いよいよ、セイバー陣営とアーチャー陣営の対峙。

聖杯戦争の参加者同士、どれほど熾烈な駆け引きが繰り広げられるのだろうか──?

──と思うことであろう?

今、彼らが向かい合っているのは戦場ではなく、陽の差し込むこぢんまりとしたカフェのテーブル席だった。

「なるほどぉ。 それでアーチャーはロードバイクにハマってたんだ!」

おしぼりを手に笑う一竜の視線の先では、恵茉とアーチャーが軽快に話を弾ませていた。

ちょうど話題になっていたのは、アーチャーが現代に来てからロードバイクに夢中になった経緯についてだった。

「そうそう! だって、初めてロードバイクを見た時から、ずーっとロードバイクの画像や動画ばっかり観ててさ。 で、しょうがないからプレゼントしたら、そこから毎日乗り回す様になっちゃってね。」

恵茉は苦笑まじりに話す。が、その表情はどこか楽しげで、まるで手のかかる家族を語るような親しみすら滲んでいた。

「ああ。 ロードバイク(そいつ)で風を切ってペダルを漕ぐ感覚、たまんねぇんだよ! 恵茉んとこの両親が太っ腹で助かったぜ!」

アーチャーはそう言って笑いながら、さも当然のように恵茉の実家の経済力に言及する。

「……って、ちょっとアーチャー! そういうの、言わなくていいってば!」

即座にツッコミを入れる恵茉には、それなりの理由があった。

どうやら海外の大手新聞社で働く彼女の両親のことは、金持ち自慢と捉えられるのが嫌なのか、あまり話したくないらしい。

「ははっ。 失敬、そうだったな!」

アーチャーは悪びれる様子もなく、豪快に笑って謝ってみせていた。

「あはは…。 お互い、サーヴァントには苦労したりするんだなぁ。」

一竜はそのやり取りを見て微笑むと、ふと自分とセイバーの日常に思いを馳せた。

そしてその瞬間、テーブルにコーヒー三杯と、緑茶一杯が運ばれてくる。

「それでね、アーチャーときたら、ロードバイクの他にも──」

恵茉がさらにアーチャーの趣味について話し出そうとした、その時だった。

「っ!! やっぱりここのコーヒーは格別だな!! このコクの深さと芳ばしい香り、どうやったら自宅でもこの味が再現できるんだ!?」

──カフェに響き渡る大声。

まるで初めてコーヒーを口にしたあの時の様に、アーチャーはあっけらかんとした大音量で叫んだ。

その声に、カウンターの奥の老夫婦と店員が、またあの時の様にくすくすと笑い、他の客までもが肩を揺らしていた。

「……ほらね? いつもこうなんだから」

恵茉はすっかり慣れた様子で溜息を吐き、アーチャーの“声高々な感動”の癖について説明した。

「ははは……アーチャーって、全体的にアクティブなタイプなんだなぁ。」

一竜は苦笑しながらも、コーヒーに夢中なアーチャーとは対照的に、静かに緑茶を啜っているセイバーに視線を移した。

「そんなとこかな。 ところで、セイバーの方は何かハマってる趣味とかあるの?」

恵茉が興味深そうに尋ねると、一竜が口を開く。

「セイバーはね、剣術動画とボードゲームに夢中だよ。 ボードゲームに関してはさ、オレがいつも負けてばっかで…高校時代にボードゲーム同好会でトップクラスだった頃が懐かしいよ…。」

一竜は少し照れたように笑いながら話す。

「この時代のボードゲームは、戦略性が鍛えられます。 (わたし)も大いに重宝しております。」

静かに湯飲みを置き、セイバーが口を開いた。

その声音は穏やかだが、芯の強さがにじみ出ている。

「へぇ。 遊びの延長だと思ってたけど、そういう視点もあるんだねぇ。」

恵茉は素直に感心しつつ、もう一口コーヒーを飲んだ。

サーヴァント達の個性が交差し、笑いが溢れるこの一時(ひととき)

そして――会話は自然と、とある話題へと移っていく。

「そういえば、私市くん。セイバーの偽名って、もう決めてるの?」

恵茉の言葉に、一竜は右手で持つカップの手が止まり、目を丸くした。

「…え?偽名?」

「えぇ!? もしかして、担当の魔術師さんから何にも聞いてなかったの!? アタシなんかこの前、ルヴィアさんにきっちり言われて、その日の内に決めたのに!」

驚きを隠さない恵茉の言葉に、一竜は肩をすくめて苦笑する。

「……なーんにも聞かされてなかったし、正直そんなこと、全然考えてなかったよ!」

セイバーを召喚してからというもの、一竜は戦い方や礼装の扱い方、更には人目を避ける立ち回りまで、日々の対応に追われていた。

偽名――つまり表向きの身分の必要性まで、気が回らなかったのだ。

「だったらよぉ、今からでもお前さんの担当魔術師に聞いてみりゃいいんじゃねぇか?」

アーチャーが、飲み干したカップを置きながら助言をくれる。

「…うん、そうするよ」

すぐにスマートフォンを取り出し、連絡を取る。

コールが……1回、2回、3回……そして30回を越えたところで。

『──はい。 一竜くん? どうしたの?』

ようやく電話が繋がった。

聞こえてきたのは、どこか少し慌てた後の様子の凛の声だった。

気付いている方もいるだろうが、機械音痴の彼女は、着信が来てから受電するのに戸惑っていた。

「凛さん、お疲れ様です。 ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど…。」

一竜は、セイバーの偽名について問うた。

『…はァ!? なーんにも考えてなかったの!? そんなの、なんとなく考えたらわかるでしょっ!?』

スマートフォン越しでも分かる凛の怒気に、一竜の耳元のスマートフォンがブルブルと震えていた。

そもそも、聖杯戦争に馴染みのない一般人に"考えたらわかる"など難しいことであり、本来は凜がそのことについて念を押すのが筋なのだが…

「(うわぁ…これは怒ってるなぁ…!)」

「あはは……いやぁ、すみません…。」

項垂(うなだ)れ頷き続ける一竜は、まるで水飲み鳥の様だ。

彼自身も気付かなかったことは事実である為、ある程度申し訳ないと思っているのだろう。

『……まったく、しょうがないわね。今日中に、ちゃんと考えときなさいっ! いいわね!?』

凛の“愛ある怒鳴り”が響き、通話は一方的に切れた。

「……はぁ。また課題が増えちゃったな…。」

一竜はぐったりと肩を落とし、目の前に積まれたタスクの山を想像して頭を抱える。

「はは、ドンマイ。 まぁ、頑張って考えなよ。」

恵茉はくすくすと笑いながらも、同級生らしく労いの言葉をかけてくれた。

その隣では、アーチャーがおかわりの一杯に心を躍らせていた。

しばらくの団欒の後、セイバー陣営とアーチャー陣営はそれぞれの帰路へと分かれていく。

「なぁ、恵茉。 俺の偽名も、参考までに話してやってもよかったんじゃないか?」

ロードバイクを押しながらアーチャーが口を開く。

「えぇ…。 アンタの偽名こそ、一番教えちゃいけないでしょ。"ワイアット"って、そのまんますぎてバレバレなんだから。」

恵茉は呆れた様に言い放つ。

「そうかぁ。 俺はかっこいいと思ってんだけどなぁ。」

そんな他愛もない会話が、昼下がりの道に穏やかに響いていた。

一竜とセイバーは自宅へ戻ると、早速偽名について検討を始めることとした。

「さて、ここからどうやって偽名を決めるかだな。」

一竜は、ちゃぶ台の上にA4用紙とペンを用意し、偽名の選定の考想の準備を整えている。

「一竜殿。 (わたし)は、この時代での名の仕組みについては分かりかねるものが多々あります。 御身(おんみ)が主導となって、選定させていただいてもよろしいでしょうか?」

セイバーも、召喚から数日は経っているが、それでも現代の全てを理解出来ている訳ではない為、アイデアは一竜に委ねることとした。

「あぁ、それでいこう。 だけど、大学のレポートもしながらだけど、それでもいいか?」

そう、大学生にはレポートと言う難儀な課題がある為、全ての時間を自分の自由には扱えないのだ。

「承知致しました。」

セイバーも、そんな一竜に配慮し、彼の条件を飲み込むこととした。

こうして、一竜はレポートの傍ら、セイバーの偽名についても構想を練り続けた。

しかし、一時間、二時間、三時間と、レポートと偽名選定を繰り返し、最早何を考えているのかさえ分からなくなり、遂には夜を迎えてしまう。

「うーん…どうしよっかな。 あんまり怪しまれない名前がいいんだけど…。」

レポートもまだ途中、セイバーの偽名も決まらず、一竜は両手で頭を抱えて、ちゃぶ台に顔を乗せ、考えに耽っている。

「…真名を隠しつつ、馴染みやすい名…。」

いよいよ、疲れ果てている一竜を見兼ねたのか、セイバーも自分なりにアイデアを練り出す始末。

「セイバー。 ここまで思いつかないんなら、こうなったら簡単な方向で行こう。 キミの真名から、少しだけ捻ってみるとかさ。」

一竜は、三時間に渡って中々考えるも、今の様な思いつかない様子に埒が明かず、その決断に至った様だ。

「早速、苗字は…“井上"とかどうだろう?」

最初に浮かんだ言葉は、"井上"と言う、一般の間に溶け込むには申し分ないものだった。

「ふむ… 一竜殿のその提案、悪く御座いませんね。」

セイバーは、一竜が捻り出した提案に、口元に手を当て考え、その提案に悪くない反応を示していた。

「よし! あとは名前だな。 ~子とか、~美とか、女性らしいのもいっぱいあるけど…」

一竜はこのまま続けて、下の名前もそれなりに女性らしいものを捻りだしているが──

「一竜殿。 それならば、その女性らしい名前は却下いたします!」

ここで、セイバーがなにやら強い意志を主張し始める。

「えぇ! なんで!? 可愛いと思うのになぁ。」

一竜としても、セイバーの優しさの窺えられるその姿に見合った可愛らしさと、本人の立ち振る舞いの様な古風な名前を合わせた名前にしようと思ったのだろう。

(わたし)は、これまで真っ当な女性としての生き方は、真面に御座いませんでした。 幼名やそれからの名などにも、女性らしさもありません。 ですので、いっそこの時代で男女共に名乗れる様な偽名がよろしいかと。」

そう、彼女は一人娘であった為、城主である父からは、男の様に育って欲しいと願い、男の様な名を与えられていた。

その為、例え偽名であるにしろ、自らもその流れに沿おうと思っていた様だ。

「そうかぁ…。 よし、じゃあ、“井上直”でいこう! それでいいか?」

"井上直"、完全に一般に混じっても、何の違和感もなく溶け込める、無難な偽名が仕上がった。

「承知致しました。 遅くまで考えてくださり、ありがとうございます。」

セイバーも、自身の偽名が決定するや否や、一竜に微笑みを交わし、鮮やかなお辞儀を見せる。

「…あとは、凜さんにも報告しないと!」

一竜も、セイバーの偽名が決定したと同時に、三十三回のコールの後、凜にその旨を連絡をするのだが──

『…ちょっとぉ? そんな真名と近い様な名前だと、バレやすくなっちゃうんじゃないの!? 本当にそれでいいの?』

確かに、その偽名ではまだセイバーの真名と近しいものがある為、凜が心配するのも無理はない。

そもそも、アーチャーやアサシンの偽名さえ、真名から直に取っているものだったのだが…

「はい、それで行きます。 他の陣営には、偽名については大っぴらには話さないつもりですので。」

それでも一竜は、一度決めたことについては、もう曲げるつもりはない様だ。

そもそも、これで選定のし直しとなってしまっては、今度は何時間考えることになるか予測がつかなくなってしまう、なんて言うこともある。

『…もう、分かったわよ。 でも、何かあっても責任は自分で取りなさいよ?』

その一竜の決断に、凜もこれ以上言うこともなく、読んでいた本をパタンと閉じ、一竜の意見に賛同することとした。

「分かりました。 後は目立たない様に…します。」

この先は目立たない様に善処する旨を凜に話す一竜の声には、自信のなさが目に見えていた。

そもそも、この日に起こった、セイバーの剣道部体験練習参加の件もあるからだろう。

『…えっ? なんだか自信なさそうな言い方ね? …まぁ、もう時間も遅いし、いいわ。 本っ当に気を付けなさいよ?』

やはり、凜が一竜の発言の一言一句を逃す訳がなかったが、これ以上慣れない電話で気疲れをするのにうんざり…もとい、夜も更けていたこともあり、それ以上の言及は、今日のところはしないこととした様だ。

「あっ、あはは、分かりました。 気を付けます。 それでは、失礼しますね。」

一竜は、凜の鋭さに動揺が隠しきれず、逃げるかの様に通話を切った。

「…いいか? セイバー、明日は別の場所で待って貰うから、今度こそ目立たない様にな?」

一竜は、明日も参加する講義がある為、セイバーをしっかりと見つめ、改めて目立たない様に釘を刺す。

「承知致しました。 次回こそ善処致します。」

セイバーも、顔を見ても分かる様に決意を表明した。

こうして、全ての陣営の偽名が決まったのである。