一竜と恵茉が今朝のニュースについて語り合いながら叡光大学へ向かっていた、まさにその頃──

亜梨沙はというと、今日は仕事のシフトが入っておらず、布団の中で静かに夢の世界に浸っていた。

♪♪♪~ ♪♪♪~

しかしその夢の世界は、一本の着信音によって遇えなく現実へと引き戻されてしまった。

「ん……メルヴィンさんから……?」

スマートフォンの画面に表示されていたのは、メルヴィンからのROPEでの着信だった。

眠たげな目を擦りながら通話に出た亜梨沙の声には、まだ寝起きの掠れが残っていた。

「……メルヴィンさん? おはようございます……。」

『やぁ亜梨沙ちゃん、おはよぉ。 ねぇ、ニュース見た?』

相変わらずの軽妙な口調だが、どこか切り出し方が妙に直截的だった。

亜梨沙はその違和感に敏感に気付き、只事ではないと直感していた。

「え? いえ、まだ……起きたばかりなので……。」

『じゃあ、今すぐテレビつけてご覧。 これはねぇ、見といた方が良いやつだよぉ。』

メルヴィンの調子はいつも通りだが、通話の先ではその両目だけは僅かに開かれており、妙な緊張感が滲んでいた。

亜梨沙は不安を感じながらベッドを抜け出し、眼鏡をかけてリモコンを手に取った。

──その頃、朝ランから戻ってきたランサーはシャワーを浴び終え、まだ上半身裸のままリビングへ入ってくる。

そして、タイミングよくつけられたテレビの画面に視線を向けた。

『昨夜未明、花園区にある古井戸組の敷地で、大規模な破壊跡が発見されました。 現場には爆発や火器によるものとは明らかに異なる痕跡があり、専門家の間でも原因の特定には至っていません。 このことを受け──』

報道されていたのは、昨晩のアサシン陣営とバーサーカー陣営の戦闘によって(もたら)された惨状だった。

「……っ!!」

その無残な映像に、亜梨沙は思わず目を見開き、口元を手で覆っていた。

ランサーは一言も発さず、画面をじっと凝視(みつ)めている。

『いよいよ、聖杯戦争が本格的に始まってしまったねぇ。』

テレビの凄惨な映像に反して、メルヴィンの口調は変わらず飄々としている。

その声からは、この事態に対する本心はまるで読み取れない。

「……本当に、本格的になると……あんな風になるんですね……。」

時が経ってもショックから抜け出せない亜梨沙は、震える声で問いかけた。

『ん~、厳密に言えばウェイバー(私の親友)の見解では、純粋な魔術師同士の戦争と比べれば、まだ被害は控えめ……ってとこかな? まぁ、一般人からすりゃ悪夢レベルだけどね。』

軽口を叩きながらも、メルヴィンは朝のティータイムを楽しむように紅茶を淹れ、スコーンにジャムを塗っている。

「……どう見ても、控えめには思えませんよ……。 あんな地面の抉れ方なんて……。」

小さく弱々しい声でツッコむ亜梨沙は、心のどこかでもうすでに自分が巻き込まれたことを痛感していた。

『まぁまぁ、心配しないで。 私はちゃんと担当魔術師として、出来る限りのサポートはするつもりだからさ。』

軽く曖昧な口調とは裏腹に、その言葉には不思議といつもの彼の対応より、何故だか僅かに安心感があった。

亜梨沙は深く息を吐き、震えながらも礼を口にする。

「……ありがとうございます……。」

その間も、ランサーは無言のまま、テレビから目を離さず、静かに立ち尽くしていた。

通話が終わり、スマートフォンをそっと伏せると──

亜梨沙はリビングのソファに(うずくま)り、肩を震わせ始めた。

「ランサー……どうしよう……。 聖杯戦争って……こんなに怖いものだったんだね……。」

か細く震える声に、眼鏡の奥では涙がじわりと滲んでいた。

「あぁ……戦争は、どこまで行っても戦争だからな。」

過去に無数の戦場を駆け抜けたランサーは、静かにそう呟いた。

ちなみに彼は、まだ上半身裸のままである。

「どうしよう……(あたし)……生きて帰れる自信がないよぉ……。」

その小さな声には、恐怖と絶望が滲んでいた。

しばらく黙っていたランサーだったが、ふいに声を上げた。

「はっはっはっ!! 亜梨沙、お前には誰が着いてると思ってんだよぉ?」

いつもの豪快なテンションに戻ったランサーは、陽気に笑いながら亜梨沙の肩をポンと叩いた。

「……ランサー?」

顔を上げた亜梨沙の視界に映るのは、どこまでも曇りなき騎士の笑顔があった。

「召喚された時に言ったろ? “オレはお前の騎士の様なもんだ!”って。 怖い夢を見たら、目が覚めるまで付き合ってやる。 敵が出て来たら真っ先にオレがぶっ飛ばす! ──だから、亜梨沙を死なせたりしねぇよ!」

笑顔のまま力強く言い切ったその言葉に、亜梨沙の心の霧が少し晴れてきた。

「……ランサー……ありがとう……。」

自然と笑みが零れ、同時に堪えていた涙が頬を伝って落ちた。

「おうよ!」

ランサーはサムズアップで応え、全幅の信頼をその仕草に乗せる。

「……あとね、ランサー……。」

「ん? どうした?」

亜梨沙が少し照れながら口を開き、ランサーが優しく窺うと──

「……シャツくらいは着てよね……?」

そう、彼はまだ上半身裸である。

感動的な場面ではあるが、そこに少しばかりの羞恥が混じってしまい、台無しになっていた。

「あぁっ、そうだったな! はっはっは、(わり)(わり)ぃ、忘れてたよ!」

ツッコまれたランサーは右手で頭を搔きながら、照れるでもなく大笑いしていた。

──そう、ランサーがそばにいる限り、亜梨沙は少なくとも独りきりで死ぬことはないと、そう信じることが出来たのだった。

一方、同じ時間帯の頃──

キャスターが例によってオンラインゲームに勤しむ横で、寝袋の中では纐纈(くくり)が穏やかな寝息を立てていた。

本来、纐纈(くくり)は布団で寝ているのだが、今はキャスターに譲っており、その間自らは寝袋で寝ている。

♪♪♪~ ♪♪♪~

突如、纐纈(くくり)のスマートフォンが着信音を響かせた。

「……んぁ? エルメロイ先生……?」

表示された“ロード・エルメロイⅡ世”の名を確認した寝ぼけ眼にボサボサの髪の纐纈は、スマホをスピーカーモードに切り替え、キャスターにも聞こえるように通話を始めた。

「……エルメロイ先生、おはようございます。 何かあったんすか?」

まだ完全に目が覚めきっていない様子ながらも、纐纈(くくり)はいつもの調子で呑気に問いかけた。

『ミスター・纐纈(くくり)、起きたか。 今すぐニュースを見た方が良い。』

受話口の向こうのロード・エルメロイⅡ世の声は、どこか切迫していた。

「ニュース……? うち、テレビないんで、ネットニュースでも大丈夫でしょうか?」

テレビから受け取る一方的な情報に時間を奪われるのが苦手な纐纈(くくり)は、笑い交じりに問うた。

尚、彼やキャスターが普段ゲームに使っている画面は、もっぱらゲーム用のモニターである。

『……はぁ。 この際、媒体は問わん。 とにかく “古井戸組” で検索して、今すぐ確認するんだ。』

呑気な反応に若干呆れつつも、ロード・エルメロイⅡ世は急かす様に命じた。

その横では、丁度対戦が一区切りついたキャスターが、何やら面白くなりそうだといった顔を浮かべ、纐纈(くくり)が操作するタブレット画面を覗き込み始める。

やがてニュースアプリが立ち上がり、動画が再生された──

『昨夜未明、花園区にある古井戸組の敷地で、大規模な破壊跡が発見されました。 現場には爆発や火器によるものとは明らかに異なる痕跡があり、専門家の間でも原因の特定には至っていません。 このことを受け──』

画面に映るのは、言うまでもなく先日行われたアサシン陣営とバーサーカー陣営の激突によって生まれた惨状だった。

「……え!? うわうわうわっ!? これがその、聖杯戦争のやつです!?」

纐纈(くくり)のくりんとした目がさらに丸くなり、映像に釘付けになっていた。

その横でゲーミングチェアに座るキャスターも、無言で顎を撫でながら口を丸く開き、興味深そうに画面を見つめていた。

『ああ。この荒れ方から察するに、十中八九バーサーカークラスの仕業だ。 しかもそのマスターを監督しているシリル・ファラムスは、例の “新制度” に賛同している連中の一人だ。 メルヴィン(私の知人)よりも質の悪い愉快犯で、精神操作を行う様な碌でもない輩だ。』

低く渋い声でそう語るロード・エルメロイⅡ世の口調は、いつにも増して重々しい。

「つまり、うちらもいよいよ構える時が来てしまった、ってことだね?」

余裕の笑みを浮かべたまま、キャスターが問うた。

『そういうことになります。 ですが、いざという時は師匠が支援しますし、(せつ)も出来る限り動くつもりです。』

落ち着いた声でそう応じたのは、ロード・エルメロイⅡ世の傍に控えるグレイだった。

『その通りだ。 だが、私にもやるべきことがある。 手が離せない場合は、グレイに伝言でもしてくれ。』

──ロード・エルメロイⅡ世が語る“やるべきこと”とは、言うまでもなく新制度に関する調査とその廃止に向けた裏取りである。

それを口にする彼の声は、明らかにいつもより神妙だった。

「……了解っす。 エルメロイ先生、グレイさん、ありがとうございます!」

その真剣な声に呼応するように、纐纈(くくり)の目の覚めた表情が返り、寝起きの面影はもうなくなっていた。

やがて通話が終わり、纐纈は隣のキャスターに向き直った。

「キャスター、こりゃあいよいよ只事じゃないよぉ? これからどうしよっか?」

まだどこか呑気さを残しつつも、その言葉には一抹の緊張が混じっていた。

「そうだねぇ。 ん~……。」

キャスターはゲーミングチェアにもたれ、顎を撫でながら少し考えると、彼女はにっこりと笑い、両手でゲームのコントローラーを構え直した。

「まぁ、まずはのんびり遊びながら考えようか。」

「えぇっ? えぇぇっ!?」

あまりにもあっさりした返答に纐纈(くくり)は驚きつつ、思わず苦笑いも見せた。

だが──彼はすぐに思い出す。

生前のキャスターが、敵軍を長らく泳がせておいて、一瞬の機を突いて全滅させた、あの鮮やかな計略の歴史を。

「……そうだね。 機を見て行こう!」

目を細めながらそう頷いた纐纈(くくり)は、軍師である彼女の判断を信じ、またいつもの日常に戻ることを決めた。

「ふふっ、そうだね。 じゃぁ(つかさ)、歯磨きを終えたら朝食作って貰えるかい? 私には目玉焼きトースト、黄身は半熟で頼むよ。」

「おっけー! 俺はいつもの、鶏むね肉の蒸し焼きに、ほうれん草とピーマン・パプリカ・アスパラの塩茹で! ピンク岩塩と粗挽きブラックペッパーを添えて、五割麦ご飯にしよっかなぁ!」

そう宣言しながら、纐纈(くくり)は電動歯ブラシを手に洗面所へ向かう。

「ふふふ、ほんと健康志向だねぇ。 流石、鍛えてる人の朝食って感じだよ。」

キャスターはその様子を、ゲーミングチェアの上から目を細めて見送った。

──こうして、いつもの朝が再び始まった。

キャスターは朝食後もゲーム三昧、纐纈(くくり)はクリエイティブ案件を片付けつつ、時折ゲーム。

そして昼下がりは、二人で軽い散歩と運動。

嵐の気配を感じながらも、彼らはいつもの平穏を、しばし謳歌するのだった。

──その日の昼頃。

窓はカーテンで閉ざされ、灯りひとつない部屋の中、僅かに光を放つモニターの前で、轡水(ひすい)は無言でデイトレードの値動きを睨んでいた。

♪♪♪~ ♪♪♪~

その静寂を破る様に、スマートフォンが着信音を鳴り響かせた。

彼は視線を逸らさぬまま、画面に表示された名を確認し──低く呟いた。

「……化野、か。」

そのまま通話ボタンを押し、着信に応じるが、モニターから目を離すことはない。

「…化野だな。」

その声は、いつもの如く刃物の様に冷たく、突き刺す様な響きを孕んでいた。

『ご機嫌よう、轡水様。 貴方のことですから、既にご覧になっていることでしょうね。 例のニュースのことを。』

通話の向こうの化野の声は、相変わらずどこまでも丁寧で、同時に底知れぬ無感情さを帯びている。

「──ああ。 勿論目は通してある。 あれが聖杯戦争の痕跡だろう?」

轡水は冷ややかにそう返しつつ、今朝方見たニュース映像を思い出していた。

花園区、古井戸組の事務所跡、破壊と崩壊の惨状、常識では説明のつかぬ異常の連鎖を。

『その通りです。 本来の聖杯戦争ならば、もっと大規模で華々しいものなのですが──新制度下ではあの程度で済む、という訳です。』

その口ぶりは、まるでどこかの学会発表の報告をしているかの様だった。

電話の向こうでは、彼女が何かの書類を整理している音が微かに聞こえる。

「……ふん。 皮肉のつもりか?」

『いえ、私は事実を述べているだけです。』

轡水の声に、わずかな棘が混じるも、化野は変わらぬ調子で淡々と応じた。

その中立性すら演技か本心か、誰にも読めない。

──少なくとも、彼女がこの戦争にどの程度の“熱”を持っているかは、未だに誰にも測れなかった。

「……つまり、近い内にこちらも動くことになる。 その認識で良いか?」

冷たく、それでいてどこか楽しげに響く轡水の問いに──

『ええ。 これからが、貴方のその“理想”とやらを証明する戦いとなるでしょう。』

化野の返答は、含みと余白に満ちていた。

やがて通話が切れ、轡水はスマートフォンを無造作に机へと投げ出した。

そのまま、デイトレードの画面を一瞥した後──隣に佇む影へと、冷ややかな視線を送った。

「……ライダー。 いよいよ始まるぞ。」

その声には、さきほどの化野との通話で生じた高揚感が、微かに混じっていた。

「……そうか。」

カーテンの隙間から漏れる僅かな光の中で、窓辺に立っていたライダーが短く応じる。

その声音は沈みきっていて、どこか遠い記憶の底を見ている様だった。

「僕はこの時を──ずっと待っていた。」

轡水の瞳に微かな光が灯る。

それは、狂気ではない、執念に近い一つの渇望だった。

「……京介よ。 何故戦を望む?」

そんな彼に対し、ライダーは静かに問いかけた。

静かに腕を組み、深く落ち着いた声で、彼の心の奥へと語りかける。

「戦など、空しいだけであろう?」

その問いは、単なる疑問ではなかった。

血と鉄の臭いに塗れた過去を持つ者の、実感からくる問い掛けだった。

「……そんなことは、やってみなければ分からない。」

轡水は眉をわずかに寄せ、肩を竦める様に返した。

「お前も、戦争を知っているだろう? かつて、その中にいたんだろう?」

彼はライダーに指を向け、静かに詰問するも──

「だからこそ、私はそう申したのだ。」

ライダーの声が、少しだけ低くなっていた。

過ぎ去った過去の中で、仲間が、誓いが、失われていった記憶。

その一端を思い返し、彼は目を細めながら語り、やがて肩に何かが重く圧し掛かる様な沈黙が部屋に満ちていった。

「……ふん。」

やがて、轡水が鼻を鳴らす。

その声音に理解はなく、ただの否定だった。

彼は再び、トレードの画面へと視線を戻し、それ以上は何も言わなかった。

ライダーもまた、それを咎めることなく──ただ静かに、主の背中を見つめていた。

この陣営が、何を成そうとしているのか。

その全貌を知る者は、まだ誰一人としていない──