そして、僅かばかりの時が流れ──

ロード・エルメロイⅡ世の宿泊先兼仮執務室では、聖杯戦争の戦場とはまた別種の、重苦しい空気が漂っていた。

午後のティータイムで優雅にカップを傾けながらも、やれやれと肩を竦めるライネスの視線の先では、凛とルヴィアが火花を散らす。

一方は眉間に皺を寄せ、もう一方は余裕綽々の笑みを崩さず、互いに相容れぬ因縁をそのままぶつけ合っていた。

この時、ロード・エルメロイⅡ世とグレイは、まだキャスター陣営との面談から戻っていないらしい。

「……なんでアンタなんかと、ここで顔合わせなきゃいけないわけ?」

「あら、お堅いことは仰らなくてよ。 (ワタクシ)達も“新制度反対派”。 だからこそ一時休戦を──と、貴女が言い出したのでしょう?」

不機嫌さを隠さぬ凜と、優雅に立ち振る舞うルヴィアは、まさに犬猿の仲であることを大きく醸し出していた。

「……だからって、よりによって二人きりなんて最悪(さいっあく)よ。」

「おいおい、真ん中に私がいるじゃないか?」

「致し方ありませんわ。 ロード・エルメロイⅡ世は不在、(ワタクシ)達が席を外せば入れ違いにもなりかねませんもの。」

二人の間で呆れ顔をしているライネスすら、空気と化していた。

「アンタのその余裕ぶった態度が(カン)に障るのよ。 一度ここで焼きを入れてから、また一時休戦と洒落込みましょうか?」

「待ち望んでおりましたわ! さぁ、悔いなき一戦を致しましょう……ミス・ゴリラ!」

「言ってろ!」

怒声を隠さぬ凜と、笑みを崩さぬルヴィアが、今まさに二人の恒例の火花を切って落とそうとしていた。

「ふふ、君達ぃ。 私は大いに興味深いけど……暴れれば兄上がまた頭を抱えるぞぉ?」

口ではそう言いつつ、ライネスの目元と口角は、悪戯っぽく歪んでいた。

まさに壮大な喧嘩のゴングが鳴り響こうとした、その時──

──ガチャッ

「……まったく。 一歩遅ければ、この部屋は嵐の過ぎ去った後になっていたところだ。」

扉の先に現れたのは、頭を抱えて嘆息するロード・エルメロイⅡ世と、その横で慌てふためくグレイの姿だった。

「あぁ、先生! 遅いですよ!」

「あら、ロード・エルメロイⅡ世。 惜しいところでしたわ。 もう少しで愉快な光景が見られましたのに。」

ロード・エルメロイⅡ世の到着で、臨戦態勢は解かれ、嵐は未然に防がれた。

「師匠……現状でも充分、嵐の後の様なお部屋では?」

冷静に告げるグレイの言葉通り、室内は資料や食器の残骸、更にはゲーム機で埋め尽くされていた。

仮でも執務室であるにもかかわらず、宿泊先と兼用したその部屋は、完全にロード・エルメロイⅡ世の生活臭そのものだった。

「……グレイ(レディ)。 そこは謹んで貰えないか?」

痛いところを突かれたロード・エルメロイⅡ世は、視線を逸らすしかなかった。

そうして騒然としたまま、ようやく聖杯戦争新制度反対派の定例ミーティングが幕を開けた。

『……で、ウェイバー。 私は別に反対派でもないのに、今回はオンラインで参加を強制かい?』

「あぁ。 お前が持っている情報は共有に値する。 だから協力して貰うぞ。 その前に現状を整理だ。」

デスクトップPCの画面には、ベッドで体を休めるメルヴィンの姿があった。

点滴と増血剤に繋がれながらも、彼は涼しい顔をしていた。

──彼の情報こそが、この会合の要の一つと言えよう。

だがまずは、現状の共有から始まった。

「……やはり、この日まで大きな変化はなし、か。」

「なさすぎておかしくなりそうですよ! セイバーなんて、まだ大学で剣道部のコーチを続けてるんですから!」

「アーチャーも相変わらずロードバイクに夢中ですわ。 つい先日もコーヒーファームで豆を選んでいたとか──ミス・美穂川から伺いました。」

『こちらも亜梨沙ちゃんとランサーが楽しくやっているよ。 彼女も見る度にまた可憐な笑顔を見せてくれてね……雑談も尽きないさ。』

どの陣営も平穏だが、今は聖杯戦争の真っただ中である。

サーヴァントがあまりに自由すぎることに、メlヴィン以外の魔術師達は揃って溜め息を吐いていた。

「……メルヴィン、お前は少しは緊張感を持て。 とはいえ、私が監督しているキャスター陣営(あの二人)も大概だがな。 キャスターに至っては、最早プロレベルの超有名ゲーマーストリーマーと化してしまっている。」

「はぁ……一般人がマスターだと、どうしてこう平和ボケするのかしらねぇ。」

聖杯戦争経験者であるロード・エルメロイⅡ世と凜の溜め息はとても深かった。

『まぁ、仕方ないんじゃないかな。 我々魔術師と違って、彼らには争う理由がないからさ。』

「それはそうだが……問題はライダー陣営と化野だ。 奴らの動きは依然として掴めん。」

──未だ動きを見せぬライダー陣営と、その監督役である化野菱理は、魔術師達の間でも最も警戒されていた。

当然、彼らはライダーが毎日散歩をしているなど知る由もない。

「あの女狐……相変わらず雲の様に掴めん。 実に厄介だな。」

ロード・エルメロイⅡ世の脳裏に、不敵に笑う化野の姿が過っていた。

『それでも、バーサーカー陣営を監督していたシリル・ファラムスの情報は、断片的に掴めている。 ウェイバー、私を呼んだのはその話の為だろう?』

「あぁ。 詳しく話して貰うぞ。」

──そして、重い空気の中でメルヴィンの声が告げられる。

『オーケー。それじゃ、数日前のことだ──』

話は、キャスター陣営がバーサーカー陣営を退けた二日後へと遡る。 メルヴィンは、シリルの私物に忍ばせた盗聴器からの傍受を、まるで舞台の開幕を待つ観客の様に、胸を弾ませて待ち構えていた。

やがて、ヘッドホン越しに通話の声が流れ込んでくる。

『おやおや……冨楽様。 バーサーカーを失ってしまいましたか。 それは残念でなりませんね。 しかし、一般人の考えは我々魔術師とは異なります。 マスターだけとなっても、すぐに命を狙われることはありません。 それが唯一の救いでしょう。』

その内容から察するに、これはサーヴァントを失い敗退に追い込まれた冨楽からの連絡に違いなかった。

姿は見えずとも、シリルが相変わらず不敵な笑みを浮かべながら話していることは、容易に想像できた。

「ふふっ、これはまた愉快なネタが聞けそうだぞぉ。」

メルヴィンの顔も、歪んだ笑みでヘッドホンに耳を傾けた。

『まぁ、抑えてください、冨楽様。 ……確かに、過去貴方のご友人を不快にした相手に敗れたことは、無念でありましょう。 ですが、まだ貴方が生き残っている限り、聖杯戦争は終わっていません。 その間、私も監督役として役目を果たします。』

冨楽の胸中には、ベッドに横たわる身でありながらも、憎き纐纈(くくり)と、そのキャスターへの怨嗟が渦巻いていたのだろう。

『……忘れてはなりませんよ。 元来、聖杯戦争とはマスター同士の殺し合いも含むもの。 新制度の下でも、理論上それは可能なのです。 ……それだけお伝えしておきましょう。 では、お大事に。』

不穏な一言と共に、通話はそこで切られた。

「おっとぉ……シリルの奴、復讐をそそのかしたぞ。 これは面倒なことになるなぁ。」

そう口にしながらも、メルヴィンの表情は不気味な楽しさを隠しもしなかった。

──そして、紅茶を汲む音と共に、シリルの独り言が始まる。

『……ふふふ。 冨楽様が復讐を果たせば、それはそれで好都合。 果たせなければ……或いは……。』

スマートフォンをバッグに収めようとしたその瞬間、彼は指を止めた。

『……おや? これはこれは。 私としたことが、痛恨の失態ですねぇ。』

「うわぁ、もう気付かれてしまったかぁ。」

メルヴィンの笑いの含まれた呟きと同時に、盗聴器の向こうから軽い金属音が響く。

シリルが盗聴器を摘まみ上げたのだろう。

『さて、一連を傍受していた不届きな貴方。 正直に申しましょう。 これまで貴方が耳にしたことは、全て真実です。 心より誓いましょうとも。』

その声色は冷静そのもので、人を食った様な笑みを崩さぬまま、淡々と告げる。

『しかし……無料体験コースはこれで終了です。 尤も、幾ら積まれようと、この先は決して聞かせませんがね。 それでは、ご機嫌よう。』

次の瞬間、風を切る音が聞こえ──

──ガシャンッ!

受信機には鈍い破壊音が響き、残されたのは冷たいノイズだけだった。

「あぁあ、いよいよ壊されてしまったかぁ。 さぁ、これからどうするかぁ。」

メルヴィンは予感していたのだろう、破壊の直前には既にヘッドホンを外しており、苦笑いを浮かべていた。

彼の語りを終えた時、ロード・エルメロイⅡ世のこめかみに冷や汗が伝っていた。

「……なるほど。 これはミスター・纐纈(くくり)にも伝えねばならんな。」

『そういうことさ。 まぁ、あの二日前にも奴は色々と喋っていたけどね。』

メルヴィンがそう語ると、やがてその目線はある人物へと向けられた。

『そうだろう? ライネス嬢。』

「あぁ、その通りだ。」

なにやら得意げに立ち上がったライネスが、続け様に発言する。

「シリルの奴、いざとなれば自身の魔術と使い魔を使った奥の手を隠しているらしい。 ……まあ、詳細は煙に巻かれて掴めなかったがね。」

その仕草はまるで轆轤(ろくろ)を回す陶工の様に、楽しげで挑発的だった。

「ライネス、お前……! いつそんな情報を!」

「兄上が疲れ果てて夢の世界に沈んでいた頃さ。 散歩がてら立ち寄ったホテルのカフェで"偶然"シリルと会ってね。 ついでに、この新制度について彼が思うことを少し聞き出してやったまでだよ。」

驚愕するロード・エルメロイⅡ世を余所に、彼女は悪魔の様な笑みを浮かべた。

「えぇっ、ライネスさん! あの時そんなことをしてたのですか!」

当然ながら、グレイにすら報告していなかった。

「くっ……! ライネス、メルヴィン、お前達何故そんなことを報告せん!?」

「聞かなかっただろう?」

『聞かなかっただろう?』

二人の惚けた声が重なり、ロード・エルメロイⅡ世の溜め息は更に深まった。

それを遮る様に、凛が前のめりに問いかけた。

「それで、シリル(あいつ)は他に何か言ってた?」

「どうやら彼にとって”新制度”は──バーサーカーによる反社会的組織の襲撃を利用し、その爪痕を制度の功績として誇示する……そういう狙いらしい。」

つまり、制度そのものを正当化する為の道具として利用しようとしていたわけである。

「舐められたものですわね。 制度を美化する為の踏み台にするなんて。」

ルヴィアは優雅にティーカップを掲げながらも、眉をひくつかせていた。

「それだけじゃない。 奴は──監督するマスターの”人生”そのものを変えていくことに快楽を覚えている。」

「……チッ!」

ロード・エルメロイⅡ世が苛立ちを隠さず舌打ちし、凛もまた顔を紅潮させて声を荒げた。

本当(ほんっと)に悪趣味ね! あの愉快犯、吐き気がするわ!」

そう言った瞬間、ロード・エルメロイⅡ世が口元を押さえた。

「ほら、見なさい! 先生まで吐き気を催してるじゃない!」

「うぅ……違う、これだよ……。」

彼が顔を青くしながら指差したのは、トリムマウが配った茶請けの芋羊羹だった。

「あぁ、この芋羊羹かい? 浅之寺でミスター・ボテッキアに勧められて以来、すっかり気に入ってしまってね。 オンラインで取り寄せたのさ。 遠慮なく食べてくれたまえ。」

誇らしげにそう語るライネスの顔には、特に悪気のない笑みが見えていた。

「くっ……先程キャスター陣営(あの二人)の甘党地獄を見せられた後で、今度は目の前に芋羊羹とは……別ベクトルで胃が壊れる……。」

凛がやけ食いでもするかの様に、ルヴィアが苛立ちを隠すかの様な優雅な所作で、そしてライネスとグレイが噛み締める様に芋羊羹味わう。

そしてその横でロード・エルメロイⅡ世が項垂れる様子を、画面越しのメルヴィンが飄々と笑いながら眺めていた。