一方、同時刻でのこと──

静かな畳の間にて、剣道着を纏った初老の男が正座をしていた。

傍らには、鞘に納められた一本の日本刀、目の前の巻き藁へと、ただ静かに意識を向けている。

周囲には多くの見物人が詰めかけていたが、男は山の如き静寂を纏い、一分(いちぶ)の揺らぎも見せぬまま時を待っていた。

やがて男の目が静かに開かれると、その刹那、鞘の上から柄を軽く叩く。

シュッ──

鋭い金属音が鳴り、刃が僅かに顔を覗かせた次の瞬間──

刀を手に取った男の右腕が走る。

まるで光の軌跡の如き速さで抜刀が行われ、巻き藁が……二つ、三つ、そして四つへと。

気付けば、風すらも裂かんばかりの太刀によって、巻き藁は見事に分断されていた。

館内を包む静寂は、やがて拍手喝采に変わる。

男の鮮やかな居合切りに、観客達は惜しみない賞賛を送っていた。

──しかしこれは、セイバーが視聴していた動画である。

彼女は動画を前に、興奮を隠しきれぬ様子で目を輝かせていた。

「鞘より刃を抜く刹那を見せぬまま、見事に斬り伏せる……。 この老練なる者、刀の(ことわり)を深く理解しておられますね。」

穏やかな声音に宿るのは、真剣な尊敬と驚嘆。

戦に身を投じてきた彼女として、名人の技量の高さの理解は明らかだった。

「いやぁ、何度見てもどうなってんのか全然わかんないなぁ。」

傍で同じ動画を見ていた一竜もまた、あまりの鮮やかさに言葉を失っていた。

「所作の一つ一つは理屈で捉えられます。 されど、あの域に至るには、尋常ならざる研鑽が必要でしょう。 技とは、只知るだけでは決して手に入らぬもの。」

セイバーの言葉は、自身の経験に裏打ちされたものだった。

その瞳は今も尚、動画の中の居合に釘付けになっている。

「確かに。 素人の抜刀チャレンジ動画もあったけど、まるで別物だったな。 力任せに振るってただけでさ。」

「“刀を振るう”ではなく、“刃を滑らせる”。 その違いが如実に現れておりましたね。 誠に学ぶに値する所作です。」

戦に覚えのあるセイバーですら、現代剣術に心を動かされていた。

その矢先、ふと別の動画が彼女の視界に映り込む。

「……一竜殿。 この“PyroMind”という名の配信者、よく見かけますね。」

おすすめ欄に表示されていたのは、ゲーム配信のアーカイブだった。

鮮やかなサムネイルと再生数が、視聴者の関心を物語っていた。

「ああ、あの彗星の如く現れたトップランカーレベルのゲーマーか。 今じゃ世界的に有名になってるよなぁ。」

一竜もその名前には聞き覚えがあった。

SNSや動画投稿サイトでは、常に話題の人物である。

「それでは、少し見てみましょうか。」

セイバーが興味を示し、動画を再生すると──

『……ふっ。 読み通りの動きだよ。これで三枚抜きさ。』

配信画面の右下、小さなワイプに映るのは、黒髪にメッシュを入れたアシンメトリーな髪型の美人な女性がいた。

知的な微笑(ほほえ)みを浮かべ、冷静かつ驚異的な反応速度で敵を打ち倒していく。

斜に構えた洒脱なトークを挟みつつも、手元のプレイはまさに戦術と読みの極地と言えよう。

画面の横を埋め尽くす、コメントと投げ銭が止むことはなかった。

「……これはまさしく、戦に覚えのある者の動きですね。 テレビゲームというものは未知の分野ですが、学びとなるものを感じます。」

「だよなぁ。 こりゃあ人気になるのも納得だよ。」

その神業とも言えるプレイとセンスに、セイバーも一竜も言葉を失っていた。

そして、二人はそのまま時を忘れ、動画鑑賞に耽るのだった──

一方その頃、 例の“PyroMind”本人、すなわちキャスターは──

「……クシュンッ!」

「えっ、どうしたの? 風邪?」

「ふふふ、サーヴァントは霊体だから風邪なんて引かないよ。 きっと誰かが私の噂でもしてるんだろうね。」

そんな他愛もない会話を交わしながら、キャスターは纐纈(くくり)と仲睦まじく過ごしていた。

彼女は自ら運営する動画チャンネルのアナリティクス画面を開き、ここ最近の配信統計などを確認すると──

「うっひゃー! やっぱり同接数もチアチャットもえげつない数だねぇ! キャスターがここまで早く跳ねるなんて、予想以上だよ!」

纐纈(くくり)は、同時接続数や投げ銭の多さのインパクトに、驚きと興奮を隠しきれない。

「ふふふ、軍師としての実績を侮るなかれ、だよ。 私の立てた戦略と、ゲームスキルがあれば、人々を熱狂させる勝利なんて造作もないさ。」

キャスターは自信たっぷりに笑みを浮かべ、右眉にかかる前髪を指先で軽くかき上げる。

そんな彼女の隣で、纐纈(くくり)がスマートフォンを取り出し、口座アプリを開いてみると──

「……ひいぃっ! 七百万!? 嘘でしょ!? これどう使えばいいのか分かんないよ!」

彼の手が震えるほどの桁違いの収益に、喜びと戸惑いが同時に押し寄せていた。

「ふふふ、(つかさ)はいつもそう言って、結局ほとんど使ってないじゃないか。 収益は山分けって約束だったろう?」

キャスターが彼の顔のすぐ横に自分の顔を寄せ、スマートフォンの入出金履歴を指差す。

表示された出金項目の多くは、キャスター自身の使用分であり、纐纈(くくり)による支出はほとんど見られなかった。

「ん〜、でもさぁ、人のお金ってやっぱり気が引けるよ……。 光熱費だって、自分の稼ぎ分からしか出してないしさぁ。」

実際に纐纈(くくり)がキャスターの収益から使ったのは、国民年金の追納分や分割払いの完済くらいだった。

それ以外は出来る限り、自分の収入で賄おうとしていたのだ。

「まあまあ、遠慮しないで。 さあ、食事に行こうか。 あの中華料理店がいいな。」

「……それもそうだね。 お腹空いたし、キャスターも餃子食べたそうにしてたし!」

こうして二人は、以前にも訪れた中華料理店へと足を運ぶことにした。

──数十分後。

店内の一角、彼らが囲むテーブルには、焼き餃子、水餃子、スープ餃子──多種多様な餃子がずらりと並べられていた。

香ばしい湯気と香りが漂う中、キャスターと纐纈(くくり)の箸は止まらない。

「うん、やっぱり現代の餃子は素晴らしい。 しかも、これが気軽に食べられるなんてさ。」

「キャスターが気に入ってくれて良かったよ。 ACT1-7の時も、最初びっくりしてたもんねぇ。」

「ふふふ、ナレーションにまで感想をいじられたのは、今でも忘れないさ。」

……あまりここで、メタ的な発言は控えて貰いたい。

ともあれ、この店の餃子は今や二人にとって、週に一度の楽しみとなっていた。

祖国に近い味を楽しめること、節約続きだった纐纈(くくり)が初めて連れ出した外食という、細やかだが彼女にとっても特別な思い出の場所ということもある。

「ふふふ、それに誰かさんの影響で甘いものにもハマってしまったしね。」

キャスターが悪戯っぽく微笑むと──

従業員が、あんこ入り胡麻団子を二皿運んできた。

この胡麻団子こそが、キャスターを重度の甘党へと変えた、最大の原因と言えよう。

「ひゃっほう! 来た来た!」

「さぁ、食べようか。」

二人がそれぞれ胡麻団子を口に運ぶと──

揚げたての衣がカリッと音を立て、甘くとろける餡が舌に広がっていく。

まるで(とろ)けるかの様に、二人は幸せそうな顔を見せた。

「……やっぱり、これこそ至高だよ。 何故私の時代にはあんこなんてものが存在しなかったのか、嘆かわしい限りさ。」

「キャスターの時代の甘味って言ったら、はちみつくらいだったもんねぇ。」

この二人が甘味の話を始めれば、恐らく一時間以上は語り続けてしまうだろう──

それほどまでに、二人は筋金入りの甘党である。

「ふふふ、そのはちみつも、ちゃんと持ち込み許可を得ておいたのさ。 (つかさ)、これを胡麻団子にかけてみようか。」

「ええっ!? いつの間に!? ……でも、やっちゃおやっちゃお! 絶対美味しいよ!」

キャスターが持ち込んだはちみつをかけて、一層贅沢に味わう胡麻団子が、二人をまたも(とろ)けるような笑顔にさせた。

だがその最中、纐纈(くくり)の脳裏には、ふとある疑問がよぎる。

「(……そういえば、キャスターって聖杯に何を願うつもりなんだろう?)」

キャスターを召喚して以来、敢えてその話題には触れてこなかった。

今もこうして、目の前で胡麻団子を嬉しそうに食べる彼女の姿を見ながら──

「(……やっぱり、今はやめとこう。 そういう話題、負けフラグっぽくて嫌な感じしちゃうし。)」

……何度も申すが、あまりメタ的な話は控えて貰いたい。

(つかさ)? どうしたんだい? 食べないのなら、私がいただくよ?」

「……あっ、だめっ! あげないよっ!」

キャスターの言葉に我へと返った纐纈(くくり)は、慌てて胡麻団子を守る様に口に運ぶ。

聖杯戦争のことは、いずれ考えるべきだろう。

だが、今は違う。

今このひとときは、ただ美味しいものを食べ、キャスターと笑い合える日々を大切に過ごす時間である。

纐纈(くくり)はそう思い、余計なことは考えない様に決めた。

“PyroMind”ことキャスターの名は、セイバー陣営だけでなく、別の陣営の話題にも上がっていた。

先日、彼女らキャスター陣営と短くも鮮烈な邂逅を果たしたランサー陣営は今、亜梨沙のPCで動画投稿サイトを見ていた。

画面には、動画投稿サイトにアップされた、例のキャスターの配信アーカイブが映し出されている。

彼女は、椅子にもたれながらも背筋を崩さず、冷静な口調でコメントを拾っては応じていた。

その指先が舞う様にゲームパッドを操り、視聴者の目を奪う鮮やかなプレイを魅せる。

チャット欄は絶え間なく流れ、時折“チアチャット”と呼ばれる投げ銭が画面上に弾け、亜梨沙は思わず、目を丸くしていた。

「凄い……! あのキャスター、こんなに人気だったんだね!」

「そうだな。 ゲーム中でもあの落ち着きよう、会った時とまるで変わらねぇな!」

ランサーも、あの日のやりとりを思い返す様に笑い、画面に釘付けになった。

亜梨沙はふと、彼に問いかける。

「ねぇランサー。 サーヴァントって、現代に召喚されたら……この時代の遊びにハマったりするものなの?」

「んー、まぁそりゃあるだろうな。 サーヴァントも元は人間だし、暇もあれば退屈もする。 何に夢中になるかはそれぞれだけど、楽しむときゃ楽しみてぇもんだろうな。」

軽い口調ながら、妙に人間味のある答えが返ってきた。

亜梨沙はその言葉を一瞬かみしめ、それからふっと笑みを浮かべ──

「……でも、ランサーは人間じゃなくて神様でしょ?」

「はっはっは! そういやそうだったな!」

笑い声が小さな部屋に響く。

二人は時折会話を交わしながら、画面の中のキャスターを見守り続けた。

亜梨沙にとっても、最初はランサーの陽気さに圧されていた時と比べ、今やこの飾らないやり取りは、不思議と心地いい時間だった。

やがて亜梨沙は、視線を画面から外し、真顔でランサーを見上げる。

「そう言えば、ランサーは聖杯に何かお願いがあるの?」

「あぁ。 あるにはあるけど──」

ランサーは顎に手を当て、ほんの一瞬だけ真剣な色を宿す。

しかし次の瞬間、肩を竦めて笑った。

「──まぁ、また今度でいいだろ。」

「えぇー! 気になるよぉ!」

「はっはっは!」

ランサーが願いの内容を勿体ぶり、亜梨沙もごねながらも、お互い笑い合う。

そこには敵地の緊張とは無縁な、穏やかで温かな空気が流れていた。