まるで肩に重石を載せられた様な、息苦しい程の緊張が場を支配していた。
睨み合いの静寂を破ったのは──
「まずは、お手並み拝見ってところだな。」
不敵な笑みを浮かべたアサシンだった。
彼の手には、鋼の鈍い光を放つ一丁の拳銃──
修羅場を生き延びた者だけが扱えるとされる傑作銃、M1911が握られていた。
だが、放たれた弾丸は、金色に輝く油浸しの藤甲によって容易く弾かれる。
バーサーカーの肉体に傷一つ、届くことはなかった。
「ほぉ……こいつァ、中々いい防具じゃねぇか。」
アサシンは藤甲の硬さに舌を巻きつつも、余裕の笑みを崩さず、敵に称賛すら与えていた。
「アイツ、余裕ぶっこきやがって……バーサーカー、反撃だ!」
冨楽はその態度に苛立ちを募らせ、咄嗟に反撃の指示を飛ばす。
その命に従い、バーサーカーが吼えた。
「ウオオオオオオオオォォォッ!!」
凶獣の咆哮と共に、常人では扱えぬ巨体の棍棒が振り下ろされる。
その一撃は、街一つを潰しかねない威力を秘めていた──
「おっとぉ! ……流石、見かけ通りの怪力っぷりだなオイ。 当たったら即死だぜ。 もっとも──当たれば、の話だがな」
アサシンは、闘牛士の様な軽やかさでそれを紙一重で回避し、風圧に煽られ飛びそうになった帽子を左手で押さえる。
それでもなお、口元に余裕の笑みを浮かべたままだ。
「親分! バーサーカーの動きは単純だ! この調子ならいけそうだぜ!」
猪狩もまた修羅場を潜った身。
一連の動きで敵のパターンを見切り、戦況を有利に感じて口元を緩ませる。
「バーサーカー、あまりムキになるな! 冷静さを失うなよ!」
これには冨楽も、いよいよ焦り始めた。
バーサーカーが我を忘れて暴走し、隙だらけにならぬ様必死に声を張る。
だが──
「まぁ、冷静にさせる暇なんて与えねぇけどなッ!」
アサシンは左手にもM1911を構え、二丁拳銃で鉛玉の雨を降らせる。
嵐のような弾幕がバーサーカーを襲うが、やはり藤甲がそれを全て弾き返した。
「グォオオオ……!」
銃弾に怯むことなく、バーサーカーが再び棍棒を振るう。
だが、またしてもアサシンの身を捉えることは出来なかった。
攻防はアサシンのヒット&アウェイに支配され続ける。
「バーサーカー! 今度は上から、縦に叩きつけろ!」
冨楽が苛立ち混じりに新たな指示を叫ぶ。
「へっ、振り方変えたところで同じだぞ!」
アサシンは挑発気味に笑い、再び回避の構えを取る。
そして、バーサーカーの棍棒が真上から大地を砕く様に振り下ろされる。
「……ったく、学習しねぇヤツだな。」
またしてもアサシンは横にひらりと身をかわし、難なく避ける──はずだったが。
「──っ!?」
その一撃が地面を叩きつけた瞬間、大地が轟音と共に揺れ、砂塵が舞い上がる。
重力を無視するかの如き衝撃が、アサシンの身体を宙に浮かせていた。
「親分ッ!」
猪狩が叫ぶも──
「……へっ、派手にやってくれるじゃねぇか!」
浮かぶその体で、アサシンはまだ笑っていた。
だが、眉の一筋がピクリと動く。
バーサーカーは、チャンスを逃さなかった。
「チャンスだぞ、バーサーカー! 一気に決めろッ!!」
冨楽の絶叫が響き、バーサーカーが一歩、二歩と地を踏みしめ、間合いを詰める。
棍棒が、アサシンをその制空圏へと捉えた瞬間──
「……だが、それも想定内だッ!」
アサシンの目が爛々と輝き、不敵な笑みが口元に広がった。
「──チェックメイトだぜ!」
その宣言と同時に、二丁のM1911から放たれた弾丸が、バーサーカーの顎下に命中する。
精密に放たれた二発が、肉体を貫かずとも確実に衝撃を与えていた。
「バーサーカーッ!!」
冨楽の顔に、再び焦りと動揺が浮かぶ。
戦況は、明らかにアサシン陣営に傾いていた。
「兄貴! 親分さん! ナイスです! そのデカブツ、ぶっ潰しちまいましょう!」
古井戸組の組員たちが勝ちムードに沸き、声援を送る。
「……ちぃっ、寄ってたかって好き勝手ほざきやがって。 これだからヤクザは……。」
冨楽の表情は引き攣り、こめかみがピクピクと痙攣していた。
この空気のすべてが、自分にとって"アウェイ"であることを痛感させられていた──
「(──こいつら、街の治安を見てるとかキレイゴト言ってるけど、結局はただの暴力団だ。 今は暴対法のせいで身動きが取りづらいだろうが、それでも街はなんとかなってるし…!)」
その心の澱が雑念となり、憎悪が邪念と化して、冨楽の身体は一時的に思考もろとも凍りついた様に硬直していた。
数日前、あのシリルが口にした“理”の様な言葉が、じわじわと脳裏に蘇ってくる──
「……って、それよりバーサーカーを!」
ようやく我に返った冨楽は、顎下を撃ち抜かれたバーサーカーの身を案じた。
しかし──
「ウオオオオォォォォォォッッ!!!」
顎に致命的な一撃を受けたにも係わらず、バーサーカーは獣そのものの咆哮をあげ、苦痛の一欠片も感じさせない様子で立ち上がった。
「オイオイ……やっぱり、コイツはバケモンだわ。」
アサシンが苦笑混じりにそう漏らしながら、距離を取りつつ愛用のM1911のマガジンを素早く交換し、すぐさま照準をバーサーカーへと定める。
「バーサーカー! 棍棒で弾を受けながら突っ込め! 振り当てろ!!」
冨楽はバーサーカーの攻撃がアサシンに届かないと悟り、指示を戦術的に改めた。
その命に応じ、バーサーカーが突進を始める。
降り注ぐ弾丸の群れを、持ち前の棍棒で次々と弾き返していく。
そして──距離が詰まり、棍棒の制空圏がアサシンを捉えた瞬間──
「ッ──!」
バーサーカーの薙ぎ払いがアサシンの脇腹を掠め、強烈な衝撃がその肉体を襲う。
ボディブローの様な威力に、アサシンの顔に苦笑と痛みが同居した。
「くっ……親分ッ!」
アサシンがダメージを受けたのを目の当たりにし、後方に控える猪狩が焦りの声を上げる。
「ハッ、闘いで無傷で済む奴なんざいねぇよ。」
しかし、アサシンは笑っていた。
幾多の修羅場を潜り抜けてきた男──
その伝説の名に恥じぬ胆力で、猪狩を安心させる様に再びバーサーカーへと銃弾を浴びせる。
──バキィン!
その銃弾は確かにバーサーカーの顎を撃ち抜いたが、痛覚が麻痺しているのか、まるで意に介さない。
「やっぱ、闘いってのは圧勝よりも掛け合いの方がスリルあっておもしれぇな!」
アサシンの顔には、趣味のジャズ鑑賞の時に酔いしれる時の様な陶酔の笑みが浮かんでいた。
だが──
いくら本人が高揚していても、アサシンの身体には確実にダメージが蓄積されていた。
「親分さん! チクショーッ!」
いよいよ耐えかねた古井戸組の若手達が、加勢すべく駆け寄ろうとするが──
「おいッ!! お前達、手を出すなと言っただろうがッ! 昌真や旦那の顔に泥を塗る気かッ!!」
その場に立つ古井戸組長が、眼光鋭く、地の底から響く様な声で若手達を制止する。
だが、その足元が落ち着きなく動いていたのは、助けに行きたいという本音の証でもあった。
「まだ終わっちゃいねぇぜ……なぁ、昌真よ!」
組長の言葉に続くかの様にアサシンが振り返り、笑みを見せて言ってみせた。
「……あぁ、親分ッ! もっと暗器を使ってやろうぜ!」
猪狩が信頼感を交え応えると、アサシンは再び間合いを詰めていく。
「くっ……舐めるなよ!」
冨楽の苛立ちが声に現れる中──
アサシンの手がスーツの内ポケットへと伸びる。
そして次の瞬間。
──シュッ!
鋭い切り裂き音とともに、バーサーカーの左腿に裂傷が走った。
「グゥッ……!?」
「バーサーカーッ!!」
視線を落とすと、アサシンの右手にはダガーナイフが光っていた。
「へっ、俺様はアサシンだって言っただろ? 武器は銃だけじゃねぇんだよ。」
その笑みは、無邪気な子供と、地獄の悪魔が同居する様な不気味な表情だった。
「親分! 反撃される前に、止めを刺しちまおうぜ!!」
猪狩の声が響くと、アサシンが頷き、スモークグレネードをバーサーカーの足元へと放った。
──パシュッ!
濃い煙が瞬時に辺りを包み、バーサーカーの視界も、冨楽の視界も奪われていく。
「──暗黒街の顔役と呼ばれた所以を、教えてやるよ。」
その声が煙の奥から響いた時──
空間が歪み、景色が変わり、周囲はすでに、夜のビル群が立ち並ぶ見知らぬ街へと姿を変えていた。
アサシンの宝具──
これは、1920年代のシカゴを再現した固有結界。
「すげぇ……これって、あれだよな!?」
猪狩は直感した。
ギャングの帝王であるアサシンが、彼の“地獄”を開いたのだと。
彼の手には、特徴的な銃、トミーガン。
更に背後には、次々とギャング達が現れた。
「二度と覚めねぇ悪夢へと──誘ってやるぜ。」
冷たい笑みと共に、アサシンが宣告した。
「──《聖バレンタインデーの虐殺》!!」
無数の銃火が、バーサーカーを飲み込んだ。
煙と炎が暴風のように渦巻き、視界を白黒に染め上げる。
「バーサーカー!!」
冨楽が叫ぶその声も、轟音に掻き消される。
やがて、固有結界がゆっくりと解除され、戦場は古井戸組の敷地内へと戻っていた。
「……やったか?」
古井戸組の組員たちは固唾を飲み、その視線を煙の中心に注いでいた──
煙の帳が晴れゆく中──現れたのは、まだ立ち上がるバーサーカーの姿だった。
「ウオオオオォォォォォォッッ!!」
──そう、アサシンの宝具を受けながらも、尚気力で立ち上がる狂戦士。
まさに執念の塊だった。
「……おぉ……終わったな……。」
その姿を目の当たりにし、アサシンの顔からは余裕の笑みが消えていた。
代わりに浮かんでいたのは、全てを悟ったかの様な、諦念の滲む苦笑いだった。
「バーサーカー! 今だ!!」
無情なまでの冨楽の号令が飛ぶ。
次の瞬間、バーサーカーの棍棒が唸りを上げ、アサシンの腹部を正面から撃ち抜いた。
──ズドォンッ!!
人間離れしたその一撃は、並の格闘家どころか、頑丈な戦車兵ですらひとたまりもないだろう。
まるで大型トラックに正面から轢かれたかの様な衝撃が、アサシンの体を吹き飛ばす。
「……親分っっっ!!」
「親分さんっっっ!!」
「くっ……!」
猪狩、組員、古井戸組長らが絶望の叫びを上げる中、アサシンは血を吐きながら、どこか清々しさすら滲む苦笑を浮かべていた。
「へへ……相手が悪かったな……。」
その言葉とともに、アサシンの身体が金色の光に包まれ──
やがて、静かに消滅してゆく。
ギャングの帝王と呼ばれた男、脱落──この聖杯戦争からの退場であった。
「おぉ……バーサーカー……!!」
冨楽の顔に、微かに笑みが浮かぶ。
だが、それは劇的な逆転勝利への安堵と共に、命を奪ったことへの感情が混じる、複雑な笑顔だった。
「チクショー……お前だけは……許さねぇ……!!」
親分の最期を見届けた猪狩の顔に、凄まじい怒りが沸き上がった。
激情に駆られたまま、拳を強く握りしめ、冨楽めがけて走り出す──
「バーサーカー、この男も始末しろ!!」
冨楽の怒声が響いた。
いよいよ後には引けなくなった彼も、殺意を剥き出しにしてバーサーカーに命じる。
「グオォォォ!!」
そして──バーサーカーの棍棒が一閃。
怒りに身を任せ突進してきた猪狩へ、真直ぐ叩き込まれた。
──ゴッ!!
平和な現代では目にすることなどない、圧倒的な暴力が炸裂。
猪狩の身体は凄まじい勢いで空を舞い、現実離れした光景となって視界の端へと飛んでいく。
「(……親分、すまねぇ……。)」
吹き飛ばされる中で、猪狩の心に去来したのは、アサシンとの出会い──
召喚の瞬間、そして共に交わした誓いの宴。
走馬灯の様に、記憶が脳裏を駆け巡る。
そして彼の身体は、組の建物の屋根に激突し、そのまま地面へと墜落した。
「兄貴ぃっ!!」
「昌真……ッ!」
若手も幹部も関係なく、組員達が猪狩のもとへ駆け寄り抱える。
しかし、彼の命の灯火は既に消えていた。
「……くそぉっ! テメェ、このやろー!!」
兄貴分を奪われた若手達の怒りは、最早抑えられない火山の様に爆発していた。
叫び声と共に、冨楽へと突進を始めるが──
「やめろ!! 無茶をするなっ!!」
古井戸組長が咄嗟に怒声を飛ばす。
その声には怒りも焦りも混じっていたが、それでも彼は冷静さを保とうとしていた。
「バーサーカー、縦振りだ!!」
冨楽がさらに命じると、バーサーカーの棍棒が地面を思い切り叩きつけ──
──ドガァンッ!!!
衝撃で地面が割れ、突進していた若手達は足を掬われ、その場に尻餅をついた。
だが──それは、結果的に命を救う悪運だった。
「アンタらみたいな悪人共なんてなぁ、いずれ滅ぶ運命なんだよ……。 この俺が、同類ごと滅ぼしてやる。 震えて待ってろよ!!」
激情に任せ、冨楽が吐き捨てたその言葉には、怒りと恐怖と、どこか焦燥が入り混じっていた。
「バーサーカー、行くぞ!」
そして冨楽とバーサーカーは、その場から撤退していく。
残されたのは、打ちひしがれた古井戸組員達の啜り泣く声だった。
やがて、静寂が敷地内に戻ってくると──
古井戸組長は浴衣の懐から煙草を取り出し、静かに咥える。
──カチッ。
ライターで火を点け、深く一息、煙を吐いた。
「……聖杯戦争ってやつは……ここまで、過酷で残酷なもんだったのか。」
その声には震えがあり、顔には冷や汗が浮かんでいた。
「兄貴も、親分さんも殺されて……俺達は、何もできなかった……!」
若手組員達の顔は、どれも涙に濡れていた。
己の無力さと、時代に蘇ったギャングの帝王──
そして、最愛の兄貴分の死。
その全てが、彼らの心を打ち砕いていた。
「バカヤロー……死ぬ順番が違ぇだろ……!」
幹部達もまた、可愛い弟分の死を前に涙を流していた。
「……気持ちは痛い程分かる。 だがな……ここでお前らが手を出しゃ、昌真や旦那と同じことになる。 ……あの二人が、それを望んでると思うのか?」
組長の言葉は静かだったが、手に持つ煙草はわずかに震えていた。
感情を押し殺そうとするその背中に、誰よりも深い悲しみが滲んでいた。
──こうして、聖杯戦争という異常な戦場が、静かに、だが確実に──更なる波乱の幕を開けていくのだった。