その日の昼下がり──

アサシンとバーサーカーによる惨劇が報じられた直後、ロード・エルメロイⅡ世が滞在するホテルの一室では、ある密談が行われていた。

重厚な木製のテーブルを挟み、ロード・エルメロイⅡ世、遠坂凛、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが向かい合う。

ロード・エルメロイⅡ世の後ろにはグレイが控え、部屋の片隅の小テーブルでは、まるでこの件に無関係かの様に、ライネスが優雅に紅茶を啜っていた。

「…アサシン陣営による営利活動、ファラムスの精神操作、そしてそれによるバーサーカー陣営のマスターの錯乱。 ピースは揃ってきた。 だが…決定打がない。」

ロード・エルメロイⅡ世は机上に広げたメモの束を整理しながら、苛立ちを隠そうともせずに呟いた。

「まったくですわ! これではいつまで経っても核心に辿り着けませんわ!」

ルヴィアが脚を組み直しながら声を上げ、同じく現状にぼやく中──

「証拠が要るって言っても……まさか、黒幕に直撃インタビューしろってわけ?」

凛が苛立ちを見せ、皮肉を込めてぼやいた。

「それはそうだ。 シリル・ファラムスみたいに、簡単に尻尾を出す様な間抜けばかりではないだろうね。」

傍らで寛いでいたライネスが、ニヤついた顔を浮かべ茶々を入れた。

この様に、現時点ではあまり大きな進展がない。

「まったくだ。 特に、未だに動向が掴めぬ者がいる。」

ロード・エルメロイⅡ世が煙草に火をつけ、ふっと煙を吐き出すと、視線を窓の外に向ける。

「師匠、その方って…?」

その人物が何者か見当はついているが、グレイが慎重に問い掛けると──

グレイ(レディ)。 察しの通り、化野菱理だ。」

その名を聞いた瞬間、室内の空気が僅かに張り詰めた。

「……っ!」

「ほぉう……。」

凛とルヴィアが思わず息を呑む中、茶請けを飲み込んだライネスだけは好奇心を覗かせて頬杖をついた。

「あの女狐…何かしらの情報を隠しているのは確かだ。」

ロード・エルメロイⅡ世は再び煙を吐き、手元の書類に目を落とす。

「ですが、どうして彼女を?」

グレイが不信を込めて問う。

これまで関わって来た事件でロード・エルメロイⅡ世のことを掻き回してきた化野については、やはりいい印象がなく、その疑念を晴らす為でもあった。

「奴は、新制度に対して賛成も反対も態度を明らかにしていない。 だがその立ち位置が、何かを動かす鍵になる可能性はある。」

「つまり…(ワタクシ)達が動くのではなく、彼女が動いた瞬間を見逃すなと?」

ルヴィアの問いに、ロード・エルメロイⅡ世は頷く。

「そうだ。 "泳がせておく"のが最善だろう。」

「…なら、彼女が牙を剥くタイミングが、転機になるって訳ですね。」

その提案に、凛も納得した様に頷いた。

「…ところで、何を考えているか分からないというならば、メルヴィンさんもそうなのでは?」

そう、グレイは、協力者ではあるが雲の様に掴めない、メルヴィンについてもまだ疑念が残っていた。

ライネスに負けず劣らずの性格な彼は、多くの者にとっては信頼に足らないのは否定は出来ない。

「まぁ、アイツを疑いたくなる気持ちは痛い程に理解する。」

ロード・エルメロイⅡ世が思わず溜め息をつき、また壊れそうな胃を押さえた。

「あのクズは、未だににわかには信用成りませんわ。」

「先生も、古くから知っているから、尚更厄介さが分かりますよね?」

ルヴィアや凜が、この場にはいないメルヴィンについて、好き勝手ぼやくが──

「…だが、奴にはなんだかんだで幾度となく助けられたのも否定出来ん。 あいつには一分の見込みがあると信じたい。」

ロード・エルメロイⅡ世がそう告げると、再び葉巻に火を点け始めた。

その目はどこか虚ろで、それでいて揺るがぬ光を宿していた。

「さっきから聞いて思ったんだが、兄上もいよいよギャンブルに出る様になってしまったねぇ。」

ライネスが紅茶を片手に、笑いながら彼に皮肉を飛ばす。

「この“新制度”そのものが、魔術師の理から逸脱している。 常識など、とうに通じん。」

ロード・エルメロイⅡ世は静かに、しかしどこか諦念の混じった声で呟いた。

──こうして、“新制度”に対する反対派達も、徐々にその輪を広げつつ、動き始めようとしていた。

一方その頃──

先の戦場跡の件で大きく報道に取り上げられた古井戸組本部周辺は、今なお数え切れぬ報道陣の人波で混沌としていた。

「今回の事件を受け、近隣住民の安全は本当に保証出来るのでしょうか?」

「危険な武器や爆発物などを所持していたという事実は?」

「この大規模な破壊痕は、一体何によって生じたのですか?」

「古井戸組長は現在何処に?」

飛び交う質問とフラッシュの嵐の中で対応に追われるのは、組長不在の今、組幹部達だった。

「今回の件は、飽くまで内部のトラブルであり、地域住民に危害を加える意図は一切ございません。 組長の古井戸の所在については、返答を控えさせていただきます。」

幹部の一人が冷静かつ威厳をもって対応する一方、若い衆が報道陣を制止しようと怒号を上げる光景もあり、現場はまさに混沌と怒気の坩堝と化していた。

この騒動は──少なくとも一ヶ月は続くだろう。

その頃、当の古井戸組長は、都内某所を走る黒塗りの車内にいた。

後部座席にどっしりと腰を据え、両脇には厳つい護衛の組員が二人見守っている。

組長の表情には、押し寄せる報道と警察の家宅捜索に追われる中での、明らかな疲労が滲んでいた。

やがて車は、閑静な高級ホテルの地下駐車場に滑り込む。

先に降り立った幹部が周囲を警戒しつつ、組長を囲む様にしてドアを開ける。

そこにいたのは──

鋭い眼差しと整った顎髭を携えた異国の男。

時計塔の魔術協会に所属し、かつてアサシン陣営の担当を務めた魔術師、ミルコ・ボテッキアだった。

「古井戸組長。 ご多忙の中、私の一存でお時間をいただき、誠にありがとうございます。」

「ミルコさん、こちらこそ。 この様に報道の目を避けられる場を用意頂き、感謝する。 では早速、部屋へ案内していただこう。」

来日前にロンドンで事前に学んだ日本の流儀で丁寧な会釈をするミルコに応えつつ、古井戸組長は足早に彼の案内を促す。

「かしこまりました。 私の手配した部屋へ、どうぞご案内いたします。」

ミルコの導きで、組長と組員達はホテル内の一室へ入って行った。

室内に入るや否や、古井戸組長は椅子に腰掛け、背後に組員三人が控える。

対するミルコは、小さなティーポットとティーカップを用意しながら、改めて正面の椅子に座ると、静かに口を開いた。

「お待たせいたしました。 では、本題に入らせていただきます。 まず、この度の聖杯戦争の件において──貴方方(あなたがた)の大切な一員である猪狩昌真氏の訃報につきまして、深くお詫び申し上げます。」

ミルコは言葉を述べると、すぐさま椅子から立ち上がり、軍人の様に中指をズボンの縫い目に揃えた姿勢で、限りなく直角に近い礼をした。

「彼が命を落とす結果となったのは、一重に私が彼を担当したことに起因します。 古井戸組長をはじめ、組員の皆様の胸中、察するに余りあります。 ……私の処遇は、如何様にも。」

頭を下げきったミルコの目に宿るのは、演技ではない誠意と覚悟が見て取れた。

「……ミルコさん。 アンタの謝意、確かに受け取った。 猪狩昌真の死は、私だけじゃない、他の組員()にも、確かに仰る通り深い痛みを与えた。 ……だがな、マスターや担当者の任命は魔術協会の裁量だろう? これはアンタの所為じゃない。 魔術協会の所為でもない。 猪狩昌真の──奴の運命。 それだけのことだ。」

静かな語調に滲む、深い悲しみと覚悟を宿した古井戸組長は、ミルコを責めることなく、ただ運命として受け止めていた。

「古井戸組長……そのお言葉に、心より感謝いたします。 しかし、手ぶらで謝罪に至るなどという不義理は、魔術師としても人間としても出来兼ねます。 せめてこの品をお受け取りください。 足りなければ、遠慮なくお申し付けください。」

ミルコは紙袋を取り出し、そこには自身も一押しの英国産の高級スコッチ、そして封筒には謝罪の意を込め、日本円で三百万円が収められていた。

だが──

「……ミルコさん。 アンタの誠意はもう伝わったよ。 金品を渡すのは、借りを返したいという気持ちだろうが……アンタ自身、まだ日本(ここ)でも資金が要るだろう? その金は持っておきなさい。」

古井戸組長は掌を軽く上げ、受け取りを拒否する。

その顔には、数多の修羅を乗り越えた者でありながらも、どこか労わる様な優しさが滲んでいた。

「いえ、それには及びません。 私は日本(この国)に、最早留まる理由がありません故。 この謝礼金も、些少ではありますが──施設の修繕費の足しにでもしていただければ。」

真っ直ぐに古井戸組長の目を見据え、ミルコはなおも懇願した。

その瞳に、己が責任を果たすという強い意志が宿っていた。

「……わかった。 アンタの気持ち、しかと受け取ったよ。 こちらからこれ以上の金品は一切要求しないと、約束しよう。」

ついに古井戸組長も、その真摯さに根負けしたか、紙袋と封筒を受け取り、背後の組員へと手渡した。

「……お受け取りいただき、ありがとうございます。 私は、全ての報告と手続きを終え次第、ロンドンへ帰任致します。」

深々と再度頭を下げるミルコに、古井戸組長は最後にこう告げる。

「うむ。 ……それまでの間、せめて日本を少しは楽しんでいきなさい。 我々は、また報道陣との睨み合いに戻らにゃならん。」

こうして、二人の会談は静かに幕を閉じた。

古井戸組長は、再び混乱の渦中へと身を戻していくことになるのだった。

一方、同時刻の(かなめ)区某所──

シリル・ファラムスは、町中をゆったりと歩きながら、探し人の元へと向かっていた。

「──さて、そろそろ冨楽様のいらっしゃる場所へ着く頃合いでしょうか?」

気障な調子で独り言を呟く彼の足取りは軽く、しかし視線だけは鋭く獲物を狙うように研ぎ澄まされていた。

目的地は、事前に指定されたフリースペースだった。

扉を開けると、中にはノートPCを前に、仕事に集中する冨楽謙匡の姿があった。

そして部屋の隅では、猛獣の鳴き声が如きイビキを轟かせて眠るバーサーカーが、堂々と横たわっていた。

「……来たか、シリルさん。」

冨楽が、目線をラップトップからシリルに向けて話した。

険しい表情のままなのは、昨日の戦闘──

アサシン陣営との一戦をまだ引きずっている証だろう。

「ご機嫌麗しゅうございます、冨楽様。 いやはや、ニュースでも拝見しましたが……反社相手に素晴らしい戦果でしたね。 制裁というものは、実に気持ちの良いものでしょう?」

満面の笑みでそう述べるシリルは、皮肉とも賛辞とも取れる言葉を、あえて芝居がかった声で投げかけた。

「……ふん、どこかの誰かさんの口車のお陰だよ!」

冨楽は、シリルを睨むように一瞥しながら、棘のある皮肉で返す。

「おやおや、ご謙遜を。 “正義”を貫いたその姿勢、称賛に値しますよ。」

肩をすくめて笑うシリルの言葉に真意があるのか、或いは挑発なのか──

冨楽は答えず、ただ無言を貫くのみだった。

「もっとも……アサシン陣営を見ていたミルコ・ボテッキア氏は、私と同じ“新制度”賛成派。 そういう意味では、少々手痛いことでは御座いますが……冨楽様の働きによるものならば、良しとしましょう。」

そう言う彼の目に、哀惜の色は一片もない。

“新制度”への賛同といえど、シリルとミルコのそれは決定的に異なっていた。

シリルにとってのそれは“悪用”の道具に過ぎない。

「……そんな話、俺にはどうでもいいよ。」

冨楽の関心は冷めきっていた。

「ほう。 ならば“環境”より“実行”に重きを置くお方とお見受けしました。」

シリルは、冨楽の表情に何かしらの“決意”が浮かんでいることに気付いたのか、僅かに目を光らせた。

「まぁねぇ……ところで。」

冨楽は椅子にもたれかかり、ふと問いを投げる。

「他の陣営に悪人は……?」

その言葉に、シリルの唇が愉快そうに吊り上がった。

「ふふ、それをお尋ねになるとは。 では、グレーゾーンではありますが──」

鞄から取り出したタブレットを開き、日本語化されたある画面を冨楽に見せ始めると──

「例えばこちら。 轡水京介と言う方、思想的にはやや危険視されていますが、まだ何も“実行”はしておりません。 どうなさいますか?」

画面には、轡水の個人情報が映し出されていた。

「……じゃあ、一旦候補として覚えとくよ。 他は?」

「ふふふ、そう来なくては。 このリストの全体を見れば、一目瞭然かと…。」

冨楽の希望に応え、シリルは不敵な笑みで、マスター陣の個人情報の全体リストを開いた。

マスター氏名/職業/年齢/サーヴァント/現状/担当魔術師

私市一竜(きさいちいつる)/大学生/20/セイバー/生存/遠坂凛(とおさかりん)

美穂川恵茉(みほがわえま)/大学生/20/アーチャー/生存/ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト

小鳥遊亜梨沙(たかなしありさ)/歯科事務員/23/ランサー/生存/メルヴィン・ウェインズ

轡水京介(ひすいきょうすけ)/自称デイトレーダー/28/ライダー/生存/化野菱理(あだしのひしり)

纐纈士(くくりつかさ)/フリーランスクリエイター/35/キャスター/生存/ロード・エルメロイⅡ世

猪狩昌真(いかりあきさだ)/反社会派組織構成員/38/アサシン/死亡により退場/ミルコ・ボテッキア

冨楽謙匡(ふらくよしまさ)/システムエンジニア/32/バーサーカー/生存/シリル・ファラムス

「……っ!?」

リストの中のある名前を目にした瞬間、冨楽の表情が一変した。

「……こいつがいるって、本当か?」

やがて声を荒げ、シリルの手からタブレットを奪い取る様にして、該当の人物を指さす。

「ええ、まぁ……その人には特に問題行動の報告はありませんが。 何か……お心当たりでも?」

シリルの問いに、冨楽は数秒の沈黙を挟んだのち──

「……聞かないでくれよ。 思い出すだけで……腸が煮えくり返る。」

そう一言だけ吐き捨てると、怒りを押し殺すように黙り込んでしまった。

シリルは一瞬だけ目を細めるが、やがて苦笑いとともに肩をすくめ、余計な詮索はやめることにした。

部屋の隅では、相変わらずバーサーカーが豪快なイビキを響かせている。

だが、この陣営の“動機”は、静かに燃え始めていた──