それから数日のこと──
「士! 士!」
小鳥のさえずる清々しい朝、その静けさを破る様に、キャスターの弾んだ声が響き渡った。
「? キャスター、どうしたの? いつになくテンション高いねぇ。」
歯磨きを終えたばかりの纐纈が、口元をペーパータオルで拭き、キャスターの元へ歩み寄る。
「ふふふ……これを見てくれ!」
ニヤリと笑ったキャスターが、PCモニターを指すと──
「──えぇっ!? 実物のバーチャルガイじゃん!」
そこに映っていたのは、中古ゲームショップの特価販売ページ。
この“バーチャルガイ”とは、世界的玩具メーカー・晴天堂がかつて世に送り出し、時代を先取りしすぎて歴史的失敗作と化した伝説のゲーム機である。
「実物を売ってる中古屋さんなんて、まだあったんだ! しかもフリマサイトより安いし!」
纐纈は幼い頃からそのゲーム機の存在を知っていた。
疾風の様に現れ、疾風の様に市場から消えたその機械は、まさに幻の逸品だった。
「一度は体験してみたかったのさ。 かの晴天堂の数少ない失敗作。 ゲーマーとして、この機会を逃す手はないだろ?」
キャスターの声はいつになく楽しげである。
成功も失敗も含めて歴史に刻まれた物は、彼女にとって等しく研究対象なのだ。
「いいね! 行こう! 群馬だからちょっと遠いけど、電車の経路は俺がちゃちゃっと調べとくよ!」
纐纈の胸も、彼女よろしく高鳴る。
都内住まいで車も持たない彼らにとって、県を跨ぐ外出は最早小旅行に等しい。
やがて、纐纈はお気に入りのライダースジャケットとハットを、キャスターは黒のパーカーにショートパンツ、ストッキングとスニーカーという軽装に着替え、心を弾ませながら出発した。
──同じ頃。
バーサーカー陣営は、地元の山へと害獣狩りに向かっていた。
「ニク……! ニク……!」
「バーサーカーも喜んでくれてるし、こっちも食費がかなり浮くし、これから土日はこうするのがいいかもな。」
足取り軽く進むバーサーカーを横目に、冨楽はしみじみと呟く。
平日は繁華街でぼったくり店の襲撃と言う強引な食料調達が日課だが、この狩りはそれ以上に、彼が自分の心を保つ為の儀式でもあった。
やがて二人は山の奥へ消えていった。
──数時間後。
群馬県某所の駅前に、キャスター陣営の姿があった。
「はてさて、初めての土地だし、地図アプリ見て行かないとね。」
「ふふ、前だけはちゃんと見て歩くんだよ。」
和やかに言葉を交わしながら、二人は歩き出す。
駅周辺は都心の外れとそう変わらないが、少し進むと、広い庭の家屋や、ゆったりとした公園、生い茂る土手の向こうに流れる川といった、地方ならではの光景が広がっていた。
「士、こういう自然の中を歩くのも悪くないね。」
「うん、たまにはこんなところを歩くのもいいよねぇ。 アプリによると、この山道を抜ければ近道みたいだし、セッカクだから寄って行こうよ!」
「ほう、それはいいね。 行ってみようか。」
──しかし、その山道は偶然にも、バーサーカー陣営が狩りをしている場所だった。
その頃、冨楽は簡易キャンプを設営し、焚き火の準備に取りかかっていた。
バーサーカーは相変わらずの怪力で次々と獲物を仕留めていく。
そして──
「うぅ、ぺっぺっ! 蜘蛛の巣が口に入っちゃった!」
「ふふふ。 士、大丈夫かい?」
茂みの向こうから、キャスター陣営が談笑を交わし、姿を現した。
「……うっ!」
「……あぁっ!」
互いに視線を交わした瞬間、纐纈と冨楽の表情が変わる。
「お前……SMOKE!」
「あらら、やっぱりよっちゃん。 まさかこんな所で再会するなんてねぇ…!」
先ほどまでの穏やかな空気が一変する。
冨楽の声音には怒りが滲み、纐纈は苦笑しつつも、どこか居心地悪そうに視線を逸らした。
──どうやら、この二人は旧知の間柄らしい。
「士、知り合いかい?」
「……うん。 友人……だったってところかな。 これには訳があって、俺が──」
問いかけたキャスターに、纐纈はどこか後ろめたそうに苦笑を混ぜながら答えかけると──
「随分と満喫してるみたいだな!? あァ!?」
声を荒らげて割り込んだのは、冨楽だった。
怒りを隠そうともしないその眼光が、場の空気を一気に重くする。
「あちゃ〜……やっぱりそうなっちゃうかぁ。 まぁ、あんなことしちゃぁ、そりゃそうだよねぇ……」
纐纈は視線を落とし、足元もそわつく。
只事ではないのが、誰の目にも明らかだった。
「ほぉ……何かやらかしてしまったのかい?」
キャスターの問いかけに、纐纈は苦笑としょんぼりが混じった顔で続けた。
「……情けなくて、卑劣すぎて……皆まで言えない。 簡単に言えば、共通の知り合いの子に“おいた”したっていうか……?」
「ほぉ。 へぇ。 士が?」
キャスターは興味深そうに目を細め、口角を上げる。
その顔には嫌悪はなく、まるで面白い話を掘り出す発掘者の様だ。
更にジェスチャーを口調を交えて、ぐいぐいと畳みかける。
「それってこう、乱暴にグイッと?」
「……乱暴なことじゃぁないよ。 姑息なことでさぁ……もう二度としたくない……。」
過去の愚行で罪悪感に苛まれ、纐纈の頭には、幻のキノコがしゅんと生えていく。
「したいかしたくないかの問題じゃねぇだろ!!」
冨楽がトングを地面に叩きつけ、怒声を響かせた。
「人にトラウマ植えつけやがって……それで今もヘラヘラと生きやがって!」
冨楽の怒りはもっともである。
纐纈にとっても、それは消えない、消すことも許されない最悪な汚点。
それ故に、反論など出来る筈もなく、頭の幻のキノコに養分を吸われた様に、彼はただ黙り込む。
「俺にはバーサーカーがいるんだ! だから懲らしめてやるよ! この──」
そんな纐纈を捲し立てるかの様に、冨楽が続け様に言葉を投げかけると──
「ちょっと待った!」
キャスターが余裕の笑みを浮かべ、掌を冨楽に向けて制した。
「……何だよ?」
遮られたこともさることながら、キャスターの余裕の笑みに苛立ち、冨楽は険しい目で睨む。
纐纈がキャスターを見上げると、彼女は淡々と続けた。
「士が過去に知人へ不貞を働いたことは解った。 じゃあ、“よっちゃん”って言ったかな? 聞いてもいいかい?」
「気安く呼ぶな! 冨楽謙匡だ! ……で、何だよ?」
「質問はまず一つ。 その出来事は、何年前かな?」
キャスターは終始冷静で、纐纈の頭の幻のキノコを摘みながら問いかけた。
対照的に、冨楽が奥歯を噛みしめながらこう答える。
「……忘れもしねぇ、八年前だよ。」
「ふふ、なるほど。 士を庇うって訳でもないけど、怒るにはあまりにも今更すぎないかい?」
「……っ!」
キャスターの問い掛けに、冨楽も思わず言葉を詰まらせる。
「キャスター、それでも“おいた”に変わりはないよ? 俺だってずっと背負って来てるしさぁ。」
纐纈は静かに立ち上がり、キャスターが摘んだ幻のキノコを手に取り、森の奥へ投げた。
自らの過去の愚かさは紛れもない真実、その旨を語りながら。
「確かに、それは相手の心に一生残る。 だが、よっちゃん。 キミの怒りには……別の感情が混じっている様に見えるね。」
キャスターはまるで轆轤を回す様に語り、静かに核心を突く。
「例えば──“人を殺めて、後に引けなくなった”とか?」
「なっ……!?」
図星を突かれた冨楽は、一瞬で血の気を引かせた。
「あぁ、それもそうかも! もしあの時のニュースの当事者なら、合点がいくねぇ!」
纐纈は、先日ニュースアプリで見た古井戸組の事件を思い出す。
「……そう言えば、よっちゃんって元イキリオタクって自称してたけど、俺が見た限りじゃそうでもなくて……何かの拍子でブレーキ壊れた感じだったのかも?」
「……色々あって疲れ切った中で、あの戦いの中で、あんなことがあったんだ! 平常でいられると思えるか!? 今更元の生活に戻れっこねぇんだよ! だからSMOKE、お前を懲らしめてやるッ!」
最早冨楽は、理性を保っているとは思えない。
まるで、自らの行く末すら覚悟しているかの様だった。
「バーサーカー! こいつは俺の友達に酷いことをしたクズだ! やるぞ!」
「マスターノ……トモダチノ……テキ……ユルサナイ!! グオォォォ!!!」
いよいよバーサーカーが咆哮し、臨戦態勢に入ってしまった。
「ねぇキャスター、あれ……どう見てもヤバいんじゃぁない?」
「ふふふ、そうだね。」
228cmの巨人を前にしても、二人の軽口は変わらない。
「でも……どうやらこのサーヴァントに、心当たりがあるかもしれない。」
「え、巨人に友達なんかいたの?」
「……ふふふ、さぁね。」
肩を竦めたキャスターが笑みを残す。
こうして──戦いの火蓋が切って落とされようとしていた──