──セイバー陣営が、凜によって聖杯戦争の本質を叩き込まれたその夜のこと。

一方、バーサーカー陣営は、花園区の歓楽街で夕飯の手段を探していた。

かつて冨楽が利用していたコワーキングスペースの周辺の飲食店は、彼らの度を越えた食欲により、既に全店舗から出入り禁止を食らっている。

更に、これまで廃棄食材を分けて貰っていた馴染みのファストフード店からも、衛生上の懸念を理由に断られてしまっていた。

「ぐぅ〜……」

背後で、空腹に呻く腹を抱え、息を荒げるバーサーカーが重たい足取りで歩いていた。

まるで空腹の野獣が市街地を徘徊している様な、そんな物々しさがあった。

そのバーサーカーを先導する様に歩く冨楽は、どこか上の空だった。

彼の視線は宙を泳ぎ、顔に浮かぶのは思い詰めた様な陰が見えた。

「(……正義、ね。 どうせまたシリルさんの勝手な口車なんだろうけど……。 でも、確かにバーサーカーがいるからこそ出来ることもある。 だけど──本当に、力がなきゃ正義なんて意味がないのか?)」

ポケットに手を突っ込み、空を見上げる様に歩く冨楽の頭には、先日シリルが口にした”正義”という言葉がこびりついて離れなかった。

「マスター……ハラ、ヘッタ……」

ついに苦悶の呻きを漏らすバーサーカーの顔には、明確な限界の色が浮かび始めていた。

「……あ、あぁ! もうすぐ店が見つかるはずだからな! 少しだけ、我慢してくれな!」

ハッと我に返った冨楽は、慌ててバーサーカーを宥める。

だがその必死さが、寧ろこの陣営の危うさを際立たせていた。

──同じ頃。

アサシン陣営もまた、同じ花園区の歓楽街を歩いていた。

その最中でアサシンは、町中(まちなか)で葉巻を吸えずに手持ち無沙汰な中、同行する猪狩にぼやき気味に声をかける。

「なぁ、昌真。」

「おぅ、どうした? 親分。」

景観を損ねる様な不埒者がいないか警戒しながら歩く猪狩は、少し警戒を緩めて返事を返した。

「さっきからちょいと小耳に挟んできたんだがよ……。 この辺に妙なデカブツが出没してるって話、あっちこっちで聞かねぇか?」

アサシンの言葉に、猪狩も顎に手を当てて頷いた。

「ああ、聞くよな。 今日はその話ばっかりだ。 ……気味が(わり)ぃくらいにな。」

無論、彼らはまだそれがバーサーカーのこととは気づいていない。

飽くまで町の噂話として捉え、冗談半分で話題を交わしていた。

──そんな時だった。

巨大な怪獣のオブジェが構える映画館の前で、二つの陣営は鉢合わせてしまった。

「…!? ???」

猪狩とアサシンの動きがぴたりと止まり、同時に言葉を失う。

その視線の先に立っていたのは、噂以上の巨躯を持つ巨人と、それを引き連れた青年だった。

「(……うわぁ、見られてる! …ってか、よりによって相手、絶対ヤクザじゃん……! 何もないフリ、何もないフリ……!)」

冨楽の顔から、明らかに血の気が引いていた。

見た目からして堅気ではない男達に目をつけられることを避けるべく、慌ててその場を立ち去ろうとする。

しかし──

「おいおい、ちょっと待ちな! どこの世に、こんなバケモンみてぇな奴が歩いてんだよ!?」

アサシンの声が、鋭く響いた。

その口調はまるで、突っ込み役の芸人のようにキレがあり、微かな威圧も滲んでいる。

「(……あぁ、やっぱりバレたか。)」

冨楽は観念したように立ち止まり、重い溜め息を吐いて振り返る。

「……その巨体、それに溢れる魔力……。 テメェらも、聖杯戦争の参加者だな? 俺様はアサシン──そして、こいつがマスターの猪狩昌真だ。」

不敵に名乗りを上げるアサシンの口元には、挑発的な笑みが浮かんでいた。

「ゲッ……! よりによって、こんなタイミングでかよ……!」

冨楽の顔が、明らかに引きつっていた。

アサシン陣営と鉢合わせた今、もう誤魔化しは効かない。

「グゥ……!」

そして、そんな空気を察したのか、バーサーカーが唸り声を上げて身構える。

マスターである冨楽の窮地を察知した獣は、臨戦態勢に入った。

「兄ちゃんよぉ。 バーサーカー(やっこさん)も戦う気満々じゃねぇか。 これは聖杯戦争だぜ? 売られた喧嘩、買わねぇ道理はねぇよなァ?」

アサシンはさらに口角を吊り上げ、まるで獲物を煽るかの様に冨楽に戦いを仕掛ける。

「……チッ、もう分かったよ……。 やるしかねぇんだな。」

すでに顔も事情も割れ、言い逃れの術も失った冨楽は、覚悟を決めてアサシンと向き合うのだった。

「……親分、こんなバケモン相手に、本当に大丈夫なのか?」

猪狩は、288センチという桁外れの巨体を目前にし、不安げな眼差しをアサシンに向ける。

声には、経験豊富な彼ですら計り知れない相手への畏れが滲んでいた。

「さあな。 だがな、戦争ってのは最初っから相手を選べねぇんだよ。 俺様達が尻尾巻いて逃げてどうすんだよ?」

アサシンは肩を竦めながらも、どこか吹っ切れた様に笑っていた。

その顔に浮かぶのは、幾度も抗争を潜り抜けた男の覚悟と諦観が混じった、戦士の表情だった。

「……それも、そうだな。 俺だって、この道を選んだ時点で、命なんざとうに捨てたも同然だしな。」

アサシンの言葉に静かに頷く猪狩の瞳には、一歩も引かぬ者だけが持つ冷たい決意が宿っていた。

「それよりも……ここじゃマズい。 こんな大通りで暴れたら、すぐに警察(おかみ)の目に留まっちまう。 まずは親父(おやっ)さんに連絡して、敷地内で一戦交える許可を取ってみる。」

「あいよ。 そうしてくれや。」

そう言うや否や、猪狩はポケットからスマートフォンを取り出し、躊躇(ためら)いもなく古井戸組の組長へと連絡を始めた。

その横で、アサシンの視線は常にバーサーカー陣営へ向けられ、決して警戒を解かない。

長年の修羅場で身につけた、その隙のなさは健在だ。

「へっへっへ……おいおいテメェら、逃げるなよォ?」

バーサーカー陣営の動きに目を光らせながら、アサシンが挑発混じりに笑い、その声音には裏社会で生きる者ならではの剣呑さが滲んでいた。

「(……ちっ。 これ絶対、俺らにアウェイ感を味わわせる作戦だろ…。)」

冨楽は内心で毒づきながらも、その意図に薄々気づいていた。

自分達を見慣れない土地に誘導し、心理的に優位に立とうとする策──

アウトローらしい、理に適ったやり方だった。

やがて、猪狩が通話を終え、スマートフォンを仕舞うと、アサシンと冨楽へと向き直る。

親父(おやっ)さんから許可が下りた。 さっそく行こうぜ。」

それを皮切りに、一行は花園区の裏通りを抜け、古井戸組の敷地へと足を運ぶ。

アサシンが不敵な笑みを浮かべ、バーサーカーが肩を怒らせ鼻息荒く闘志を剥き出しにし、冨楽がそれを必死に制止する──

その異様な行列は、道行く者すらも近づけぬ迫力を放っていた。

やがて、重厚な鉄門をくぐった先、古井戸組の敷地内。

そこに集う組員達の鋭い眼差しを受けながら、アサシン陣営とバーサーカー陣営は、静かに対峙していた。

アサシンの口元には、冷たく刺す様な笑みが浮かび、猪狩の顔には緊張の色が浮かぶ。

バーサーカーは礼装に身を纏い、呼吸を荒げ、今にも飛びかからんとする気迫を漂わせていた。

その横で、冨楽は心底うんざりしたような顔で溜め息をついていた。

この空間に満ちるのは、異様な重圧だった。

その最中、猪狩がゆっくりと古井戸組長のもとへ歩み寄る。

親父(おやっ)さん。 無理を言って済みません。 ……兄貴達や組員には、俺らに何があっても手を出さない様、しっかり伝えて貰えますか?」

その声には、組の敷地を戦場に変えることへの詫びと、義を通す覚悟が込められていた。

「わかった。 アサシンの旦那の顔に泥を塗らん様、俺から言っておこう。」

重々しい声で頷いた組長は、組員達を見回し、鋭い眼光を光らせて言い放つ。

「いいか、お前ら! 昌真や旦那に何があっても、絶対に手を出さない! ……これは、命令だ!」

「はいっ!」

その言葉に、組員達は一糸乱れぬ声で応じた。

その一声に、冨楽の表情が引きつっていた。

完全なアウェイ、完全なる孤立、肌で感じるその空気の重さに、彼は思わず心の中で呻く。

「(はぁ……この息苦しい空気、早く抜け出したいなぁ……。)」

そして、張り詰めた空気の中、ついに戦いの幕が、静かに、だが確実に、上がった。