セイバー陣営とアーチャー陣営が模擬戦を繰り広げていた、その少し後──
とあるアパートの一室で、 纐纈は、小さな鏡の前でお気に入りのライダースジャケットを羽織り、いつも愛用している黒いハットを被りながら、上機嫌に鼻歌を奏でていた。
一方その頃、白シャツの上にジッパー付きの黒パーカーを羽織り、黒のキャップにハーフパンツ、黒ストッキングにブーツというシックな装いのキャスターが、玄関先で静かに佇んでいる。
そこへ、まるで少年の様な無邪気な笑みを浮かべ、纐纈がステップを踏みながら駆け寄った。
「んふふ、この時を待ってたんだぁ。 たとえ小さなライブでもさ、俺の曲が使われるなんて、そりゃあもうワクワクするよぅ!」
彼らが向かう先は、小規模ながらも勢いのあるアイドル達による合同ライブイベント。 最近纐纈が携わっていた案件とは、そこに出演する“男装系地下アイドル”への提供楽曲の制作だったのだ。
「ふふふ。 士、キミってヤツは……。」
そんな彼の浮き立つ様な姿を、キャスターは目を細めながら微笑ましく見つめる。
やがて二人は部屋を出て、軽やかな足取りでライブ会場へと向かっていった。
一方、同じ頃──
昼下がりの陽射しの中、ランサーと亜梨沙が並んで歩いていた。
その表情は、普段の内気な彼女からは想像もつかないほど明るく、足取りまで軽やかだった。
「はっはっは! おいおい、ちょっと前まで『聖杯戦争こわぁいっっ!』って震えてた奴とは思えねぇぞ!」
「んもぉっ! 推しの応援くらい真剣にさせてよぉ!」
亜梨沙の最近の出来事を大袈裟に茶化すランサーに、彼女が顔を赤らめて抗議していた。
その光景は、戦いの渦中にあるはずのマスターとサーヴァントとは思えない、どこか微笑ましいものだった。
──そう、この二人もまた、纐纈達と同じライブイベントを目指していたのだ。
推しである男装系地下アイドルの新曲発表に胸を躍らせ、応援の準備に余念がない。
「新曲があるって言ってたし……これは全力で応援しなきゃ!」
目を輝かせながら、彼女は缶バッジやチャームがびっしりついたバッグから、応援用の団扇を取り出す。
その様子を見たランサーは、和みながら言った。
「はっはっは、いいじゃねぇか! 存分に楽しんでこいよ!」
なお、チケットは亜梨沙の分だけだったため、ランサーはライブ終了まで周辺をぶらついて時間を潰す予定だった。
時は流れ──
ライブイベントのタイムテーブルが進み、ついに例の男装アイドルグループの出番が訪れた。
「さぁみんな、お待たせ。 ここからは“パピヨン”のステージだよ。 予告通り、新曲もあるから楽しみにしててね!」
メンバーの一言と同時に、会場内は割れんばかりの黄色い歓声に包まれた。
「キャーーッ! 生きててよかったーー!!」
その中には、普段は引っ込み思案な亜梨沙が、信じられない程の声量で叫ぶ姿もある。
彼女にとってここは唯一、自分をさらけ出せる場所なのかもしれない。
「じゃあ早速、新曲いくよ! サイリウムと団扇、準備出来てるかな?」
会場の熱気がさらに高まり、新曲のイントロが鳴り響く。
テクニカルな現代ポップスのリズム、鋭く響くエレキギターの音、そして中性的なボーカルの声がフロアを包み込む。
観客達はサイリウムと団扇を振りながら、一糸乱れぬ動きでリズムに応えていた。
そんな熱狂の渦を、ステージ横の関係者スペースから纐纈とキャスターが静かに見守っている。
「あぁ……規模はどうあれ、自分の音楽がこうやって“届く”ってのは……やっぱり格別だねぇ。」
「士、よかったじゃないか。」
興奮と感慨の入り混じった纐纈の声に、キャスターは肘で彼の肩を軽く小突き、いつもの落ち着いた笑みで応じた。
やがて曲が終わり、ステージはトークコーナーへ。
「みんな、今回の新曲を作ってくれた“SMOKE”さんが、あそこの関係者席にいるんだ!」
メンバーの言葉に、観客達が一斉にそちらへ注目する。
──“SMOKE”とは、纐纈のクリエイターとしてのハンドルネームである。
その中で、アイドルから手渡されたマイクを受け取ると、彼はにこやかに帽子に触れながら応じた。
「ははは。 そんな訳でみなさん、こんにちはぁ。 ご紹介にあずかりましたSMOKEと申します。 普段はマルチに色々と、創る側の人間をやってます。」
そしてその隣では、腕を緩やかに組んだキャスターが、温かな眼差しで彼を見つめていた。
「あの人が、あの曲を作ってくれたんだ……!」
観客の中には、亜梨沙の姿も。
彼女もまた、その目に尊敬と感謝の色を滲ませながら、ステージ横の彼をじっと見つめていた。
かくして、全てのタイムテーブルが終了し、ライブ会場から観客達が続々と姿を消していく。
「……お、もうそんな時間か。」
ランサーは、近辺の散策を終え、ライブ終了のタイミングを見計らって出入り口の近くに戻って来た。
「ランサー。 待たせてごめんね!」
程なくして、買ったばかりの推しグッズを手に、名残惜しそうな笑顔を浮かべながら亜梨沙が駆け寄ってくる。
「へへっ。 亜梨沙、楽しめたか?」
その満ち足りた表情に、ランサーも自然と頬を緩めた。
「うん! すっごく楽しかったよ! 新曲もカッコよかったし、会場の熱気もすごかったし……それに、曲を作った人も、優しそうな人だった!」
ライブでの感動を、亜梨沙が早口で語り始めたその時──
「──はぁ。 他のアイドル達の曲もよかったよねぇ。」
「そうだね。 学びになったかい?」
会場の出入り口から、纐纈とキャスターがゆったりとした足取りで姿を現す。
二人ともどこか余韻に浸っている様だった。
「……あっ、あの人達! あの男性が、SMOKEさんって言うんだって!」
亜梨沙は、目を輝かせながらランサーに説明する。
「おっ、そうか。 なら……思い切って声でもかけてみろよ。 お礼の言葉とかさ。」
唐突に、ランサーが“試練”を持ちかけてきた。
「え、ええっ!? む、無理だよぉ……!」
「大丈夫大丈夫! オレも一緒にいるし、勇気出してみなって!」
動揺する亜梨沙の背中を、ランサーは軽く叩いて笑い、談笑している纐纈とキャスターの方へと促す。
そして、いよいよ距離が縮まったその瞬間──
「あのっ……!」
「はいはい?」
しどろもどろにかけた亜梨沙の声に、纐纈が何気なく振り返る。
「あの……SMOKEさん。 今日の曲、最高でした! あの子達に、あんなに素敵な曲を作ってくれて……ありがとうございました……!」
震える声ながらも、亜梨沙は必死に感謝の気持ちを伝えた。
「おぉっ! こちらこそありがとうございます! そう言って貰えるのが、何より嬉しい限りです!」
纐纈は、作品が届いたことへの純粋な喜びを満面の笑みで返した。
その様子を、キャスターもどこか誇らしげに目を細めて見守っていた。
──が、次の瞬間、キャスターの視線が鋭く変わった。
ゆっくりと歩み寄り、柔らかな笑みを浮かべながら、亜梨沙に声をかける。
「……ところで、キミ。」
「……は、はいっ!?」
突然の問いかけに、亜梨沙の肩がビクリと跳ねる。
「ふふ……そうか、なるほどねぇ。」
しばらく亜梨沙を観察していたキャスターは、やがて口角をさらに持ち上げる。
「えっ? な、なにがですか……?」
「? キャス……玲奈さん、どうしたの? ちょっと失礼じゃなぁい?」
纐纈がキャスターの偽名を交えて苦笑気味にツッコミを入れるも、彼女は構わず続けた。
「キミの、微かに流れる魔力……それと、その隣の彼の魔力。 ふむ……なるほど。 キミ達、聖杯戦争の参加者だね?」
──鋭い魔力感知能力によって、キャスターはランサー陣営の正体を見抜いてしまったのだ。
「…え、えぇぇぇぇっ!?!?」
「んぇっ!?」
「おっ?」
予想外の指摘に、亜梨沙は叫び、纐纈は驚愕し、ランサーは冷静に反応しながらも、自然な動作で亜梨沙を背後に庇った。
「うぅぅ……そんな……バレるんですかぁ……?」
遂には亜梨沙も、ランサーの背越しに覗き込む様にキャスターを見つめて問いかけた。
「あらら、全然気づかなかった! キャスター、やっぱりすごいねぇ! ケドさぁ、こんな和やかな空気の時に、戦争なんてしないよねぇ!?」
纐纈は笑って誤魔化そうとしつつも、事態が緊迫するのではと不安げな視線を送っていた。
「ふふ。 私だって、その程度の無粋さは理解しているさ。 それより……二人はとても仲が良いようだね?」
キャスターは戦意を見せることなく、寧ろ亜梨沙とランサーの絆に関心を示した。
「えぇっ!? そ、そうですか!?」
「おぉっ! 嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか!」
亜梨沙は顔を赤らめ、ランサーは笑って亜梨沙の肩を軽くポンと叩いた。
その光景に、纐纈が口を開く。
「お姉さん……亜梨沙さんでしたっけ? そのサーヴァント、結構陽気ですねぇ。」
「まぁな! でも、そっちのアンタも、けっこうノリいいじゃねぇか!」
どこかウマが合いそうな空気が、ランサーと纐纈の間に流れる。
「まぁね。 俺は自分から話しかけるのは苦手だけど、話しかけられたら意外と喋るタイプだからさぁ。」
「はっはっは、それ最高じゃねぇか! アンタとは気が合いそうだな!」
すっかり意気投合した二人は、あっという間に談笑を始めていた。
「ランサー、もう仲良くなってる!?」
「ふふふ、士は軽妙だから、ランサーとは波長が合うんだろうねぇ。」
キャスターが誇らしげに笑う横で、亜梨沙は驚きと安堵が混ざった表情を浮かべていた。
──しかし、そんな穏やかな空気の影で。
物陰から、二つの陣営をスマートフォンで撮影する黒服の男の後ろ姿があった。
バーサーカー陣営の担当魔術師、シリル・ファラムスだ。
「ふふふ……冨楽様への、思わぬ手土産ができてしまいました。 これは面白くなりそうですよ……。」
ニヤリと不敵に笑い、彼は静かに踵を返す。
スマートフォンの画面を確認しつつ、その影は路地裏へと消えていった。
キャスター陣営とランサー陣営が和やかに語らい合っていた、数時間後の夜──
花園区の片隅、ぼったくりで悪名高い某居酒屋の裏にある食料倉庫で、一つの異変が起きていた。
──身の丈およそ288cmの異形の巨体を誇るが、無心に棚の食品をむさぼっている。
その正体は、バーサーカーだった。
その傍らには、見るからに疲弊しきった風貌の冨楽謙匡の姿があった。
この倉庫は、半グレ組織が経営する問題店舗の裏手に位置しているが、今やそこの構成員達は、バーサーカーの放つ無意識の威圧に晒され、ガタガタと震えながら互いにしがみついていた。
「ウマ……ウマ……。」
倉庫の一角で、バーサーカーはただ嬉しそうに空腹を満たすことだけに集中している。
それはまるで、人間の価値など眼中にない神獣の様である。
「……おい、お前、止めてこいよ。」
「冗談じゃねぇよ! 死にたくねぇし!」
彼らの間に責任の押しつけ合いが始まる中、冨楽は溜息と共に、冷えきった視線を投げ捨てた。
「……やれやれ。 自己中な連中だよ、まったく。」
そんな緊張と混沌の渦中──
「ご機嫌よう、冨楽様。 いやはや……これはまた随分と愉快な場面ですねぇ。」
唐突に、倉庫の入口から顔を覗かせたのは、いつもの皮肉な笑みを浮かべたシリルだった。
「……シリルさん、もう来たのか。 ROPE送ったばかりなのに、早いな。」
冨楽は眉をひそめつつも応じた。
シリルは数分前、ROPEで”面白いものを見せたい”とだけ連絡してきたばかりだった。
「んで、その“面白いもの”ってやつ、画像で送れば済んだんじゃ?」
「いえいえ、これは直接お見せしたかったんですよ。 ご覧ください──こちらです。」
シリルが差し出したスマートフォンには、先程彼が盗撮した、キャスター陣営とランサー陣営の楽しげな談笑の写真が映し出されていた。
その瞬間、冨楽の目が大きく見開かれ、震える指先と噛み締められた唇が、その内心の怒りを露わにしていた。
「……アイツ……こんな風に、のうのうと満喫しやがって……!」
冨楽の心中に湧き上がったのは、明確な“憎悪”だった。
日々の疲弊も、シリルの魔眼で受けた精神的圧迫も、その怒りに燃料を注いでいた。
「その様ですねぇ。 これでようやく、聖杯戦争参加者として潰す気になっていただけたなら、僥倖というものですが。」
「……余計なお世話だよ。 本当は……顔も見たくなかった!」
その言葉の裏には、確かな私情が見え隠れする。
シリルは尚も表情を崩さず、探る様に問うた。
「それにしても冨楽様? まさかこの人物に何かされたと?」
「……アンタには関係ない! それに、やられたのは俺じゃない! ……これは俺と、写真の人物と……あの人との問題なんだよ。」
「なるほど。 つまり“個人的な復讐”ではなく、“代理的な怒り”というわけですね。 ……ふふ、これ以上は詮索しませんとも。 冨楽様の地雷を踏む気はありませんので。」
シリルはそう言って静かに微笑みつつ、スマートフォンの画像データをROPE経由で冨楽へと送信した。
「では──ご武運を。 私はここまで。」
「……ああ、わかった。 情報提供してくれたのに、こんなんで悪かったよ。」
「とんでもない。 良いものが見られましたので。」
シリルはそのまま静かに去っていく。
残された冨楽は、スマホの画面を再び睨みつけながら、拳を強く握りしめていた。
怒りに満ちた視線は、最早血が滲むほどに真っ赤だった。
──その時、黙々と食料を平らげていたバーサーカーの動きが止まり、のそのそと振り返る。
「マスター……クイモノ……ナクナッタ……。」
「ん? あぁ、もう食い尽くしちゃったのか。 ……お前、本当によく食うなぁ。」
先程の怒りとは打って変わり、冨楽は今まで通りの溜息交じりで世話を焼く様な対応をした。
「じゃあ、隣の食料庫も行くか。」
まるで”ちょっとコンビニでも行くか”の様なノリで語るその言葉に、構成員達の顔色が一気に青ざめ、いよいよ半泣きで懇願し始めた。
「もうやめてくれよぉっ! 俺達も商売上がったりだよぉ!」
しかし──その一言が、冨楽の逆鱗に触れた。
「……あぁ? 人を騙してぼったくって食わせてさぁ……何が商売だよ!? あぁ!? そんなことより、バーサーカーの糧にしといた方がよっぽど有効的だろうがァ!!」
「そんな無茶なぁ……!」
構成員達は、まるで話が通じない相手に困惑し、一人、また一人と嘆く声を上げていた。
「……オカワリ……オカワリ!!」
その最中、バーサーカーが無邪気に足取り軽く、隣の食料庫の壁をぶち破り侵入した。
「ひいぃっ!」
「やめてぇーっ!」
「もう破産だよぉぉっ!!」
悲痛な叫びが夜の街にこだまする中、バーサーカーはその暴食を止めることなく、冨楽はただ無言で眺めていた。
──アサシン陣営との戦いから、彼の中の歯車は確実に狂い始めていた。
その“正義感”は、今や正しさという名の形を完全に見失っていたのだった。