アサシンとバーサーカーの戦闘による古井戸組損壊の衝撃的なニュースから、数日後──
この日、私市一竜と美穂川恵茉は、叡光大学の文学部にて、選択科目の講義を受けていた。
静かな講義室の中で、教授の声が淡々と響く。
恵茉を含む学生たちは、真面目な面持ちでそれに耳を傾けている。
だが──
「(……やっぱり、ここ最近のこともあるし……どうにも集中出来ないな)。」
一竜はノートにペンを走らせながらも、どこか上の空だった。
その左手でノートを押さえる指先は僅かに震えており、心ここにあらずといった様子である。
それも無理はない。
あの報道を目にして以来、彼の警戒心は極限まで高まっていた。
「(それに比べて……美穂川さん、本当に落ち着いてるよな。)」
横目でちらりと見ると、恵茉は実に静かだった。
指先をいじることもなければ、貧乏揺すりの様な癖も見せない。
まるで非常事態に慣れているかの様に、表情一つ変えず講義に集中していた。
その姿は、最早“学生”というより“戦士”だった。
同じ戦争に巻き込まれたマスターでありながら、二人の性格の違いが如実に表れていた。
──一方その頃。
大学の体育館では、セイバーが剣道部で非常勤コーチのアルバイトに励んでいた。
「栗林さん、もう少し踏み込みを深く。 胴を狙うなら、間合いをしっかり詰めましょう。」
淡々とした口調だが、その指導は理にかなっており、実戦経験に裏打ちされたものだった。
「はい、分かりました!」
部員達も、汗を流しながら真剣に応えていた。
セイバーの着任以降、彼らの練習にも明らかな変化が見られた。
只の型の反復練習ではなく、戦う意味を見出す様な内容に、部全体が活気づいていたのだ。
「直さん、なんか実戦慣れしてる感ありますけど……もしかして戦経験者っすか?」
とある部員の冗談交じりの一言に、顧問である冴島教授含む周囲が小さく笑う。
その場の空気は柔らかく、セイバーもその笑いに応じる様に微笑んだ。
「ふふ……さて、どうでしょうね。」
部員や顧問達との関係も良好で、彼女はアルバイトでありながら、そこに壁の様なものはなく、すっかり一員として馴染んでいた。
─一竜と恵茉は学生として日常を過ごし、>セイバーは剣の道を通じて社会と関わる。
バーサーカー陣営の影は未だに消えぬままだが、三人はそれぞれの場所で、“いつも通り”を守っていた。
やがて日も高くなった昼過ぎ。
二限連続の講義を終えた一竜と恵茉は、セイバーを迎えに体育館へと足を向けていた。
「ねぇ、私市くん。 今日もまた集中出来てなかったよね?」
「うん……やっぱりここ最近の聖杯戦争の動きが気になっちゃって。 帰ったら、講義内容まとめ直さないと……試験の方もヤバいしさ。」
恵茉が軽く笑いながら問いかけると、一竜が苦笑いを浮かべるて答えた。
右から入った講義の内容が、左からスルリと抜けていく感覚に、頭を抱えるばかりだった。
二人は談笑を続けながら、やがてキャンパス内の体育館へと到着する。
その入口で──
「一竜殿、恵茉殿。 今日もご学業に励まれ、何よりに存じます。」
現れたのは、既にアルバイトを終えたセイバーだった。
今は普段の私服に着替えており、ニットのセーターにデニムというカジュアルな姿だ。
右肩には竹刀袋、左には防具一式、そしてズボンのポケットからは封筒に入った日当がちらりと覗いていた。
「セイバー、お疲れ様。 じゃあ、行こうか。」
一竜が彼女に声をかけ、三人は連れ立って正門へと歩き出した。
その最中、恵茉は朗らかな笑みを浮かべながら、現世に馴染み始めているセイバーの姿に言及した。
「セイバーも、随分この時代に溶け込めてきたよね。 特技で実益も出してるし、部員や冴島先生にも好かれてるし。」
その言葉にセイバーは微笑を返し、落ち着いた声音でこう応じる。
「ええ。 かつて身につけた技が、こうして今の時代の若人達の助けになるのは、この上ない喜びです。」
召喚されたばかりの頃に見せていた硬さは影を潜め、今の彼女には柔和さすら漂っていた。
凛とした芯を残しつつも、心を許した仲間にだけ見せる穏やかな表情。
「それにさ、セイバーったら、今度の週末にボードゲームカフェにも行きたいんだってさ。 本当、もし聖杯戦争さえなければ、ずっと楽しく過ごせるのにな。」
一竜の言葉は冗談めかしていたが、その奥底には不安とため息が滲んでいた。
セイバーの楽しみを語るほどに、聖杯戦争という現実の重みが背後に立ち込めてくる。
「あはは、確かに平和な世界だったらね。 こっちもアーチャーが警戒しててさ──」
そう口にした瞬間、タイミングを見計らったかの様に、声が割って入った。
「おう、恵茉。 俺の話か?」
軽快なブレーキ音と共に現れたのは、恵茉の出講時間を見計らった、スポーツウェア姿のアーチャーだった。
愛用のロードバイクに跨り、ニヤついた表情で三人に近づいてくる。
「あら、アーチャー。お疲れ様。 そうそう、アンタの話してたの。 ちゃんと警戒してスピード落として走ってるんでしょ?」
恵茉は驚いた様子の一竜を横目に、先ほど言いかけたことをそのままアーチャーに投げかけていた。
「おう、まぁな。 そっちはそっちで気を張ってるみたいだし、油断は禁物ってな。」
にこやかながらも、その眼差しには常に鋭さが潜んでいた。
ロードバイクでの一走りを終えた直後のアーチャーは、機嫌も上々の様だった。
「けどよ、あのニュースから何日も経ったけど、実際に近辺で誰かが襲われたって話はない。 最近はまたスピード戻して走ってるし、今んとこは問題なし、ってとこだな。」
安堵とも言えるその言葉に、セイバーが口を開く。
「それは何よりですが……近頃、反社会勢力の施設が何者かに破壊されているという報道も見受けられます。 決して無関係ではないかと。」
そう、近頃頻発しているのは、半グレなどの反社会的勢力が利用している倉庫や拠点が、何者かによって襲撃・破壊されているという事件だった。
「うん、聞いたことある。 もしかして、バーサーカー陣営の仕業って可能性もありそうだよね。」
新聞学科に在籍している恵茉も、その話題には即座に反応した。
連日の報道が、彼女の頭にも強く残っていたのだろう。
「もし、それがバーサーカーによるものだとすれば、いずれ誰かが正面から衝突することもあるでしょう。 その時に備え、模擬戦を重ねておくのが賢明かと存じます。」
セイバーの表情は、冗談めいたものから一転、戦士の顔へと切り替わった。
「そこで──一竜殿。 アーチャーと模擬戦をお願いできませんか?」
突然の提案に、恵茉と一竜は同時に声を上げた。
「えっ!?」
「ほぅ、それは丁度いいな。 俺も最近、訓練だけじゃ物足りねぇと思ってたとこだ。 なぁ恵茉、俺は別に構わねぇぜ?」
日々の訓練でエアガンの腕を磨いていたアーチャーにとっても、模擬戦は絶好の腕試しだった。
「……まぁ、アーチャーがそう言うなら、いいけど。 なら、場所を変えよう?」
アーチャーの気持ちに応えるべく、恵茉も模擬戦に賛成した。
「私市くん、前にランサー陣営とやってたのって、何処だった?」
「うん、屋敷町の桜谷公園だったよ。 人が来る前にサッと済ませれば問題ないと思う。」
一竜の返答に、セイバーが深々と頭を下げた。
「感謝いたします、一竜殿。それでは、参りましょう。」
かくして一行は場所を移し、セイバー陣営にとって二度目の模擬戦が、静かに幕を開けようとしていた──