各陣営がそれぞれの日常を過ごした、翌日のこと──
ロード・エルメロイⅡ世は、宿泊先兼仮設執務室で、煙草の煙と疲労の中に沈んでいた。
机の上には、山積みの書類と朝食の空き容器、そして吸い殻で溢れた灰皿があった。
彼はその前で、険しい表情を浮かべつつ、PC越しのビデオ通話に応じていた。
「……それで、そちらの状況はどうなっている?」
画面の先に映っていたのは、相変わらず卑屈な笑みを浮かべたまま、スコーンにジャムを塗っているメルヴィン・ウェインズだった。
「ん〜? こっちはのんびりと朝のティータイムだよ。」
とても戦争の渦中とは思えない優雅な朝食風景に、ロード・エルメロイⅡ世の眉間の皺が更に深くなる。
「……はぁ、お前の朝の様子など聞いていない。 "ランサー陣営"の動向を訊いているんだ。」
苛立ちを隠しもせず、額を押さえて溜め息をつきながら、ロード・エルメロイⅡ世は言葉をぶつけた。
「分かってるって。 ちょっとした冗談さ。 うん、特に問題はなさそうだよ?」
メルヴィンから返ってきたのは、肩透かしの様な答えだった。
「……問題がない、だと?」
ロード・エルメロイⅡ世の目が思わず細まり、苛立ちと共に視線が画面に刺さる。
その横で、グレイが静かに朝食の空き容器を片付けていた。
「そうそう。 ランサーもジョギングやらランニングを満喫しているし、インド料理に夢中だよ。 町の人ともフレンドリーに挨拶しているし、私が見ている亜梨沙ちゃんも、最近はランサーと心が拓けたのか、度々可憐な笑顔を見せてくれるんだよぉ。」
まるで悪びれる様子もなく、メルヴィンはスコーンを齧りながら、戦況とは何の関係もない話を続ける。
スコーンの粉が紅茶に落ちそうになりながらも、本人はまったく気にしていない。
「……まったく。 悪いことではないが、これでは何の手がかりにもならん……!」
ロード・エルメロイⅡ世はこめかみを押さえ、息を吐く様に呟いた。
そんな彼の後ろで、グレイが彼の髪を静かにブラッシングし始める。
「ま、そう堅いこと言わずに。 まずは楽しい話から始めないとさ、気分が沈んで、朝から一日が台無しになってしまうじゃないか?」
メルヴィンはそう言って、紅茶を優雅に啜った。
その一挙一動は、ロード・エルメロイⅡ世の苛立ちを和らげるどころか、むしろ逆撫でしている様にすら見える。
「……他には、何かないのか?」
ついに堪忍袋の緒が切れかけたⅡ世が、葉巻に火を灯し始める。
「ああ、そうそう。小耳に挟んだ話なんだけどねぇ…。」
目を細めていたメルヴィンの目元がわずかに開き出した。
ロード・エルメロイⅡ世は、グレイがいつの間にか綺麗にしていた灰皿に、葉巻の灰を落としながら、続きを促し始めた。
「アサシン陣営が、どうやらアサシンの商才を使って、組の金を増やしているらしいよ。 所謂“シノギ”ってやつでさ。」
それは、彼が偶然、ミルコと猪狩の会話を盗み聞きした際に得た情報だった。
普段は動かない病弱な彼にしては珍しく、ある意味では“労働”に相当する行動である。
「……ッ!! それが聞きたかったんだ! なぜ先に言わん!?」
思わずロード・エルメロイⅡ世の語気が荒くなり出した。
あまりに重要な情報を、メルヴィンは最後まで引き延ばしていたのだ。
「だってさぁ、いきなりそんな話したら、紅茶が不味くなるだろう? スコーンだって湿気ってしまうし?」
お道化た口調と共に、メルヴィンはにやにやと笑みを浮かべる。
その姿は、聞いているだけで腹が立つほど飄々としていた。
「……お前という奴は……!」
ロード・エルメロイⅡ世の溜め息に混ざる煙が、少しずつ部屋の空気を重くしていく。
彼はとうとう、両手で頭を抱えてしまった。
「しかし……私などがこの件を咎めて良いものか……?」
ロード・エルメロイⅡ世の眉が僅かに曇る。
彼の胸には、一つの懸念があった。
「おやおや? ウェイバーがそんなことを言うとはねぇ。 ……もしかして、君の見ている陣営のサーヴァントが、大人気ゲームストリーマーとして荒稼ぎしてるから、あまり強く出られないって話かい?」
メルヴィンは、あっさりとその内情を見抜いた。
「……その通りだ。 “やるのは勝手だ”と私が言ってしまったばかりに……。」
ロード・エルメロイⅡ世は、纐纈のヘラヘラとした笑顔と、キャスターの余裕綽々な笑顔を思い出し、溜め息を漏らす。
そんな彼の苦悩を、画面越しのメルヴィンはただ笑いながら眺めていた。
部屋の片隅では、グレイが静かに掃除を続けている。
その傍らで、彼女がいつも持ち歩いている布を被せた小さな鳥籠が、くすくすと笑っているかの様に、小さく揺れていた。
やがてビデオ通話は終了し、ロード・エルメロイⅡ世はそこで得た情報を手帳にまとめ、書類ファイルへと挟み込んだ。
「……サーヴァントの能力を、あろうことか商才として転用し、組織の収益に繋げる……か。 充分に問題視される案件だな。」
今回得られた情報は、アサシン陣営に関する一件だけ。
これだけでは、新制度の矛盾を突くにはやや物足りない。
そんな中、部屋の掃除を終えたグレイが、そっと言葉を添える。
「しかし、キャスターによるゲームストリームで纐纈さんの口座に多大な収益が流れている問題も、まだ残っていますよね?」
「……うっ! ……その通りだ。」
図星を突かれたロード・エルメロイⅡ世は、バツの悪そうな顔で咳払いを一つした。
「とはいえ、彼自身が言うには……私が以前提案した、“年金の追納”や“分割払いの一括返済”以外、ほとんど使っていないらしい。 どうも、自分の稼ぎではないから手を付ける気にならないとのことだ。」
実際、ロード・エルメロイⅡ世がそれとなく聞き出したところ、纐纈はその後もキャスターの稼ぎに手を付けておらず、生活費や交際費などの出費もすべて、飽くまで自身の業務による収入でまかなっているという。
グレイはその話に、意外そうに目を見張った。
「……あんなにのんびりしていそうに見えて、やるべきことは早急に済ませて、線引きもしっかりされてるんですね。 纐纈さんって……。」
彼女脳裏に浮かぶのは、普段通りヘラヘラ笑いながらも一歩引いて物事を見ている纐纈と、どや顔とも取れそうな自信満々の笑顔の纐纈の姿だった。
そんな穏やかな空気のなか、ふいに部屋の扉が開く。
「やれやれ。 破天荒な陣営の担当に、新制度の粗探し。 ……相変わらず兄上は苦労が絶えないねぇ。」
軽口と共に姿を現したのは、朝食を終えて戻って来たライネスだった。
「……まったく、お前は気楽でいいよな。 関係者ではないから、好き勝手に外出もできる。」
やっとメルヴィンとの面倒な会話から解放されたと思いきや、次は義妹の愉悦に満ちた言葉に、ロード・エルメロイⅡ世の胃が再び軋む音が聞こえてきそうだった。
「いいじゃないか。 この国には面白いものが山ほどある。 兄上だって、第四次の聖杯戦争では満喫したんだろう?」
「……何度も言っているだろう。 私は日本で、色々と散々な目に遭って来た。 ……本当は、日本など嫌いなんだ。」
ライネスの言葉に、ロード・エルメロイⅡ世は葉巻をふかしながら、遠い過去を思い出していた。
第四次聖杯戦争──まだ"ウェイバー・ベルベット"だった頃の、自らの若さと未熟さ、そして喪失。
「ほほぉ。 だが、兄上が遊ぶゲームは日本製ばかりじゃないかな?」
「……ふん。 どこかの誰かの影響だよ。」
ライネスの痛烈な突っ込みに、ロード・エルメロイⅡ世はどこか寂しげな顔を見せた。
窓の外へと視線を投げ、煙と共に思い出を吐き出す様に、ぼんやりと佇む。
「師匠……。」
傍らのグレイは、その寂しげな横顔に込められた想いを知っていた。
──彼が“どこかの誰か”と口にする時、それが誰を意味しているかも。
第四次聖杯戦争で共に在った英霊、イスカンダル。
彼にとって”友“とも”王”とも呼ぶに相応しい、唯一無二の存在。
そんな静かな空気の中──
突如、鳥籠から笑い声が漏れた。
「イッヒッヒッヒッヒッヒ! 皮肉屋のロードがあっちでもこっちでも言い負かされて、今度はセンチメンタルとはなぁ!」
顔の様な模様が刻まれた、立方体の奇妙な物体が鳥籠の中でけたたましく笑っていた。
「……アッド!」
グレイが布を捲ると、そこにいたのは喋る魔術礼装──“アッド”。
相変わらず口の悪さと騒がしさには定評がある。
「ロンドンでも異国でも言い寄られて、好き勝手されて、最早生き方そのものが皮肉だらけって感じだな、ロード!」
部屋中に笑い声が響く中、グレイが静かに鳥籠の取っ手を手にした。
「ちょっ、やめっ、グレイ! 話せば分かる! ちょっとした出来心なんだってばぁっ!」
アッドは、そのグレイの行動に焦りと恐怖に満ちた声で訴えかける。
それでも、彼女はその声に応えることなく、無言で鳥籠を大きく振り出した。
「ぐぇぇぇぇぇぇっ……!」
部屋の中に、苦悶の声とぶつかり合う金属音が響き渡っていた。
それを背にして、ロード・エルメロイⅡ世は頭を抱えた。
「……はぁ……いつになったら、私の元に“静寂”が訪れるのだ……。」
嘆息と共に、再び彼の葉巻が静かに燃えた。