「ウオオオォォォ! メシイイイィィィ!」

上機嫌で咆哮するバーサーカーの声に、店内の緊張感が再び高まる。

それからも注文が五回程繰り返され──

「合計……一万四千七十円です。」

最終的に合計十五杯もの量を食し、最早チェーン店で食べるというレベルを超えていた。

「あぁ……はい。」

冨楽は肩を落としながら、スマートフォンで電子決済を完了する。

その姿を見た店員と店長は、どこか同情するような視線を向けた。

「大変でしたね……。 入口の破壊の件は、店長判断で不問となりました。 どうか…ご武運を。」

あまりにも常識外れのツレに振り回される冨楽を見て、厨房で控える店長は、それ以上金銭面で追い詰めるのは酷だと判断したのだろう。

本当(ほんっとう)にすみません……。 もう二度とあのツレは同行させません…。」

冨楽は、深々と頭を下げるしかなかった。

腹八分目となったバーサーカーは、満足げに体を左右に揺らしながら、夜風に当たっていた──

それから四日後である今。

冨楽は、電車内で頭を抱えていた。

それは、目の前の座席で腕を組んで座るバーサーカーに対してだった。

今は礼装ではなく、特注のパーカーとズボンを身に着けて、一般人のふりをしている。

……とはいえ、288cmの筋骨隆々の巨漢がパーカーを着ていたところで、一般人に見える筈がない。

案の定、周囲の乗客はチラチラと視線を送り、気まずい空気が漂っていた。

なお、バーサーカーがどうやって改札を通り、電車に乗り込めたのか──その詳細は……説明が難しい為、追及しないで欲しい。

「(やっぱり、無理があるんだよなぁ…。)」

冨楽は、深々とため息をついた。

この四日間、自宅の食材は瞬く間に尽き、外食の度に財布が焼き尽くされ──極めつけは、この特注衣装の製作費。

冨楽の財布や銀行口座は、既に悲鳴を上げていた。

「(こいつを満足させるには、食べ放題の店しかないもんなぁ……)」

そう、今日は“最終手段”とも言える食べ放題の焼肉店に向かっている最中だった。

グルルルゥゥ〜…

そんな思考を遮るように、またしてもバーサーカーの腹が猛獣の様に唸る。

「…マスター……ハラヘッタ。」

力なく呟くバーサーカーは、最早エネルギー切れ寸前だった。

「……あーはいはい、もうすぐ着くから、もうちょっと我慢な?」

冨楽は、まるで幼児を宥める様に声を掛けた。

やがて電車が目的の駅に到着し、そのまま電車を後にし、改札を出て、目的地の店へと歩みを進めるのだった。

重ねて申すが、バーサーカーがどうやって電車から降り、改札を通れたのか──その詳細は……説明が難しい為、追及しないで欲しい。

しばらくして、二人は目的の店へ到着。

その店頭には"食べ放題"の看板が掲げられ、その背景には、見る者の食欲を刺激する程に、こんがりと美味しそうに焼けた焼き肉の画像が示されている。

「……メシ。 ……メシ!」

その看板を目にしたバーサーカーの声が、異様な明るさを帯びはじめた。

「……さてと、入るか。」

こうして、二人は入店する。

言うまでもないが、バーサーカーは店の入り口の上部に頭をぶつけ、先日の牛丼屋よろしく、また破壊してしまう。

「……?」

バーサーカーも、いつものことではあるが、無言で入り口を見返すのみだった。

「(……やっぱデカすぎるよなぁ。)」

当然、店内は騒然。

冨楽は平謝りしながら名刺を差し出し、後日弁償することを約束することとなる。

そして、店内の一角のテーブル席に案内された二人だが、当然ながらバーサーカーには椅子が小さすぎ、まるで子供用の家具に大人が無理やり座っている様な有様だった。

テーブルの高さに至っては、彼の膝程しかない。

「(……まあ、もう見慣れたよ。)」

冨楽は諦めにも似た表情で、注文用タブレットを操作し、ひたすら肉を追加していく。

「……マスター……メシ……マダ?」

周囲の客が肉を焼きはじめる中、バーサーカーの食欲は抑えきれず、声も焦り始める。

「あぁ、もうすぐだから。 もうすぐだから。」

冨楽も、なんとかバーサーカーを宥め、木炭でいっぱいのロースターのコンロに火をつけ、いつでも肉を焼ける様に準備をする。

「!?」

その時、バーサーカーが僅かに血相を変えた。

「? どうした?」

火を見つめるバーサーカーの表情には、何やら警戒心が見え隠れしていた。

「……。」

彼はただ、燃え上がる炭火のロースターを見つめ、威嚇している。

よほど火に何かトラウマでもあるのだろうか。

「……? まぁ、いいか。」

冨楽がそう呟いたと同時に、注文した肉が届いた。

「さぁ、そろそろ食べるか。 まずは焼かなきゃな。」

冨楽は、テーブルの上のトングで、焼き肉をロースターの網の上に並べ、それらを焼き始める。

ジュウジュウと響く焼き音に、脂が弾け、食欲を刺激する香りが立ち上る。

すると──

バーサーカーは、無言で肉の皿に手を伸ばし始める。

「……ん?」

違和感を覚えた冨楽が視線をやると──

バーサーカーがそのまま生の肉を掴み、そのまま躊躇なく口へ運び、バクリと食べ始めるのだった。

「えぇぇぇっっ!?!?!?」

冨楽は、ただその場で目を大きくして驚く。

ムシャムシャ……ゴクリ。

バーサーカーは、さも当然の如く、平気な顔で生肉を完食する。

どうやら、バーサーカーは満足そうな様子だった。

「おいおいおいおいおいおいおい!!!!????」

無論、冨楽はバーサーカーのその様な異様も異様な行動に対して、慌てて止めに入ろうとする!

「バーサーカー!! やめとけって!! お前の時代と違うんだぞ!! …いや、むしろそもそもお前の時代でも他の奴はやってないだろ!?」

バーサーカーについてはあれから調べたことがあったのだが、元々の時代では、大蛇のぶつ切り、大型動物の生肉、挙句の果てには猿の脳みそさえも食していたという逸話は、一応知ってはいた。

しかし、この現代でそんなことをしてしまっては、あまりにも目立ちすぎてしまう。

そもそも、288cmの人間がいること自体が異常なのだが……。

それでもバーサーカーはお構いなしに、ただひたすらに生肉を貪り続けている。

「……ウマイ!」

最早、無邪気に生肉を頬張るバーサーカーの耳には、誰の声も届かない。

その異様な光景に、若い男性店員が駆け寄ってくる。

「あ、あの、お客様!? えっと……お肉は焼いてからお召し上がりください!!」

その声には、驚きと困惑とその他諸々の感情が混じっており、最早本人すらどの様な感情か理解出来ていない様にも窺える。

「あぁ、すみません! ウチのツレ、変なんで!!」

冨楽も狼狽しきっており、これ以上ない程の苦しい言い訳をするしかない。

「えっ、あ、そうなんですか……?(…どういうこと!?)」

無論、そんな弁明で充分に納得出来る人間など、千人いても一人いるかどうかも怪しい。

「ウマイ……モット……クイタイ!」

バーサーカーは生肉にご満悦の様子で、またしても皿へ手を伸ばしていた。

それから、冨楽も悲鳴を挙げつつも何度も注文しては、バーサーカーがまた生肉を貪ると言う繰り返しの後──

この日、店の生肉の在庫が尽きるまで、バーサーカーの食欲は止まらなかった。

──後日

冨楽のスマートフォンには、一通のメールの文面が書かれていた。

《すたみなくん 花園御苑前店:入店禁止のお知らせ》

「……まあ、そりゃそうだよな。」

生食で店全体を困惑させただけでなく、在庫の肉を食べ尽くしてしまえば、他の客の食べる分もなくなってしまうのだから、冨楽も出入り禁止を言い渡されることは覚悟の上だった。

「バーサーカー、もうあの店、二度と来るなってよ……。」

「ナンデ……?」

当然、バーサーカーが理解出来るはずもなく、ただ首を傾げている。

彼に悪気などまったくないのが、かえって辛い。

「……はぁ。 次は、どこ行きゃいいんだ……?」

冨楽は、途方に暮れ、しばらく悩む日々が続くと思い、肩を落として溜め息を漏らす。

──こうして、冨楽にとっての“最初の戦い”は、聖杯戦争ではなく、食費と社会的信用との戦いとして幕を開けるのであった──